場チカラ

先日から社内の場力を高めるための工夫を進めています。発酵場というものもそうですが、場というのはチカラです。その場が善くなるというのは、チカラが集まるという意味でもあります。

ここで場力について少し書いてみたいと思います。

そもそも人間にとっての場とは何か、それは何かが行われているところのことです。その場とは、料理する人は料理場とも言うし、工事する人は工事現場とも言います。場とは、何かが行われている場のことです。

その場がどのような場になっているか、それはそこで生きる者たちの生き方の場でもあります。その場は、それぞれの生き方が集積することで場にチカラが集中していきます。

例えば、暮らしというものがあります。その生き物たちがどのように暮らすかでそこに場ができます。これは人間に限らず、山川草木昆虫に至るまですべての生活が場に顕れてきます。

その生き方が自己中心的であればそれにそった場が現れますし、共生し貢献するような生き方があればそれに沿った場が顕れます。掃除一つをとっても、綺麗にすれば美しい場が生まれますし、ゴミで溢れかえっていれば粗末な場が生まれます。そしてそれは次第にそこで発生する関係性にも影響を与えていきます。

理念が初心というものは、そこに場を創ります。場チカラというのは、そこで実践したものたちの集積力によって場が顕れていくとも言えます。どんな場面でどんな場所でどんな場合にその人がどんな生き方をしたかが出て来ます。場を和ませる、場をわきまえる、場を活かす、場を明るくする、その場には、その場その場で発した場チカラがその場に集積するのです。

この集積力とは求心力とも言えます。地球が中心に引き寄せていくチカラの御蔭様で私たちは宇宙に飛び散ることがありません。それは地球の地場に守られているからです。この求心力は、活かそうとすることで場ができているとも言えます。

すべての生き物は育てるものではなく育つものです。教えないで育てないとしたら、育つわけですからそこには場があったということの証になります。場があるから育つのですから、そこで育つ生き物たちには場を明らかにする責任があります。場チカラがあるというのは、場に顕れるほどの生き方の実践が集積され文化になったということです。

その人の理念・初心・祈り・願い・思いが意識になり、場が顕現します。

つねに場を高めていくために、精進して沢山の御縁のつながりから発生する場チカラに感謝しつつ、その場チカラをお借りして子どもたちに伝承していきたいと思います。

背中で伝承する~本当の学び方~

子どもに限らず人は成長するとき、モデルになる人物を一つの指標にしていくものです。例えば、見た目であったとしても生き方であったとしても、自分が参考になるものをもとに見よう見まねで似せていくものです。

これらは対象物に「近づく」という言い方をしてもいいのかもしれません。

師弟関係などもそうですが、師の考え方や生き方を参考にして自分自身の何が似ていないのかに気づきます。そうやって自分が憧れた人との差異を確認しながら、薫風や薫陶を受けてそのものも変わっていくのです。

これは昔の日本では職人文化といいますが、実際には教えない教育を行うには教えないためのモデルが必要だからです。私にも同じようにメンターがいて、メンターの存在やその生き方、そういうものが自分の血肉の中に溶け込んでいます。共に憧れる生き方がある人や、同じ理念を持つ人、最終的にありたい自分を優先できる人は、自ずからベンチマーキングする人物に出会えるように思います。

人生はどこにいくかも大切ですが、誰と往くかというのはもっと大切です。

それは誰と往くかによって生き方が変わってしまうからです。

大人の背中を見せるということや、自分の生き方を遺していくこと、そして実践で示していくというのは、教科書には書かれていませんがどの子どもも、どの人間にも、大きな影響を与えるように思います。

一人ひとりの生きた背中を通して学ぶのは、本来の学び方です。先祖たちが遺してくださったものを紐解き、そこから学ぶのが本当の学び方。そして子どもたちに恥ずかしくない仕事を譲っていくのもまた今を生きる世代の役目であろうとも思います。

