理念を優先~私心を取り払う~

先日、理念経営について話をする機会がありました。そもそも理念=経営ですから経営の技術として理念を使うのではなく、経営か理念かと使い分けているのもまた本来の理念からかけ離れたものです。どれだけ理念を優先順位の第一義に維持できるか、そこは己に克ちつづけるしかありません。

しかしこれが分からずいつも我に呑まれ刷り込まれてしまっている人が多い様に思います。己に負けてしまっていることにも気づかず、我が使い分けをしてはさも理念をやっているように錯覚してしまうのです。自分を中心にして、物事を分別しているようではカラダで会得したものではなく所詮頭で仕分けたものですから実践が本物になったわけではありません。

実践が本物になっているというのを気づけるかどうかは、己に克っているかということを内省することでその感性を磨いていくしかないようにも思います。まず己に克っているかどうかの判断の前に、自分の私心はどうなっているのかということに気づいているかどうかがあります。

人は誰しも私心を持っています、つまり我があります。その我を優先している人は、私心に呑まれていることにも気づかずに理想理念をも自分の都合で捻じ曲げていきます。本人はちゃんとやっている気になっていても、先に己心の魔、私欲と私心が優先されていますからそれは理念を優先していることとは異なります。

人間はなんでも自分の思い通りにしたい、自分の都合ですべてを動かしたいと思っていますからその考え方が根底にあれば無意識に自分の分別で良し悪しを勝手に決めては自分の都合の良い正義を持ち出しては理屈、正論を述べてしまいます。そうなってしまうと、反省もまた自分に都合のよい反省を繰り返すだけで自分を変化していくことはいっこうにできません。

人が変化するのは、理念を優先しているからでありその理念に合わせて自分の方を変えていくからこそいつまでも素直で謙虚なままでいられます。日々に気候が変動して服装を着替えていくように、日々に体調に合わせて過ごし方を変えていくように、常に世の中の変化に対して自分が順応していくように、相手を変えようと思わずに自分の方をパッと変えていける人こそ柔軟性がある謙虚な人とも言えます。

この逆に、いつまでたっても何をいっても自分のイメージや自分の姿の方を守ろうとし自分を変えまいと頑なに固執していると変化に取り残されていきます。理念を観て動いている人は、別に頑なな自分をいつまでも維持しようとは思わず楽しみながら自分を変化させていきます。それは私心よりも理念を優先するからです。故事に「聖人は無欲ではなく大欲である」という言葉があります。

理想理念といった大欲があるからこそ、自分の小欲に固執しない、私心に囚われないことが理念を優先した生き方ということなのでしょう。理念がありながら単なるお題目になって何も自分が変わっていかないのは、宝の持ち腐れになることもあります。

本来の宝を活かし、自分を光らせていくためにも理念を優先しているかどうか、自分の方を理念に合わせて変化させているか、私心を取り払い個性を発揮しているかと見つめていきたいと思います。

美しい暮らし~民藝の心~

日本刀をはじめ、かつての民藝品や伝統工芸品を深めていると「美」とは何かということが観えてきます。昨年、美しい暮らしと御縁がありそこから美について深めていますがこの美というものが如何にその美を創る人間と深い関係があるかということを実感します。

日本民藝館の柳宗悦は、「美」を民藝の中に見出した方です。日本民藝館のHPにその民藝の定義が記されています。

『下手物(げてもの)とは、ごく当たり前の安物の品を指していう言葉として、朝市に立つ商人たちが使っていたものであった。この下手物という言葉に替え、「民藝」という言葉を柳をはじめ濱田や河井たちが使い始めたのは、1925年の暮れである。「民」は「民衆や民間」の「民」、そして「藝」は「工藝」の「藝」を指す。彼らは、それまで美の対象として顧みられることのなかった民藝品の中に、「健康な美」や「平常の美」といった大切な美の相が豊かに宿ることを発見し、そこに最も正当な工芸の発達を見たのであった。 また、柳は独自の民藝美論を骨子とした初の本格的な工芸論『工藝の道』(1928年刊)を著し、工芸美の本道とは何かを説き、そして来るべき工芸のあり方を示した。また、1931年には、雑誌『工藝』を創刊する。この雑誌は、「暮らしの美」を啓発する民藝運動の機関誌として重要な役割をはたしていった。 』

