心の詩~人生の詠声~

人生を歩んで往く中で、様々な音楽に助けられるときがあります。自分の心情を詩にして音楽を謳うことは、自分の心を見つめる気がして勇気づけられたものです。これは、思い返せばみんな人間はそれぞれに葛藤があり、その葛藤を乗り越えたいと願い頑張っている人を見ると元気がでるからです。

それは「一人ではない」と実感することであり、仲間がいることや同志と心がつながっていることを実感し「絆が一緒であること」に仕合せを感じるからのように思います。

私も思い返せば思春期に「尾崎豊」に出会い、その歌詩に本当に多くを支えてもらいました。その頃は、あまりに純粋で弱くそして理想は限りなく高く、真実を見つめて自分の人生の意味についてもがき苦しみ葛藤していた時の頃です。

今でも尾崎豊の詩を聴き音楽に耳を澄ませばあの頃の心を思い出します。今では自分の子ども心もあの頃よりは少しだけ逞しくなり理想も身近にあり、真実は足元見出し、人生の意味は内省により深まり真心や天命の意味も感じられるようになってきました。どのときの心も自分の心だったし、その心が育ち、尊い今があることを実感すると理想と現実の真っただ中で無二の人生を謳ってきたことを感じます。

人間の「詩の歓びや謳う倖せ」は、「人生を謳歌する中に在る」様に思います。

私たちが今も音楽に心魂を委ね、謳い続けているのは生きている証拠であり、その心がいつまでも発達し発展し続けている証拠です。だからこそ人間は一緒に謳える仕合わせを感じたいのです。

心が感じたことをあるがままに謳いあげるのは、このブログもまた音楽なのかもしれません。

人間が心情を吐露し、純粋さをさらけ出すことは勇気が要ることですがその自分の詩が誰かの御役に立てるのなら生きているうちはずっと謳い続けたいと子ども心は願います。子ども達も日々にそれぞれに自由や平和や愛を謳い、この世に生きようとしますから。

この世に生きた先輩たちの詩はいつまでも子ども達の耳を通して心の奥に遺っていきます。これからも子ども達と一緒に自分らしい詩を、自分にしかできない声でこれからも詠っていきたいと思います。