一人ひとりの真心の志事が、以心伝心して多くの人たちの真心になること。理念を優先して、実践を怠らないのはそれが「背中」で語ることになるからです。背中で語るのは背中で未来に向かって伝承を続けている真っ最中ということです。

正面ばかりで口八丁手八丁で理論的に説明したりするのも大切ですが、歩んだ背中には決して敵いません。

常に背中を見られているという意識を忘れず、背中で与えられる安心感を伝承できるように自分自身の学びの姿を通して子どもたちを見守っていきたいと思います。

家での住み方

すべての生き物は住み家があり、それぞれが御互いを思いやり住み分けをしています。先日ブログでいきものの鳴き声が時間帯で異なることを書きましたが、共生とは互いを思いやり尊重しあっていく和の心が解け合ういのちの道理です。

今まで地球上で私たちは御互いを尊重し合っていままで暮らしてきましたが住み分けが狂い、何度も世界を巻き込む戦争がおきて人間の争いはまだまだ続いています。

そもそも自分の住み家を大切に守り、住み家がいつまでも持続可能になるように丹念に手入れをしていたから私たちはその住み家を中心に生活が成り立ちました。特に農耕民族である先祖たちは同じ場所を何百年も動かず、先祖代々その土地で暮らしを成り立たせてきました。今では住み家が崩れみんな田舎を捨てて都市に出て、過疎地ではお年寄りだけで生活をする始末です。

本来の住み分けが機能せず住み家が衰退しているというのは住まいを持つ人たちの生き方が変化してきているからです。住まいを大切にするというのは、自分の心を大切にするということでもあります。住まいが殺伐としたり、暮らしから遠ざかっているというのは物が氾濫しなんでも粗末にして生きている生き方の現れとも言えます。そこには貧困があります。本来の豊かさは貧乏かどうかではなく、一つの暮らしの中に様々な心のゆとりや余裕があるということです。住み家があるのはモノとココロの両面が満たされる安住があるということです。

昔の古民具や、骨とう品などをみていたら物が大切にされてきたことを感じます。それは何世代も使われ、手入れされたものには何か大事な心が宿っているように思います。コンビニで簡単に買っては捨てている便利なものとは異なり、そこには暮らしの残り香が薫ります。

私たちは住まいの中に暮らし、住まいには生活があります。

その生活が物に顕れ、その生活が空間の中に表現されていきます。どんなものが集まって来るか、それは御縁です。これは人も同じく自分の成長と共に集まって来るものや大切にしてきたものが磨かれ輝きはじめます。その住居はまるでその人そのもののように人相が出て来ます。これを家相ともいうのかもしれません。そしてどんな御縁でそこまでたどり着いたのか、そこには天相、地相、人相といったタイミングや機縁に結ばれています。

住歴を大切にする真心は、自分自身の御縁を大切にする誠実さと比例するように思います。

そして「終いの住み家」という言葉があります。これの意味するのは最後に安住する場所が家ということです。心が安寿し澄む処、住み方そのものが家族家庭そのものです。

常にどんな一家でどんな家で暮らしていくか、それを創るのは自分自身の生き方です。家での住み方を忘れず、一家の暮らし、一家の初心を子どもたちに譲っていきたいと思います。

和の家

先日、和の部屋について相談があり色々と深める機会になりました。和の部屋といえば、通常では畳があり押入れや襖があるものを和室だと思っていることがあります。

しかし畳も昔はなかったもので、押し入れや襖もわりと歴史的には古いものではありません。実際の日本はじまりの住まいは何か、それは古事記に書かれています。

「伊弉諾命、伊弉冉命の二柱の神はおの馭盧島に天降りして其處に先ず天の御柱を御作り、倶に御住ひになった。八尋とは一尋、二尋と數える八尋にあらずして八は彌と同じく數多きをたたえ唱うる言の葉なれば即ち幾十尋の御殿の意なり。彌栄なる館なるにして我が國初めての御殿なりせば家屋建築の始めなり。我が國の神々達は穴に宿る神に非ず、木の枝に巣造るに非ず、程高き営みの神なり。」

