場の研究

炭を深めていく中で、「場」について再考する機会になりました。ここでの「場」とは環境を定義します。この環境がどのようになるかで、その過ごしている生き物たちの変化があるということです。

よく「場」というものを考えるとき、空気があります。場の空気を読めではないですが、その場にはその場に相応しい空気があります。それはオープンな場であったり、癒しの場であったり、明るい場であったりと、その場を創りだすものはその場で生きている生き物たちの性質、その呼吸や雰囲気が創りあげていきます。殺伐とした場であったり、悍ましい場であったり、乱雑な場であったりは、同じくそこで生きている生き物たちの気性や性質が場を創ってしまうのです。場には空気感がありますから、その場を創る人たち一人ひとりの意識が場に影響をしてくるとも言えます。

密封状態の呼吸がしずらい薄暗い部屋で話をするのと、開放的で自然のそよ風と爽やかな木漏れ日の中で話をするのとではその対話の質も変化していくのと同じように場合が影響してくるのです。

その場づくりをどのようにするかというのは、その場に悪い意識やよからぬ考えが入ってこないようにと場を整えていくのがそこを司る人間の仕業でもあります。私たちの実践する聴福人(ファシリテーター)も自身がまず「場」づくりをできなければ人々の間に安心した環境はつくりだすことができないからです。

その「場」を学ぶとき、自然のチカラ添えを得るために清らかな場を用意することがイヤシロチでもあります。そしてイヤシロチというのは発酵する場でもあります。発酵は主に、腐敗と発酵があります。腐敗もまた発酵の一つではありますが、人間にとっては腐敗すると生活環境が整いませんから如何に発酵をし続けるような環境を用意するかが鍵になります。

その発酵環境は「場」によってできますが、その場をつくるのが人間ですから如何に場に対して発酵場という意識を持っているかが大切であるように思います。風通しの良さや、水の流れの良さ、地味に良い、光が明るい、など自然の言霊がハタラクような場に自分自身の心が投影されていきますからその発酵場にしていこうとする思いと実践が何よりも場には影響していくのです。

その一端を担うものに「炭」があるのは間違いないことです。今回の夏季実践休暇から炭の持つチカラをほんの少しだけ自覚できましたが「場」について深めていくためにもっと炭を身近に置いては観察してみたいと思います。