人は受け容れることで前に進むものです。そして受け容れるとは、話を聴くことからはじまります。先日から「聴く」ということをテーマに話すことが多いのですが、本来の聴くことは受け容れることであり、聴くことは前進するということです。その逆が停滞することであり、否定するということです。
人は何でも否定から入ると受け容れる余地を残しません。受け容れるというのは、聴き容れるということであり、自分の価値観の中に新しい考え方を取り容れるということです。変化というのは自分が変わることですが、変わるためには他人の話を聴き容れる素直さが必要です。齢をとってくればくるほど、頑固に自分を守れば守るほどすぐに否定する生き方の癖がついてしまいます。否定から入ってしまえば、できないことまでできるふりをし成長する機会を逃してしまうかもしれません。
稲盛和夫さんの言葉に『実際にはできないことを、できるようなふりをしてはいけません。まずできないことを認めて、そこからスタートするのです。』があります。
これもできないことを認めることが他人の話を聴き容れるということであり、それが前進をするということを表しています。相手の話を聴いて、「確かにそれも一理ある」と思えるかどうか、最初から否定して「違うそうじゃない」と頑なになるかはその人の「聴く姿勢」に由るものです。
聴けないのは、自分の価値観が優先され他の価値観は排除しようといった素直ではない物の視方があるからです。自分が正しいと思い込む前に、もしかしたら自分が間違っているのではないかといった矢印を自分へと向ける努力があってはじめて人は他の人の話を聴くことができるように思います。自己肯定感というのも否定を已めることで身についていくものです。話を聴くから人は自信を持つことができ、話を聴かないからいつも自信がなく不安になるのです。
地球上で生きられる私たちの人生は自分だけのものではなく、他の人たちにも同様に人生があり、多種多様な価値観があるように多種多様な正解もまた存在するものです。自分だけが正しいといっては他を間違っていると思い込むのはあまりにも視野が狭いように思います。
如何に多くの矛盾を受け容れて、丸ごと一つの円の中で物事を受け容れ福にするか。それを私たちは聴福人と呼びますが矛盾があってもいい、違いがあってもいい、衆智を集めて皆でチカラを合わせていこうというのがみんなが心を一つにして仲良くしていく人格を磨いていくことだと思います。違うからこそ認め合え、異なるからこそ助け合えるのです。社會はそうやって協力し協働することで仕合わせになり、それが厳しい自然の中で生き残ってきた人類の智慧なのです。
話すことで摩擦をうみますが、摩擦は磨くことでもあり、どう自分の心で素直に聴けるかで自らの魂をも磨いていけるように思います。聴くことがどれだけ大切かは、聴き容れたあとの自分の変化によって気づくと思います。そして聴くことができるとき、そこには思いやりの残り香が薫ります。
子ども達のためにもどんな声も聴けるような素直な心を高めていきたいと思います。