玄米との出会い

もともと私が玄米食になったのは、若い頃に続けた生活の不摂生とハードワークで大阪で倒れたことが起因になっています。その頃は、毎晩深夜まで取引先との会食、朝早くから移動や挨拶、営業活動、商談と、一人で何役もこなしていました。車で移動することも多く、よく車中泊をしたものです。その頃の食生活は今思うと悲惨なもので、ほとんどが菓子パン、もしくは栄養剤、時間があればファーストフードかカップラーメンばかりを食べていました。

一年中、休日は休まずに移動日にし、月曜日から日曜日まで休むことなく3年くらいはぶっ通しで働いたように思います。その頃は休みというのは、接待のない土曜日に健康ランドにいくくらいなものでした。営業成績は常にトップでしたから、それを落とさないために人の数倍時間を削り仕事だけに専念していました。仕事以外の優先順位はみんな下という感じです。食事はもちろん、睡眠などは最下層だったように思います。

それがある年末、一日で今年も終わると安心していたのか、突然お客様の前で倒れ込むように意識を失ってしまいました。すぐに日赤病院に搬送されたのですが、ベッドが空いておらず医師からは「極度の過労」という診断を受け自宅療養と言われましたが倒れたのが大阪だったため帰宅しようにも帰宅できないでいたところそのお客様だった方が「一人でビジネスホテルに泊めるのはあまりにも可哀想だ。子どもは今グリーンピースで世界旅行中だから子どもの部屋でいいのなら」と親切にご自宅へ泊めていただいたのです。

そこからも大変で激しい嘔吐や下痢、猛烈な寒気と40度を超える高熱が出ていっそ死んだ方が楽じゃないかと思ったほどで、病院からは即入院で2週間は点滴をとあったくらいでしたから食べるものなどは一切見たくないほどの状態でした。

しかしそのお客様が私にまず梅肉エキスを煎じたものをもってきて「これを飲めば吐き気が止まる」と言われ、泊めていただいているのに断れないと必死に飲んだら、今度は玄米粥をつくってくれて「これを無理してでも食べなさい」というではなですか。その時、親切を受けたのはいいが誤った判断をしてしまったと後悔したのですがこれも善意であったためちょっとずつ食べてみました。

その後、また意識を失い2時間ほどくらい眠ると驚くほど体調がよくなっていました。そして枕元には「きっと夜中にお腹がすくから」と一筆添えられ玄米おむすびを4個ほど置いてありました。

嘔吐下痢が酷かったのでまさかと思いましたが、その後時間が経つにつれお腹が空いてきて玄米おむすびを一個、また一個と食べていると元気になってきました。その時の美味しかった玄米の味は今でも憶えています。

私の玄米との出会いは、あの時でした。

あれから色々ありましたが、今では玄米食は日々のものになり今でもその玄米に助けられています。かの食育の祖、石塚左玄も玄米食の大切さを説いています。その石塚左玄も自分自身の持病との葛藤の末、「食養生」を産み出し、それを統合する「無双原理」ということをこの世に遺しました。

玄米は無双原理の中心にあるものです。

得難い御縁というものは、一見自分には不幸に見え、悲惨な出来事のような中であっても、その中に天の声というか手を差し伸べてくださるものに出会うようなものなのかもしれません。

あの出会いがなければ、今の自分はなく、あの食事がなければ今の自分の食はない。玄米との初心は、いつもあの時食べた玄米おむすびの味の中です。

子ども達のためにも、自分のカラダで感じたこと、体験したことは嘘がありませんからそれを多くの同じように困っている人たちへと伝えて世の中を元気にしていきたいと思います。