イザナギとイザナミが、はじめて高天原に降りてきて造営した住まいが私たちの祖親のはじめての住居「八尋殿」です。一尋とは、人が手を拡げたときの寸法を言います。これを八尋とするとちょうど畳二畳分くらいのサイズになります。この八は、末広がりの八を意味しますからここの住居から無限に広がりはじめたということです。

私たちの祖親の家屋建築の原点はここです。私たちの親は穴に住んだのでもなく、木の上に巣をつくったのでもない、天に向かって真っすぐに伸びた柱を地に立て、床を建て住んだということです。

今の時代は、高層ビルや広大な豪邸が価値があるかのように売り買いされていますが本来の住居はとてもシンプルなものです。

例えば生き物によっては、泥を固めて巣にしたり、草を丸めて家にしたり、石を積んで塒にしたりと、それぞれに住まいのカタチは異なります。私たちの先祖が、何をもって住まいしたかを知ることはとても大切なことだと思います。住まいの出発点を和合生活にしたこともまた私たちの先祖たちの真心だと思います。

そして和とは何かと考えるに、如何に本来の先祖たちが伝承してきた暮らしに親しみとけ合うかということではないかと思います。それは例えば、共に暮らすものたちと如何に親しみを持っているか、そして心安らぎ仕合わせを感じるか、そこには余裕と真の豊かさがあるように思います。

豪華絢爛で贅を究めた芸術作品のようなところを住まいというのではなく、人々の暮らしや生活が息づく場所、そこがまさに家庭であり、たとえ独り身であったとしても共に暮らしているいのちの暖かさに触れ、深く味わいながら日々を豊かに過ごしていることが本来の住居であり家であるように思います。

そういう住居を持つ人は、和の心を持つ人とも言えます。秋になれば秋をしつらえ、冬には冬をしつらえる。まさに、小さな四季の変化をも愉しみ、部屋の中の花一輪にいたるまで愛でる澄んだ心があります。心の手入れというものは、日々の暮らしを愉しむ真心にあるように思います。

和室というものの本来の姿の本質は、「暮らし」の中にこそあるということが私が考える和の家です。和をもって尊しとなすとといったのは、聖徳太子ですがその聖徳太子は家屋を大切に手入れするように寺院を建築したといいます。法隆寺をふくめて、奈良のあちこちにはその暮らしが遺っているようにも感じました。

子ども達に本当に譲っていきたい伝承したいものを、自分たちが忘れないように生きていきたいと感じます。改めて日々の暮らしから、生き方を見つめ直していきたいと思います。

美徳日本~美しい心の人々~

先日、落し物をわざわざ自宅に届けてくださった方がいて有難い体験をすることができました。今の時代は連日テレビで詐欺や欺瞞、また犯罪などのことのニュースが善く流れていますからついネガティブなイメージを持ってしまいますが実際の日本人はまだまだ豊かな心を持っているように思います。

今回のことで改めて本来の日本人とはどういうものかということを考える機会になりました。

以前、アメリカの動物学者のエドワード・S・モースは、標本採集に来日して日本で生活する中で日本のことを「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない。」といいました。これを聴いて最近では、ブータン王国が同じようにテレビで特集されていたのを思い出します。お金がなくても、みんなが愉しく豊かに生活をしている様子をブータン王国での映像では伝えていました。

