神道では「むすひ」という概念があります。むすひは、むすびであり、結びでもあります。また、産霊や産魂ともし発展していくことを顕しています。
よく神社には「おみくじ」というものがあります。これはその時々の神託を心を澄ませて聴くことで、また一つ御縁を学ぶためにもあります。よく占いでおみくじをひく場合もありますが、本来は何を教えてくださっているのかと心静かに素直に拝読していくことが「むすひ」の意味と合致しているように思います。
そもそも造化発展していくむすひのチカラというのは、自然の持つチカラでもあります。自然界は全てを無に帰そうとするチカラが働きます。それに対してもう一つ自然は、共生というチカラを使いその無に帰そうとするチカラと融和しようとします。これらの矛盾は自然の持つ本来のハタラキであり、それらを総じて「むすひ」と呼び、魂をこの世で磨いていく環境になっているともいえます。
畢竟、この世に存在するということは魂を磨きにきているということもここから分かります。
では神社の意味が何かということをここから深めてみると、やはり魂を磨くために存在するように思います。祓い清め、掃き清め、心を澄まし自然の霊亀に心身を委ねて原点回帰していくことは穢れを洗うことにもつながります。これらの清浄化することは、先ほどの無に帰すことと同質化しています。そこに融和するハタラキである共生が出てきます。神木に苔がむして何百年もこの世に存在するように、杜は共生を顕し、その杜と共生することで魂磨きの砥石にします。
これは人間と菌の関係も同じく、御互いに弱いところを補って共に助け合い共生することで自然に無に帰すチカラに融和しこの世に末永く遺り御互いを見守り合うことで魂磨きを成就させるのです。これこそ偉大な「むすひ」の徳恵です。
かつてから流れている自然界にある一本のせせらぎ、そしてかんながらにある一本の道、そこには共に助け合いそして結びあった足跡が遺っているものです。
おみくじひとつひいたなら、それを見て天の助けが入ったことを感謝しその真心と如何に自分の真心が結ぶか、大吉か凶かが問題ではなく助けてくださっている御蔭様を感じるその共生感謝の念こそが何よりも大切だと私は思います。
日々は自分勝手に解釈をして、本当にその人が伝えてくる真心をうけとらず、自分の都合ばかりを優先しますが、少し謙虚に物事を偉大な大恩人、尊敬する祖神を前に教えていただいているという気持ちで聴けるようになりたいものです。
魂磨きは磨くことに目的がありますから、永久に途上です。
私が子ども達の発達に関心があるのも、この「むすひ」のチカラを信じているからかもしれません。何を守ることが、子どもを守ることか。発達とは発展の権化です。子ども達のためにも、縁結びを大切に助け合い見守り合う生き方を譲り遺していきたいと思います。