鐵は金の王哉り~たたらの魂~

先日、御縁があり刀工上田祐定さんの文化包丁を譲っていただきました。かねてから「たたら製鉄」に興味があり、古来からの砂鉄を使い「鐵」を用いたものがいのちが吹き込まれているのを実感し、日本刀の持つ美しさにその鐵の魅力を感じたからです。

現代の鉄は、洋鉄といい鉄鉱石から鉄を取り出した鋼を使っています。しかし古来の日本は砂鉄を用いた玉鋼というものを使っていました。玉鋼は日本刀製作において最も刀の出来に関わるため日本刀は玉鋼を用います。たたら製鉄により砂鉄から精製する鉄を玉鋼と呼びます。洋鉄は鍛錬すると段々脆くなりますが、玉鋼は飴のように粘りが出て折れ難い柔軟な鉄になる性質があるそうです。古来から「玉」という響きは、「魂」を顕しています。魂が宿る鐵だからこそ「玉鋼」と呼んだのでしょう。

また同じ鉄でも鍛錬すればするほどに脆くなるものと、鍛錬すればするほどに柔軟になるのとでは意味が異なります。以前、映像で海外の刀と日本刀との違いを実験していた番組がありました。その中で唯一、鉄を切れるものは日本刀だけだということを話していました。その時、本物の強さや切れ味とは柔軟性であるということを実感した覚えがあります。

私も今の時代の鉄は鉄といい、古来の砂鉄からの鉄のことは「鐵」であると区別しています。この「鐵」という字は、その字を分解すると「金の王哉り」と書きます。つまりは金の王であるということです。

この鐵は生き物ですから、刀工はその鐵の生き物を扱い、火と水と土と木と光と闇を使い錬金術を用い新たないのちになるように熔け合せていきます。刀鍛冶の魂を感じるこの「たたら製鉄」での日本刀は何よりも私たちの祖親たちの魂の伝承のように思います。

「鐵」は、それ自体がとてもいい音がします。その響きを聴いていると、その音から意志をも感じるものです。無生物であろうとも、私たち日本人はそこにいのちを感じて、そのいのちを活かそうとしました。

時代が変わっても、私たちがどんな生き方をしてきたか、何を大切にしてきたかは子どもたちに伝承していきたいと思います。これから包丁として日々に実践していきますが、いつの日か自分の手でたたら製鉄を実践してみたいと思います。

新たなインスピレーションをいただき、有難うございました。鍛冶の言葉には人格形成するための様々な格言や言葉に溢れています。鐵を打ち鍛錬することの本質を、鐵から学び直してみたいと思います。