クニの真玉~光と初心~

かつてクニ造りのはじめに、「大国主」と「少彦名」の二人が私たちの繁栄の礎を築いたと古事記や日本書紀にはあります。大国主がクニをどのように治めていけばいいかを天に問い、海から光の玉と共に顕れたのが少彦名です。

この二人はまずこの国の理念を定めます。それは大国主の様々な物語がその生き方を示しています。因幡の白兎の話、その後の黄泉の国での素戔嗚との話、クニ造り、クニ譲りとどんな人物であったのかはその神話から想像で近づけます。

そして参謀でパートナーでもあった少彦名と共に、その徳の統治の手段を「医」と「農」によって行います。これは今の言葉に直せば、「医」は養生の在り方、そして「農」は暮らしの在り方を示します。

少彦名については、農業技術、のみならずあらゆる産業の祖とされその方法を伝授し国を富させました。この親祖はカミムスビの子であり「天津神」といって天照大神と同じく、天界の神様の一族です。その少彦名との出会いがなければ、大国主は国を繁栄させることはできませんでした。

古事記と日本書記にはこうあります。

「百姓(おおみたから)今に至るまですべて恩沢を蒙る」(古事記)

「オオナムチの神、スクナヒコナの神と力を合せ心を一にして、天下を経営り給う。又、顕しき蒼生及び畜産の為に即ちその病を療むる方を定む。又、鳥けだもの虫の災異を攘わん為には即ち、呪(まじな)いの法を定む。これを以て、生きとし生けるなべてのもの恩頼を蒙れり」(日本書紀)

つまりは、全ての人々がこの少彦名と大国主の御蔭様で元気に幸せに暮らしていくことができていると示します。この二人がいなければ、私たちのクニははじまらず存在すらしなかったということです。それくらい重要な人物こそがこの少彦名です。そしてその少彦名は国の発展と共にいなくなります。少彦名がお役目を終えこの世を去ると、大国主が一人でどうしたらいいのかと途方にくれます。すると三輪山の大神山にて光の玉に再び出会い、少彦名に出会った時の「初心」を思い出し、下記のような天津神の太祝詞を唱えます。

「幸魂(さちみたま)、奇魂(くしみたま)、守りたまえ、幸(さきわ)いたまえ」

ここに、何を祈っていけばいいのかをはっきりさせ、少彦名のいなくなった後もクニを治めていく覚悟を決めるのです。

出雲は今でも根のクニ(島根)と呼ばれます。私たちの暮らす島の根があり、その根とは心の故郷のことです。心の故郷に真心はいつまでも伝承され、いつまでも遺る神話や遺跡から先祖たちが私たちに譲ってくださったものが何かを感じるとることが出来ます。

時代が混迷期に入るとき、人は初心に帰る必要があります。今のクニにもっとも何が必要か、これからの未来の子ども達に私たちは何を譲り遺していくのか・・・。

もう一度、少彦名と大国主の実践したことを省み、私たちの故郷にある真心を学び直していく必要を感じます。光の玉によって気づくとありますが、この光の玉は真玉と言い、これは真心のことです。

光る真心とは徳のことであり、民を思いやり、その声を聴き、衆智を集めることによって全ての発展の理念としたということです。孔子が仁の政治を説きましたが、この神話を聴いたらなんといっただろうかとおもいを馳せます。

今の私たちの先祖には脈々とはぐぐまれた徳の血脈が遺っています。

根の心に触れて、また新たな心で御縁を深めていきたいと思います。