彼方の海道 参

昨日は久高島にきて、御嶽を中心にいのりの場所を巡りました。夜には満天の星空を見上げて夜半まで仲間たちと語り合うことが出来ました。かつての先祖の心に思いが宿る場所で思いに心を寄せて思いを馳せると、きっと悠久の暗闇の中で星々が煌く天を見上げて、波の音響聴き、風を受け止めて炎の揺らぎの中で天と対話していたのではないかと感じます。

今の時代のように一晩中、街中の街灯が光っていては夜が持つ暗闇というものの価値や星空というものの魅力もまた感じることができなくなっているようにも思います。私たちは朝から夜になるまでは太陽の明るさで気づきませんが、空の向こうにはたくさんの星々が瞬いています。夜になり太陽の光が消えると、そこには地球と同じように星たちがそれぞれに息づき広大な宇宙の中で循環している様子が実感できます。

暗闇の中には、眼には見えないとても大きな御力も働いているように思います。暗闇はとても暖かく、眼でみるのを已めてしまう時、本当の慈愛のようなものを感じるものです。それはまるで、自分が宇宙の中で自由な星の一つになったかのような感覚を憶えます。畏怖を超えたとき、そこにはつながりの中にある仕合わせと歓びがあります。

御蔭様で昨夜は一晩中外で星空を眺めていたら、たくさんの流れ星を見つけることができました。流れ星は日々に約400トン、1年で約15万トンほどの塵が地球に降り注いでいるともいいます。これを100年、1000年、そして1億年、10億年と積み重ねていくと私たちの星は流れ星の砂によって覆いかぶさっているようにも感じます。先日、あるクルーからこの砂はどこから来たのかと聴かれましたが、それは流れ星から来ているという直感もまたありました。

あの流れ星は一体どこからきてどこにゆくのか、そして私たちは一体どこから来てどこに向かおうとしているのか・・・光から闇へと琉れた球(玉)は、闇から光に回帰していきます。闇の中の光は、光の中の闇へと流れは移り変わります。そしてあけの明星が顕れもっとも光りだすころ、それまでの星屑たちは次第に姿を消していきます。

星のいのちもそれぞれに宇宙の中で意志があって旅をし星々を廻り、意思があって根を降ろします。古から魂は宇宙を旅し、そして宇宙を旅した中で隕石や流れ星となり、新しい宿り先を辿っていくのでしょう。

いのちは生物非生物、生物無生物を超えて出会い語り合うのかもしれません。どんな出会いがあるか、それはひょっとしたら1億年に一度の出会いかも知れません。もしくは10億年の一度かもしれません、そしてその瞬間はほんの数時間かもしれませんし、数十年かもしれません。

それでも必ず星たちは”出会う”のです。

星空に出会うことは、自分自身に出会うことです。海の道を辿ってきた先祖たちは、星空を見上げては天と一体になって自分自身との対話をしていたのでしょう。地球と背中を合わせて地球に背中を任せてこれたのは、天を見上げて地球の未来を信じていたからかもしれません。

あの彼方の海道にある先祖が目指した真の暮らしの実践は、時を色あせず今でも星空を見上げれば思い出すことが出来ます。祖親が祈った生き方を子どもたちのためにも譲っていけるよう今回の久高島での不思議な体験を忘れず力強く実践していきたいと思います。