人は今まで生きてきた中で自分の価値観というものを形成してきます。それは自分にとって好きなものは何か、自分にとって都合のいいのは何かということが身に付いてきた経過とも言えます。それは言い換えれば「生き方」とも呼ぶものです。どのような生き方をしてきたかが今であり、その生き方の集積が今の自分の価値観とも言うものです。
その生き方を換えることが自分を変えるということです。生き方を換えるような機会に出会えることは仕合せなことですが、みんな自分の生き方を換えてまで何かをやろうとはなかなか考えないものです。自分らしさをはき違えたり、相手らしさというものも勝手に勘違いします。価値観があるから自分の思い通りにしたい、相手を思い通りにしたいと思うものです。実際に自分がしないかどうかとは考えずに相手に求めては期待をするのは理念を実践するのとは異なります。
イエローハットの創業者である、鍵山秀三郎さんの掃除道があります。今では日本全国でその道を学び掃除に取り組む人たちが大勢増えていますが最初に自分の会社で掃除を始めたとき、社員は誰もしてくれなかったそうです。しかもその掃除をしている鍵山社長の手をまたいでいったといいます。 社員がみんな自主的に掃除をするまで10年はかかったといいます。それでも「掃除をしなさい」と強制はしなかったそうです。自主的にやらないと本物にはならないと気付いていたからです。
その鍵山さんの言葉にはなぜ理念を実践する必要があるのか、なぜ価値観を超えて人格を磨き心を成熟させていく必要があるのかの理由が示されているように私は思います。そのいくつかを紹介します。
「この国をよくするのは、財務大臣でもなければ、総理大臣でもありません。国民一人ひとりの、ほんのちょっとした生き方にかかっています。」
誰かをあてにし期待するのではなく、自分自身が実践することが生き方であり覚悟であるということです。
「人間は義務でやらなくてもいいことが、どれだけできるかということが、人格に比例していると思います。」
主体的に自ら気づき自らを変革できるものだけが人格を高めていけるということです。義務ではないということが磨いているという証です。
「いままで、誰にでもできる平凡なことを、誰にもできないくらい徹底して続けました。そのおかげで、平凡の中から生まれる、大きな非凡を知ることができました。」
自分の生き方を換えることで世の中そのものが変わるという体験のことかもしれません。マハトマ・ガンジーが「世界を変えたければまず自分が変わることだ」という遺訓があります。
これは価値観のことを言っています。相手に変わってもらおうと思っても他人をあてにして自分の世界を変えることはできません。なぜなら自分の価値観がこの世界の見え方を決め、自分の価値観が実際の素直な世界とズレて見えているからです。
自分の価値観に固執し頑固になり、相手に自分の世界通りにいてほしいという欲望がある限り、世界はいつまでもとどまったままで何も変わることはありません。だからこそ思い切って自分の方を変えていこうとすることで、今まで気づけなかった新たな価値観に出会い自分自身の価値観をゼロベースで修正していくことができるのです。
自分が間違っていると気付くには理念が必要ですが、その理念に対して間違ったと気付いたならば柔軟性をもってサラリと変わってしまうことが謙虚さであろうと思います。そのサラリと変わるには、地味な実践が必要で日々にコツコツと理念に対して反省し内省し自分の価値観が独善的にならないようにメンテナンスする必要があるのでしょう。
価値観が異なることは別に悪いことではありませんが、一つの価値観を押し付けるというのは世界を縛り付ける妄想を拡大させているだけかもしれません。世界は本来は自然のように変わらずに存在しています。その自然の手ほどきを受けられる素直で謙虚な心をいつまでも忘れないように精進していきたいと思います。
私たちの理念「子ども第一義」とは、単なるらしさではなく子どもにどんな生き方を遺して譲っていきたいかということです。価値観で理念までも私物化し歪めることがないように克己復礼しつつ日々新たに理念の実践を深めていきたいと思います。