他にもモースは、「日本その日その日」(平凡社)で日本の印象が紹介されています。

「明治初期のことである。大森貝塚の発見で知られるアメリカ人の動物学者エドワード・モースが、瀬戸内海地方を旅したある日、広島の旅館に財布と懐中時計を預け、そこからしばらくの間、遠出をしようとした。そのとき旅館の女中が「お預かりします」と言ってしたことは、時計と財布をお盆に載せてモースの泊まった部屋の畳の上に置いただけであった。もちろん部屋はふすまで仕切られているにすぎず、鍵や閂などが掛けられてはいない。モースはとんでもないことだと思って宿の主人を呼んだが、主人は平然と「ここに置いておけば安全です」と答えた。自分の旅行中にこの部屋を使う客は何人もいるわけだし、女中たちも終始出入りする。モースが不安をぬぐえるわけもなかった。しかしモースは、ここで思い切って「日本社会の実験」をしてみようとのつもりになったようで、そのまま遠出したのである。一週間後、旅館に戻ったモースは部屋のふすまを開けて心から驚き感じ入ったのである。そのときのことをモースは次のように記。「帰ってみると、時計はいうにおよばず、小銭の1セントに至るまで、私がそれらを残していった時と全く同様に、ふたのない盆の上に載っていた」モースによれば、当時の欧米のホテルでは盗難防止のため、水飲み場のひしゃくには鎖が付き、寒暖計は壁にネジで留められているのが常だったそうである。モースはこの日記の文章に続けて「日本人は生得正直である」と書き留めている。」

今では金庫に保管してくださいや、盗まれると危険ですからといわれますがかつては御互いの信頼や信用で成り立っていた社會が旅館の中に根づいていたことが分かります。鍵などもなく襖と障子だけの部屋ですから、それだけ旅館という場所は信頼関係が基本であったのかもしれません。しかし次第に、西洋文化が入ってきて西洋の価値観を優先しすぎて今では日本のかつての姿が隠れてしまっているように思います。

ハリスの通訳として来日していたヒュースケンはこう言います。

「この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたることろに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない。

あの頃と今ではどのように変わってしまったか、きっとヒュースケンは未来を予見していたのでしょう。そして同じようにラフカディオ・ハーンは「日本には美しい心がある。なぜ、西洋の真似をするのか」いいました。

気が付けば自分の国を西洋先進国の一国のように捉えて先進国の仲間入りをしたと勘違いしているのは自分たちの方かもしれません。本来、何をもって先進国であるか、もう一度子どもたちに譲りたい先祖代々からの文化を見つめ直す必要があるように思います。

フランシスコ・ザビエルは、「日本人はヨーロッパの最先進国の人々ですら足元にも及ばぬほどの、高い文化とモラルを持っている」と言います。ここでは高い文化とモラルのことを最先進国と定義しています。

お金が技術が高く経済的に裕福な国を先進国というのではなく、礼儀や道徳、民度こそが先進国の証であるということを言っているのでしょう。真の豊かな国とは一体何か、そして本来の先進国の本質とは何か、西洋の価値観ばかりを追い求め、自国の本来の目指した理想の姿を間違わないようにしたいと思います。今こそ、私たちは先祖代々受け継がれてきた美徳日本を思い出す時代です。

この国に産まれて善かったと思えるような、生き方を子どもたちに遺していきたいと思います。ありがとうございます。

 

 

祖霊の真心

私たちの先祖は自然崇拝といって、自然の中に神様を見出していた民族です。古神道においても、巨石、巨木をはじめ自然の中にある畏怖を感じ、畏み奉り祈りを捧げてきました。そこには精霊というような、無生物の中にあるいのちを感じており、例えば日、月、星、水、火、土、風、光、闇、金、石といった物の中にそれぞれのいのちが宿りその和合によってこの世が成り立つことを自覚していたのではないかと私は思います。

収斂結実という言葉があります。

収斂とは散布的に位置していた複数の物を一箇所に集めるという意味です。結実は、その結果として実ったものという意味です。自然界には多様性といってすべてに分かれていく作用と、同時に収斂性といってすべてのものが一体になっていくものという作用があるということです。言い換えれば、宇宙が多様に膨張しつつも星々やブラックホールが重力と引力で結集していく作用があることに似ています。

私たちのカラダも、一つ一つの臓器はバラバラですが一体としてカラダは成り立ちます。部分だけを切り取っても身体は機能せず、実際には収斂して結実しているのが今の姿だとも言えます。

