仕事でも作品でも、善いものはそれにかかわった人たちの想いが籠っているものです。それぞれに和の心で仲良く進めて、一つの目的のために力を合わせて協力して取り組んだものはその結果にも顕れてくるものです。これはモノづくりだけではなく、おもてなしでもいえることで、何かに関わる人たちの柔和な心というのは知らず知らずのうちに大きな影響を与えています。それを真心とも言ってもいいと思います。
しかしもしもそれを歪んだ個人主義で、それぞれがバラバラに自己主張をし仲が悪いままで進めているとその想いもまた仕事や作品に出てしまいます。割り切ってや、切り分けてなどとしていても無理にそうしたものが結果に出てしまい残念なことになってしまいます。関わる人たちの険悪な心というのは知らず知らずのうちに同じように影響を与えます。
人は自分が無意識に周りとの人間関係を崩していく人と、意識的に周りと仲良くしていける人がいます。それはその人の生き方の癖でもあり、基本を見つめ直す必要があるように思います。
基本とは、その自分の心がどちらにあるかということです。最初からつながりの中で進めている人と、バラバラの状態で進めている人がいます。自分ができればいいのだと、周りから助けられることを求めようともせずに自分さえよければいいと進めている場合はつながりぎは切れています。一緒に進めるのは、協力し助け合わなければできないという多くの御力添えをいただきたいという謙虚な心があるからできるのですが、一人でできる、認めさせたいといった傲慢な心が出てくることがあるのです。
全ての応用には基本がありますが、その基本とはその人の心の姿勢とも言えます。基本として感謝できているか、基本としてさせていただいていると思っているか、基本として授かったものだと思っているか、基本として和を尊び助け合い一緒につながっているか、また基本として丸ごと信じているかなど、その基本がカラダに沁み付いているからこそはじめて仕事も作品も、また周りとも柔和に愉しく取り組んでいくことができるのです。
そういう基本を身に着けなければ、知らず知らずに人間関係も険悪になり、何をやっても仲が悪くなってしまい、いくら技術力や能力があっても助け合いや協力が発生せず、自己満足の偏った仕事や作品になってしまい最終的には長続きしなくなるように思います。
まず自分の基本姿勢がどうなっているかを、他人に正してもらえることが素直さや謙虚さのようにも思います。自分が勘違いしているものを、自分が刷り込まれているものを気づき、それを改善するための実践を積み重ねて習慣づけていくことで次第に自分の悪習も見直されていくと思います。
一人になることが一人前と教え込まれた教育で人はみんなつながりを自ら切りバラバラになりました。本来は人間というものは一緒になることが一人前です。海外は個人主義で個人の能力ばかりを開発しますが、私たちの先祖は和を尊び、集団や仲間とチカラを合わせて仲良くすることで一心同体一緒にやってきたことで様々なことを乗り越えてきました。今でも個人が優先されると欲を抑え込めず世界はますます混迷を深めています。だからこそつながりやご縁、一緒にといった協力助け合いの地球一家であるという心が大切になってくると私は思います。
一家というのは、家族であるということです。家族は一緒ですから、いつもつながりの和の中で仕合わせに暮らしていくことを重んじています。
個人バラバラは弱くみんな一緒は強い、柔弱は剛強に勝るのもまた自然の摂理です。基本を勘違いしているうちは失敗もまた続きますが、子ども達の未来のためにも今の大人たちが謙虚に素直に日々の生き方の勘違いに気づき、今を堪忍して学び続けて精進していきたいと思います。