初心を忘れないこと

昨日、「忘」という字についてのことを書きました。人が人生の目的を忘れてしまえば木偶の坊のようになってしまうと江戸しぐさの中でも紹介されていました。この木偶の坊とはあまり今の時代は使われませんが何かといえば、「木偶」は木彫りの人形、または操り人形のことを指し人に操られるだけで、自分では何もできないことから、ぼうっと立っているだけの役立たずの人をたとえていう言葉です。

初心を忘れて自分で考えなくなっている状態は、心が亡くしているという意味です。

ではなぜ初心をなくすかということです。

人は人生の目的というものを誰しも本来は持っています。遠くを慮れば今どうあるべきかということを思い出せるものです。諺に「遠慮なければ近憂あり」というものがあります。言い換えれば、近くのことを憂うばかりだから遠慮がなくなってくるとも言えます。

あまりにも不安を抱え、心配事ばかりに終始していたら本来何のためにやっているかなど考えなくなっていくものです。人は何かを判断するとき、損得で判断することがあります。自分にメリットがあるかどうかで考えていることがあります。しかし実際は、自分のメリットは誰かのデメリットになりますからいつも自分勝手に判断していたらその陰で辛い思いをしている人や迷惑をかけている人がいたりします。

だからこそ判断基準は、みんなが倖せになるかどうかであったり、周りがよろこんでくださるかどうか といった全体にとって自分が善い存在になろうと判断することで迷惑をかけていることを自覚し感謝を忘れないようにしているものです。

またそうやって決めたことや、自分がどう生きるのかを定めた初心や理念を決めた心のままに維持していくために実践があります。自分が決めたことを自分が忘れたらこれはもう救いようがありません。自分が決めたことだからそれを忘れないようにするのは自分にしかできません。

自分で決めたことを自分が忘れると心が泣いてしまいます。人はそんな時、心を亡くしたことを思い出して涙します。その涙を忘れないようにいつまでも心に決めたままでいることが実践でもあります。実践をするとき、頭では考えられなくても心は安心します。心が安心するのは実践を続けてくれているからです。実践を続けるということは、心が決めたままの自分を自分が維持し続けているということです。

忘れるというのは、単に暗記力が低いということを言うものもありますがあれは頭で終始行われるもののことです。本来の「忘れない」というのは、暗記ではなく心が決めた人生の目的や初心、理念を忘れることがないという意味です。

いくら忘れないでくださいねといったとしても、その人が実践を怠ればすぐに忘れてしまいます。一緒に心を寄り添っていくことの大切さは、「私は忘れていませんよ」といったその人が思い出せるように見守ることです。

自分を低く見て、理想を低くするというのは自分で初心を忘れてしまっているといっても過言ではありません。その人の理想を聴けば誰しも崇高な理念を持っています。その崇高な理念を周りからバカにされようがやり遂げることこそが理念を持つということだと思います。

理念を持ったなら忘れないために実践することだと思います。

吉田松陰に「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。」があります。

自分の夢を忘れたり、自分の夢を卑下したり、自分の夢を亡くしていたらせっかくの一度きりの自分の人生を深く味わっていくことができません。一度きりの人生だからこそ、味わい深く悩んで愉しんでいくのが初心の有難さです。

初心を忘れないということは、全ての根本です。

引き続き、実践を増やし高めて継続していきたいと思います。