そしてこれは御縁の世界も同じものです。

数々の御縁が織りなして今があり、その御縁が結実するから今の自分のいのちがみのります。自然崇拝というものは、同じように巨石が神という意味ではなくそこの精霊から全体を観通すチカラがあったことを言うのではないかと私には感じます。

かの弘法大師空海が、山々を歩き、山々の中に神仏を彫り込みそこに祈るようにと里の人たちに伝道して歩きました。自然の中にあって、自然が顕した精霊を人々に伝えるという原始の信仰の姿を感じます。私自身も、土に触れ、風に吹かれ、火を仰ぎ、水に洗い、木と暮らすことで自分自身が自然と一体になり収斂結実していることを実感します。

太古の昔、私たちが言葉も持たないほどの時代はきっと五感を使い事物に接し、論理ではなく直感をもってすべてのものに触れていたように思います。西洋でも東洋でも世界では、どこにいっても太古の信仰のカタチはすべて同質のものです。それは自然物の中に見出しています。それを否定することで、人間はより自分の都合のよい方へと信仰のカタチを変えてしまったのでしょう。

万国共通し、悠久の歴史にも錆びつかず、自然に反することがない教えこそ真実の学問を伝道しています。遺跡の中に残存する、祖霊たちの思いや真心を受け取れる自分を磨いていきたいと思います。無字の経文を受け取り、子どもたちに祖霊の真心を受け渡していきたいと思います。

見守り愛

自然と人間というテーマで考えていく中で、自然の慈しみの愛を感じつつ如何に人間を愛すかということに行き当たります。そしてそれは本来は分かれているものではなく、自然と人間とは御互いに愛が深い存在であることに気づくものです。この愛のつながりとは何か、それは信じ合うということです。

それは子どもたちの中に顕れてきます。

子ども達は好奇心で生きています。様々なことを好奇心を働かせて冒険していきます。時として危ういこともあれば、時として手を出したくなることもあります。しかし子どもはそのダイナミックな自然の中で自らで大切なことを気づき学んでいくものです。

それは直接的に論理を使い教え込まなくても、自然に大切なことを周りから感応し自らが気づき真実を掴んでいくものです。大人たちの心配をよそに、子ども達は様々な遠回りをしては大切なことに辿りつきます。

これは学びが直線的ではなく、混沌としていることを証明しています。例えば、思いやりということを学ぶのに教科書で教えれば人の嫌がることをしないと言えばいいのでしょうが実際には子どもは嫌がることをしたり喧嘩をしたり問題を起こしたり、そして泣いて悲しんで苦しんで笑って微笑んでと紆余曲折しながらついには思いやりに辿りつきます。

こちらが如何にそれを静止しても、それは静止できるものではなく学びたいからこそ事件を起こして経験をしたがるとも言えます。そんなとき、私たちにできるのは見守ることだけです。

この見守ることだけの時の自分は、自然の愛と人間の愛が一体になっていることに気づきます。人類を愛するからこそ、見守ることを拡げようとし、自然に見守られていることを自覚するからこそ私にできるのは同じように見守ることだけです。

どんなに遠回りをしても必ず気づくと信じている存在、それが見守り愛なのかもしれません。信じているからこそ、体験をさせたいと思う事。信じているからこそ、経験を許したいと思う事。これは大人の思い通りではないですが、自分が子どもの時もきっと同じように大切なことは自らの好奇心を信じて学んできたはずです。

人類がどんなに遠回りをしても、いつの日かは大切なことに気づくと信じること。

今の時代を生きる私たちができるのもまた見守ることだけかもしれません。

見守るというのは何もしないわけではありません。見守ることだけということの覚悟は、本気で見守るということですから当然、人類の先人となる私たちが一期一会に自分自身を世界の一人として独立自尊し、道を歩み切る実践を子どもたちに譲っていく必要があります。

