故事に「鉄は熱いうちに打て」というものがあります。これは鍛冶から発生した言葉で、鉄は熱して軟らかいうちに鍛えろという意味です。そこから精神が柔軟で吸収する力のある若いうちに鍛えること、また物事は関係者の熱意がある間に事を運ばないとあとでは問題にされなくなるというたとえとして使われています。
鉄を鍛錬するときに、何回も何回も打ち形にしていきます。鍛錬とは、厳しい修行により自らを鍛えていくこと、そして練り上げていくことですがここで最も大切なのは「熱」があることであるように思います。
鉄に限らず、全てのモノが変形するには「熱」が必要です。炭を燃やして黒かったものが真っ赤になり透明な炎がそのものに宿るとき、そこに新たないのちが吹き籠ります。
その時、科学では遠赤外線という言い方で表現されていますが独特の熱が発生します。この熱は、「万物をとかす」チカラを放ちます。そしてその熱により、他の物質が影響を受けて熱が通っていきます。その熱が通った状態で、別のモノへと変化させていくというのは自然の叡智です。
これは太陽の熱が地球の生き物たちを変化させていくのと同じです。それを見極めた先祖たちは、それを錬金術をはじめ日頃の料理や、その他の道具作りに活かしました。
人間では、人格形成でこの熱のことを用います。それは「情熱」のことです。人はやる気といったモチベーションというものがあります。何をするにも自分が燃えていなければ変化することはありません。いくらチカラがある鍛冶職人であろうとも、燃えていない鉄は変形させることはできません。燃えているからこそ、それを鍛錬して見事な美しい姿へと換えていくことができるのです。
燃えるというのは如何に不純物を取り払うかというのに似ています。火のチカラをもって、不純なものを燃やしていくことで最期は真っ白な灰になります。灰になるというのは、跡形もなく姿かたちが燃えきってしまった姿です。
情熱を燃やし続けるというのは、灰になるまで燃えきったということです。それは燃やされて燃える灰もありますが、やはり最期まで燃えるものは中からの炎によってのみ燃え切るように思います。
情熱は、「すぐやる」ことと「しつこくあきらめない」ことの矛盾の中で燃え盛ります。実践も同じく、すぐにやることと地道にやることがあって 情熱の炎は自分自身の心に宿り続けるのです。
冷えてしまう、冷めたという言葉はその真っ赤な炎が魂に宿ることがなかったということです。湿気た炭になってしまったら、火がつかないだけはなく湿気た炭自体が爆ぜてしまい周りにも危険で多大な迷惑をかけてしまいます。これは人間でもいえることで、組織を壊していく原因になります。
だからこそ自分自身だけでも情熱を燃やし続け、仲間を増やしどんなに水をさされてもそれを簡単に蒸発するくらい燃えたぎる情熱と熱意をいつまでも持ちたいものです。
そして炭にもまた一生があり、はじめの頃と全盛期と降りる時期があります。だからこそ情熱もまた次世代へとつないでいく必要がります。炭から学び火から学び鐵から学び直す日々ですが、しっかりと情熱の意味を深めつつ子どもたちのために実践していきたいと思います。