柳宗悦は暮らしの中にある美を「用の美」と定義し、「用とは共に物心への用である。物心は二相ではなく不二である。」と言います。そしてこうも言います。

「人々は美しい作を余暇の賜物と思ってはならぬ。休む暇もなく働かずしてどうして多くを作り、技を練ることができるであろう。汗のない工藝は美のない工藝である。」

汗のないものづくりの中に美はないと、ここでの汗のなさはその人のものづくりの改善を通して行われる人格陶冶することのない汗のことではないかと私は感じます。直向きに改善を続けていく姿勢の中に温故知新があり、またその中にこそ真のものづくりがあります。

柳は「過去のものといえども真に価値あるものは常に新しさを含んでいる。」とあります。この真に価値のあるものとは、理想に向かい改善を怠らない克己の新しさのことではないかと思います。四書五経大学にある「日々新た」の新しさのことです。

ものづくりにおいて何よりも日本人が大切にしてきた心は美しい暮らしの中に遺っています。それは日本人の人格を遺すという願いと祈りなのかもしれません。人格を修め、人格を高めることがものづくりの職人たちの目指したところだったのかもしれません。人事を盡して得た他力によって仕上がった品物を観るとき、そこに人格陶冶の真髄を観たのかもしれません。人がもっとも美しいと私が感じるのは、懸命に真心を盡して澄まされ清らかな姿を観た時です。人が一心に研ぎ澄ましそのものと一体なって解け合い透明になっている瞬間には、真心を感じます。

その真心を観るとき、私たちは「美」の本質を直感しているように思います。日本人の暮らしの道具の中には御互いを思いやる美の精神が随所に遺っていました。これらの美の本質は謙虚に過去から今へと紡いできた後世の子ども達のことを思う親心に似ています。

最後に、

「されば工藝の美は伝統の美である。作者自らの力によるものではない。自らに立つ者は貧しさと虚しさに敗れるであろう。よき作を守護するものは、長い長い歴史の背景である。今日まで積み重ねられた伝統の力である。そこにあるのはあの驚くべき幾億年の自然の経過が潜み、そうして幾百代の人間の労作の堆積があるのである。私たちは単独に活きているのではなく、歴史の過去を負うて活きているのである。」

まさに御蔭様や他力、自分のチカラではなくかつての日本人のチカラによって今があることを忘れてはならないという柳宗悦の自戒が感じられます。子ども達のためにも、暮らしの美しさを日々に実践していきたいと思います。

日本の伝統

永い時間をかけて手作業で産み出されたものに伝統工芸があります。伝統工芸品の中には、その作者が誰なのかが分からなくてもそこに籠められた思いや心が作品に投影されているのが分かります。手に取ってみると、どのように使われてきてどのように使われたいのかが分かるような気がします。これもまた作品に魂が宿っている証かもしれません。

日本民藝館の柳宗悦にこんな言葉が遺っています。

「実に多くの職人たちは、その名をとどめずこの世を去っていきます。しかし彼らが親切にこしらえた品物の中に、彼らがこの世に活きていた意味が宿ります。」

これは誰の人生でも同じことで、たとえ有名ではなくても名前がこの世に残らなくてもその人の生き様は確実にこの世に活かされていきます。そしてその生き様が後の世の人の発見や伝承によって意味が宿るのです。

成功ばかりを望んでいるのではなく、自分の人生を懸命に打ち込むことで作品を遺すという生き方から私たちは伝統の価値を知ります。

また日本という個性と特色においてもこういう言葉で表現しています。

「近代風な大都市から遠く離れた地方に、日本独特なものが多く残っているのを見出します。ある人はそういうものは時代に後れたもので、単に昔の名残に過ぎなく、未来の日本を切り開いてゆくには役に立たないと考えるかも知れません。しかしそれらのものは皆それぞれに伝統を有つものでありますから、もしそれらのものを失ったら、日本は日本の特色を持たなくなるでありましょう。」

