文化づくりの本質

組織にはどんな組織にも知らず知らずのうちに慣習というものが生まれることがあります。それは暗黙のルールといっていいかもしれませんが、前例主義といって今まであったことが当然のルールのように不文律として存在してしまうことです。

例えば、ある会社では「上司が残業していると帰ってはならない」とか、「お昼ご飯は先輩が先だ」とか、「結婚したら出世できない」とか、「お局さんの言うことは絶対だ」とか、その組織組織において誰が決めたわけでもなく暗黙のルールが存在して組織の健全な成長を阻害することがあるのです。

これは過去に発生した事例をよく確かめもせずその場の空気を読んで勝手に理解することで広がっていくものです。オープンでない職場は、「なぜ」が質問できず、思い込みできっとこうだろうといった推測で噂が広まり変なルールが次々に生まれていきます。

常識などもそうですが、今までの前例でこうだからきっとこうだろうというのは経験することで思い込むものです。参考になる話に「蚤の実験」というのがあります。これは虫かごに蚤を入れても2メートルを飛べる蚤はすぐに飛び出しますが虫かごの上に2分以上下敷きの蓋をして飛び出せなくすれば下敷きを外しても決して外に飛び出せなくなるという話です。これは心理学では、「心理的限界」と言います。

人間も一端、こうだと思い込むとその思い込みをなかなか取り払うことができないのです。かつて上司から怒られたり、誰かが叱責されているのを見聞きし、きっとこうだろうと推察をして、空気を読んで訊くのを我慢することで蓋をしてしまうのです。そしてこれが集団というものの本質なのです。

そういうものが集団に何年も残っていると、それはもう伝統文化のように根づいてしまいます。もちろん、文化は善いものもありますが同時に悪いものも残ります。それをどう時代や環境の変化に合わせて刷新していくかが組織改革のカギにもなるし、自己改革の要でもあります。

本来、暗黙のルールや不文律というものは目的や初心、本質から考えてそれぞれが個々で納得して理解し活かすものです。それが目的や初心、本質が分からないから前例主義になり、もしくは空気を読んで我慢するようになります。

もしも理念や初心があるのなら、このルールはおかしいと思えば自分から刷新すればいいし、理念や初心に照らして守り続けたいルールならばそれを大切にすればいいのです。しかし「何のために」といったことが明確でないから周りの空気を過度に読んだり、今までのことで失敗しないように周りを気にして思い込みのルールに従うように思います。もし理念や初心がないのなら、やはり組織は暗黙のルールや不文律、一般常識や思い込みが蔓延していくと思います。

空気を読むというのは、日本人の特徴であり、それが例えば、嘘をつかない、人を騙さない、困っている人を見たら助けるといった道徳に沿った不文律の暗黙のルールであれば構わないのですが、もしもよくある村八分のように逆らうものを無視したり、追い出したり、いじめたりするものはそれは本来の目的に回帰していないから発生するように思います。

今の時代、社會の価値観も多様化していますからあらゆるものを話し合い、語り合い、オープンに認め合う中で折り合いをつけて御互いが仕合わせになることを優先していかなければ一つの価値観だけで組織や集団を管理することはできず、それで組織や集団の効果を最大限発揮できることはありません。

今は、老いも若きもなく、男性女性もなく、それぞれの持ち味を活かす時代に入ったとも言えます。こういう時代は、暗黙のルールや不文律で従わせるようにするよりも、御互いの違いを理解したうえで互いを認め合ってそれぞれの個性や持ち味をどう活かし相乗効果を発揮するかを考えた方が愉しく和やかに働いていくことができるように思います。

そのためには、まず理念や初心を明確に示し、その中で自分たちでその都度話し合っていくことで豊かなオープンなルール、思いやりやその時々の組織に合った風土が組織に醸成していけるように思うのです。本来、ルール作りというのは正しいことに従わせるためのマニュアル作りではありません。ルール作りというのは文化づくりですから、どのような理念で文化を醸成するかということなのです。

そしてこの文化づくりというものは常に目的に沿って行われることで温故知新してその文化のいのちを維持していくものです。そしてその一番の恩恵を被るのが後人の人たちや子ども達です。後人の人たちは伝統文化に触れることで、理念や初心を確認することができるからです。ゆえに伝統に取り組むということは、文化に取り組むことなのです。

組織の発達と発展の証とも言える伝統文化を創り譲るためにも理念や初心を大切に取り組んでいきたいと思います。