見守り愛に包まれた自分をそのままに、子ども達を見守り愛で包んでいきたいと思います。

謙虚さと柔軟性

今年も自然農の畑に高菜の種を蒔き、来年に向けて高菜が育つのを見守ります。自家採種した種はもう3回目になり、季節の廻りを共にしてきた種をまた土に戻すのが心地よく、農家の人たちの愉しみが感じられ仕合せな気持ちになります。

年々同じ作物を見守り続けていると、カラダが自然にどうすればいいかを憶えています。それは頭で考えているのではなく、カラダが自然にその作物の生育と一体になってどう動けばいいのかを身に着けているのです。

これは作物に限らず、共に暮らす動物や虫たちも何が好みでどのようなリズムで生きているのかをカラダが憶えます。鶏が朝の挨拶をする時間に自分もすっと寝床から起き、このブログを書きはじめます。猫も同じ時間に起きては、すり寄ってきて挨拶をしてくれます。犬はもっとゆっくり起きてきて、小屋から出て来ては周りを見渡せるところでゆるりと過ごしています。

その他、カラスが活動をはじめ鳩がその後に鳴きはじめます。そうやってそれぞれのリズムで日々の生活を送る生き物たちのいのちをカラダが自然に聴いています。

私たちは本来、自然の一部であり自然の生き物です。

時間通りに決めて自分たちの思い通りになるように頭で考えて生きてもいますが、実際は自然のリズムに沿って私たちは暮らしてきた生き物です。どのようなものを育て食べ、どのような環境の中で周りを活かしながら住んできたかはかつての生き物たちと一緒に生きて観たらすぐにカラダが思い出すものです。

今ではスーパーで一年中あらゆる野菜を食べれますが、実際に野で作物と一緒に暮らしたらすべてには旬があり、その季節でしか食べれないものばかりです。それをうまく組み合わせて一年の食べ物を確保し、その作物の生育にあわせて自分たちの仕事や環境を柔軟に変えてきたのでしょう。

柔軟性が消失するというのは、自分の思い通りになるような生活ばかりを送ることで硬直し頑固になり変化できなくなっていきます。変化というのは思い通りにならない中にこそあり、自然に沿って自然体に謙虚に生きていく中に存在します。

変化しなくなるものは自然淘汰されていくのは自然の道理です。

変化を已まない暮らしというものは、全体に対して常に自分のカラダを合わせていき、自然の流れに従って逆らわず応じていくような柔軟で素直な状態を維持していくことです。それは自然の中に入っている自分のように、周りがもっとも活きる中で自分を活かしていくことに似ています。

自然から学び直す中でもっとも大切なものは謙虚さであり柔軟性です。

柔軟性は理念や初心といった自然の本筋、天地の王道に合わせる生き方をしていくことのように思います。三つ子の魂を持っているあの子ども達のように常に自然から学び、自らの変化を愉しんでいきたいと思います。

自然生態系を育てる

田畑に出れば様々な虫たちや動物たちが繁殖していることに気づきます。山林の中とは異なり、人間が作物をつくるために作業している場ですからそこには人間を中心にした独自の生態系が存在しています。

例えば、ピーマンやトマトを育てればそれを食べるカメムシが集まります。カメムシが集まればそれを捕食する虫たちが集まってきます。他にもそこに育てる野菜の種類によっては同時に増えていく虫たちもまた集まっていくのです。

このように生態系は自分たちが育てるものによってそれが餌になり、その餌を食べるものたちが増えることでまたその増えたものを餌にするものたちが集まっていきます。

一見、田畑では何も起きていないように観えても確実にそこには、人間の創りだした環境が出来上がっていると言えるのです。そうやって自分たちが用意した環境の中では、一時的に大量の虫たちが発生します。餌があるから増えることが出来るのですが、それを減らすために農薬をまいたりします。

