謙虚さと柔軟性

今年も自然農の畑に高菜の種を蒔き、来年に向けて高菜が育つのを見守ります。自家採種した種はもう3回目になり、季節の廻りを共にしてきた種をまた土に戻すのが心地よく、農家の人たちの愉しみが感じられ仕合せな気持ちになります。

年々同じ作物を見守り続けていると、カラダが自然にどうすればいいかを憶えています。それは頭で考えているのではなく、カラダが自然にその作物の生育と一体になってどう動けばいいのかを身に着けているのです。

これは作物に限らず、共に暮らす動物や虫たちも何が好みでどのようなリズムで生きているのかをカラダが憶えます。鶏が朝の挨拶をする時間に自分もすっと寝床から起き、このブログを書きはじめます。猫も同じ時間に起きては、すり寄ってきて挨拶をしてくれます。犬はもっとゆっくり起きてきて、小屋から出て来ては周りを見渡せるところでゆるりと過ごしています。

その他、カラスが活動をはじめ鳩がその後に鳴きはじめます。そうやってそれぞれのリズムで日々の生活を送る生き物たちのいのちをカラダが自然に聴いています。

私たちは本来、自然の一部であり自然の生き物です。

時間通りに決めて自分たちの思い通りになるように頭で考えて生きてもいますが、実際は自然のリズムに沿って私たちは暮らしてきた生き物です。どのようなものを育て食べ、どのような環境の中で周りを活かしながら住んできたかはかつての生き物たちと一緒に生きて観たらすぐにカラダが思い出すものです。

今ではスーパーで一年中あらゆる野菜を食べれますが、実際に野で作物と一緒に暮らしたらすべてには旬があり、その季節でしか食べれないものばかりです。それをうまく組み合わせて一年の食べ物を確保し、その作物の生育にあわせて自分たちの仕事や環境を柔軟に変えてきたのでしょう。

柔軟性が消失するというのは、自分の思い通りになるような生活ばかりを送ることで硬直し頑固になり変化できなくなっていきます。変化というのは思い通りにならない中にこそあり、自然に沿って自然体に謙虚に生きていく中に存在します。

変化しなくなるものは自然淘汰されていくのは自然の道理です。

変化を已まない暮らしというものは、全体に対して常に自分のカラダを合わせていき、自然の流れに従って逆らわず応じていくような柔軟で素直な状態を維持していくことです。それは自然の中に入っている自分のように、周りがもっとも活きる中で自分を活かしていくことに似ています。

自然から学び直す中でもっとも大切なものは謙虚さであり柔軟性です。

柔軟性は理念や初心といった自然の本筋、天地の王道に合わせる生き方をしていくことのように思います。三つ子の魂を持っているあの子ども達のように常に自然から学び、自らの変化を愉しんでいきたいと思います。