小野田寛郎という人がいます。この方は太平洋戦争終結後も含めてフィリピンのルバング島で約30年間戦い抜きその後帰国した方です。他にも横井庄一さんといってグアムで約28年間ジャングルの中で生活した残留兵の方がいます。
この方々は、戦争が終わったことが知らされずその後、その場に留まり任務を貫徹されていた方々です。すごい精神力と体力、そして覚悟で生き抜いてこられた方だと思います。
その方々の遺した言葉や、その人生の自立した歩み方をみると私たちが今忘れてしまっている大切なことを思い出されます。
戦時中は、常に死が隣り合わせにありました。死を意識しない人などおらず、常に死を考えてはどう生きるかを考え抜いて生きておられた方々ばかりだったといいます。今は、平和ボケしてしまいむしろ死を思うことなどはほどんとありません。そんな状態の人たちがもしも小野田さんや横井さんのような状況下に置かれたら何十年も生きていくということはできないと思います。
日本人の精神に「覚悟」というものがありました。世界ではサムライスピリットとか言われ「侍魂」のことをいうと思います。この侍魂の定義はどうなっているかというと「高潔で誇り高く、何者にも屈しない強い意志と、穢れることのない心とを併せ持つ、極めて純粋な想いを根源とした、自己犠牲的精神」であると言います。
シンプルに言えば「高潔で正直、真心の義徳人」というのでしょうか。私はお二人の残留兵であった小野田さんと横井さんにその心を感じました。
戦争云々の話ではなく、兵隊がどうかでの話でもなく、どのような生き方をなさった方々かをみるとき、日本人の精神を持っている人とはこういう人なのだろうと感じるのです。
そのお二人の言葉には色々と印象に残るものがあります。
「死というものを考えたうえで、毎日毎日を自分らしく力いっぱい生きていくということで、自分が思っている以上の大きな力が出るものです。そうすれば、自分でも納得できる生涯が送れるのではないでしょうか」(小野田寛郎)
「人間ジャングルと申しましたのは、戦後、人間の心が変わってしまったと感じるからでございます。、、私はこれから、失われた日本人の心を探し求めたいと思います。、、勤勉な心を失った国民が本当に繫栄したためしはありません。、、食糧の大半を輸入に頼っているようでは独立国家と申せません。、、、子が親を大切にしないような教育、生徒が先生を尊敬しないような教育などあってたまるもんですか。そんなものがあれば、それは教育と言えません。」(横井庄一)
「遊んでいるように見える小鳥だって、天敵から逃げたり戦ったり、食べるために必死で餌を探して営々と努力しながら生きてきているのです。人間も同じことだと思います。のほほんとしてはいれられないと思うのです。」(小野田寛郎)
「不要なものは食うな 着るな 使うな。物質的にはケチケチ作戦を実行しながら、なにかひとつ精神的になにもかも忘れて打ち込める趣味を持つことです。」(横井庄一)
「生きることは夢や希望や目的を持つこと。それらは教えられたり強制されたりしても、湧くものではない。自分で創り出すしかない。甘えてはいけません。」(小野田寛郎)
直接お会いすることはできませんでしたが、その「日本人らしい」とは何かをお二人の姿から深く考えさせられました。今、中国と米国が緊張状態に入り、いつ戦争がおきてもおかしくないような緊迫した世相になってきました。小野田さんもインタビューの中で、戦争はある日突然起きると仰っていました。それまでの生活が一変すると仰っていました。
国際社会の情報戦の中で、本当のことが国民には見えなくなっていますが世界は今大きな岐路に立っています。人間は太古の昔から何度も何度も同じ過ちをおかしてしまうものです。
だからこそどう生きるかというのは、それぞれに与えられた命題でもあります。私たち一人一人が変革できるのは、どれだけ「日本人らしく」なっていかのようにも思います。一つのお手本があれば、世界はそのお手本を通じて学び直していきます。
グローバリゼーションの中で、自立する心を失ってしまっては言い訳ばかりを上塗りするような生き方をしてしまうものです。そうならないように、お二人の示した姿から日本人とは何かを今一度見つめ直したいと思います。
歪んだ勤勉、歪んだ努力、歪んだ高潔ではなく、正直で真心、高邁な精神と高潔な志に生きた侍魂を持っていた先人たちをお手本に精進を続けていきたいと思います。