主体性の発揮2

昨日、主体性のことを書きましたがこの主体とは使われる人になるのではなく使う人になるということであり、単に生きている人ではなく活かす人になるということでもあります。

主体的な人が環境を使いこなすというのは、組織でいえば組織に使われる人間ではなく組織を使う人間であること、そして社會でいえば社會に生きている人になるのではなく、社會を活かす人になるということです。

人間というのは、御互いを尊重することで認め合い助け合うことができます。それが人間であることの原理原則であり、人間はお互いの役割を活かし合うことで仕合わせを感じて愉しい人生を送ります。言うことを単に聞けばいいといった受動的な存在でもなく、機械の歯車のような部品になることを望んでいる人間は本来はいないものです。

しかし実際は、業務や職務をこなすことを優先し仕事はしても本来何のためにやるのかという目的を忘れては日々に使われる人になって疲れている人がいるものです。目的を忘れない工夫ができる人はどんなことがあっても主体性を失いません。そしてその目的があるから自分の役割を果たそうと誰が見ていようがいまいが精進するものであるし、どんな時も心が着いてきますから遣り甲斐や生きがい、そして働きがいを持つことが出来るように思います。

人は初心を忘れることで使われる人になり、初心を忘れないで使う人になります。目的意識というものは、他人から管理されるものでは身に付きません。如何に自分を自分自身で管理するか、つまりは自分に打ち克ち自分の目先の欲望よりも理想を優先するチカラを持てるかということが肝要です。それは言い換えれば常に理念を優先する持続力、忍耐力、信念、志、克己心を腹に据えるということができるということです。

人は目先の目標ばかりを追っているうちに、本来の目的よりも目標が達成することがやる気になっていたりします。もちろんそれも大事ですが、その目標は本来は大切な目的が合ってそれを細分化することで観えてきた部分の一部でしかありません。大きな目的があることを忘れない人は、どんな些細なことであれそれが全体の目的に繋がっていることを自覚しますから心を籠めないことはありません。

目標は手を抜きサボり怠けることもできますが、目的はそうはいきません。もしくは目標をマジメにさえすればと無理をし続けることも目的に対して不真面目かもしれません。働き方と生き方の一致というのは、どこまで自分が目的に対して忠義を盡しているかということでもあります。

大義を持てる人というのは必ず遣り切りますからどんなことをしていてもその人生は意味を持ち楽しく充実したものになります。

この世界をどのようにしていきたいかは、自分の観えている世界観の変革に由るものです。ガンジーの遺訓に「自分が見たいと思う変革に、自分自身がなりなさい」「私たちの偉大さは、世界を作り替える力にあるのではなく、私たち自身を作り替える力にある」とあります。

自分を目的に合わせて変えていくことこそが主体性であり、主体性を発揮するというのは世界を変えている実感を持っているということです。自分の日々の実践が、どんなに小さなものであっても、大河の一滴であったとしても、それが必ずいつかは人間尊重の仕合わせに一役買うのだと信じて自らが様々なことを引き受けさせていただく気持ちで取り組む人には受身という言葉がなくなるものです。

引き受けること、させていただけるのは組織に忠実だからやるのではなく目的に忠実だからこそできることです。如何に目的そのものを見て、目的そのものになるのかが中心だということでしょう。

自分らしさとは人間らしさですから、子ども達の未来に常に人間らしくいられるように主体性を発揮する生き方を示していきたいと思います。