自分自身

人は自分を信じて厳しくするのと、自分を信じないで厳しくするのではその甘えの構図は異なります。自分に厳しくすることは、本来は自分に甘えないということですが自分に甘えれば甘えるほどに間違った厳しさを自分に課してしまうものです。

自分というものは、本質的に進みたい自分と、現実的に進みたい自分が同居しているようなものです。つまり例えて観れば自分の中には二人の自分が存在しているように捉えてみればいいように思います。言い方は別にしてここでは「自分」と「自身」にして例えてみます。

自分というのが本質的自分だとしたときに、自身というのを現実的自分だとします。これらの自分と自身が協力関係にあるときは、自分自身になり一体となって信じ合うことができています。この状態のときは、無理に環境で自分を追い込まなくても自分の意志にあわせて身体が動いてくれます。朝早く起きて何かをしようとするときに自然に無理なく起きることが出来、健康健全で手伝ってくれるのは御互いの信頼関係が築けているからです。自分を少し優先してくれて自身がそれを支えてくれれば、ほとんどのことが融通無碍に自由自在に愉しく取り組んでいくことができます。

しかしもう一方で、自分と自身が不信になり信頼関係が結べていないと自分と自身が敵対関係になります。すると、自分がやりたくても自身がついてきませんから常に自分と自身で御互いに追い込み合ったりいがみ合って仲が悪くなっていては何をするにも無理をしないといけなくなります。朝早く起きて何かをするのも言うことをきかず、無理やりに目覚ましや何か環境で追い込んではなんとかしてしまうのです。環境を追い込んで無理やり自身を抑え込んだにせよ、自身と自分は同居していますからいつまでも仲が悪いままでは済まされません。如何に御互いに信頼関係を結んで折り合いをつけるかが大切で、これが他人との信頼関係を築くうえでもとても重要な要素になってくるのです。

自分自身と仲良くしていくには、信頼関係を築いていく実績が必要です。言い換えれば自分自身が御互いに甘えずに信頼を優先して協力していくことの集積があって、御互いがチカラを合わせて乗り越えていくことができるように思います。それは決して自身が言うことをきかないからと無理やりに環境で追い込むのではなく、自分自身と対話をして断捨離をし覚悟決心を定めて実践していくことだと思います。

実践というものは、自分自身の協働作業とも言えます。互いに信頼し合っているからこそ実践は続けていくことができます。実践できたという一日一日の積み重ねこそ、信頼関係の構築であり、御互いに「よく頑張ったね、有難う、御蔭様、恩にきるよ」という自分自身との励ましや思いやりが、周りへの信頼にもつながっていくのでしょう。

まず何かを判断する前に、自分自身が逃げていないか、甘えていないかを確認したら、後は真摯に実践を遣りきって内省していけば本らの自分自身に出会えるように思います。この世に産まれてきて、一生涯ずっと寄り添ってくれるパートナーは自分自身です。子ども達が自分自身のことを好きになるためにも、正直に信頼し合える関係を築いていきたいと思います。