実際は、少量ならば増えないものを一つを大量に育てるから別の一つも大量に増えていきます。そうやって増えていけばその周りにあった虫たちや動物たちの生態系も変わっていきます。本来、そこになかったものを育てるということは生態系を変えてしまうということでもあります。

田畑をはじめて何を育てるか、それは生態系を育てるとも言えます。それは自分のカラダにも言えるものです。人間の身体の中には無数の菌類が腸内で生息しています。その菌類の餌を何にするかは、腸内の生態系を変えてしまうことです。餌がどのようなものを食べ続けるかで腸内の菌類のバランスも変えてしまいます。あまりにも腸内のバランスが崩れるとお腹を崩しますが、これは田畑でも同じことが言えます。イナゴが大量発生したり、特定の虫や動物が現れて荒らされてしまいます。

自然界というものは常に生態系が関係しており、その場所や広さ、周りの環境と密接なのです。私たちが作物を育てるとき、それは同時に生態系を育てているとも言えます。どんな生態系を育てていくかは、その人の生き方がきめるとも言えます。どちらにしても、大量生産大量消費は同じく大量の生態系を産み出しますから生態系を乱す範疇を超えてつくるということはそれだけ生態系に対する認識が必要になろうと思います。

自然の許容範囲を知るということは、生態系を学ぶということに似ています。どこまでが許容範囲なのかは、周りへの思いやりに比例するように思います。分を超えるとすぐに問題は発生しますから如何に謙虚であるかは、自然界の理法に適うかどうかを左右します。

自然は正直ですから、謙虚である意味を正しく学べます。子ども達のためにも生態系を思いやる農法を学び直したいと思います。

自然の戦略~棲み分けの音色を聴く~

生き物たちは同じ地球で生きていますが、それぞれの時間で棲み分けをしているものです。これはもし同じ場所ですべての生き物が活動するならば、雑多大勢の生き物たちで混乱してしまいます。

同じ地球の中で如何に御互いが同じ場所で生きていくかは、それぞれの自分の特性に合わせて棲み分けしていくものです。

一日の中でみても、かなりキメ細かく時間帯で活動が分かれます。例えば秋の虫でみても、夜に鳴くコオロギやキリギリスをはじめ、かなりの虫たちが秋の音色を奏でます。その中でも夕方から夜に鳴くもの、夜中から深夜に鳴くもの、そして朝方に鳴くものがいます。もっとも虫の音色が静かな時は、山の鹿や猪など野生の動物たちが活動します。

同じ音を聴いていても、耳を澄ませばそれぞれの時間帯にそれぞれの場所を棲み分けるのです。自然界は極力無駄な戦いを避けようとします、それは天敵というものを自覚するからかもしれません。共生とは、助け合うことですから助け合うことを優先すればするほどに棲み分けは成り立つのです。

そしてこれは人間でも同じように思います。わざわざバッティングするところにいて混乱するのなら融通無碍に自分の方を戦わない方へと移動していく・・・これを戦略ともいいますが、生き物たちはみんな自然の戦略を自分たちなりに持ち歴史を生き延びてきたとも言えます。

そう考えてみると、自然の絶妙のバランスとは自然の戦略に存在しているのかもしれません。御互いに助け合い、御互いに活かし合う、その中に本来の自然というものの姿が顕現しています。

それぞれが助け合う時、もっとも自然は絶妙なバランスを魅せてくれます。自然の音色を聴きながら、如何にこの世の中がいのちに満ち溢れているか、如何にこの世界がみんなで分け合って生きているか、そういういのちの音色が聴こえてきます。

食べて食べられる関係の自然界ですが、余計な分を食べないのも食べる分しか殺生しないのもその根本がいのちの助け合いの中で存在していることを自覚して忘れていないからでしょう。

変に我を捨てるとか、我を手放すとか、頭で云々をぐるぐる回す前に、当たり前の生活を取り戻した方がいいのかもしれません。子ども達に譲り渡していきたい暮らしとは何か、しっかりと深めてカタチにしていきたいと思います。