新しいものしか価値がないと思うような世の中の風潮もありますし、流行ばかりが人気で儲かるからと追いかける人もいます。しかし世の中の多様性が消失し、画一化されて個性のないものばかりが溢れてしまえば特色はなくなっていきます。

一見、オルタナティブと呼ばれる少数の存在は実はそれこそがその国の特色になるものでありその他大勢が特色とは呼ばないのです。多様な特色を併せ持つからこそ、その国のカタチもはじめて観えてくるものであり、そういう個性を大切にする人々が持ち場持ち場で踏ん張っているからこそその他大勢の個性も活かされ過去から未来へ大切な願いや思いが伝承されていくのです。

伝統というものは、太古から受け継がれてきた私たちの精神文化です。その精神文化をカタチにした人たちが職人であり、その職人たちの作品によって私たちは個性を自覚することができ尊重するように私は思います。

最後にまた柳宗悦の言葉です。

「無名の職人だからといって軽んじてはなりません。彼らは品物で勝負しているのであります。」

本当に善い仕事とは、有形無形の品物となって後世に語ります。私たちが取り組む子どものための仕事もまた、現場の中に顕れます。どれだけ子どものためになったかは、子どもの姿の中に顕れます。私たちの作品は、子ども自身だからこそ未来の子ども達がそれを証明すると思います。

かつての日本の職人たちに恥じないように、日本人としてやり遂げていきたいと思います。

 

偏見よりも感覚を信じる

人がその人を観るのにその人を観ずに立場や肩書を見ようとする人がいます。例えば、どこの大学出身だとかどの企業に勤めているとかもしくはどんな役職でとかでその人のことを確認したりするものです。

しかしその人そのものを観るよりもその人の肩書を見た方がその人のことが分かるというのはほとんどないと思います。特に一生を伴にする人を選ぶのにその人の肩書だけで決めるということはしないように思います。実際にその人のことを知りたい場合はその人の人柄に触れ、どんな人物なのかを見極めることが人付き合いには必要のように思います。

もちろん人によっては肩書きなどに頼らず、その人の人望や人柄をよく観察し人を見極めるのが得意な人もいます。沢山の人たちと付き合っていく中で、信頼できる人や信用できる人、そういうものを直感するチカラが長けている人もいます。周りが凄いと思っているからすごい人と思ったり、世の中が評価するからきっと評価通りの人だと思ったり、そのうち自分の価値観が出来上がり偏見が入ってくるように思います。結局、誰かが決めた評価基準に従って判断することが慣れてしまえばそれを鵜呑みにして自分で判断するチカラがなくなっていきます。

人物を自分の目で観て、自分の耳で聴いて、自分の感覚で確かめるというような五感を使って行う判断よりも、誰かの評価に従った方が安全で安心だと思いこんだりします。そして自分で判断しないことをいいことに、誰かのせいにしたり言い訳をしているうちに余計にまた立場や肩書重視の偏見に陥っていくようにも思うのです。

実際にもしも肩書きや立場、職業などがなくなったとき自分が一体どうなっているのかと考え直してみてみるといいように思います。職業がその人ではなく、その人がその人なはずですから人は職業に集まるのではなく人望に集まっているのです。だからどの時代でも人望のある人はたとえ肩書きがなくなってもその人は他人に求められますし、志と実行力がある人はどんな場所にいても他人から探し出されるものです。

人が本来、人を観るのに大切なのはその人の人格ではないかと私は思います。

人格を磨き高めている人や、道の実践者、道の体現者は肩書きがなくてもその人が放つ場の雰囲気やその人の様相をみると一目でただならぬ感じがするものです。肩書きや立場などがない動物や昆虫の野生の世界は、相手が強いか弱いか、どういう存在かを直感しているはずです。生き残りをかけた自然界の中で伴に生き残るために誰と一緒にいるかの判断を間違うと大変なことになるからです。生き物たちはその感覚を伸ばし、生き残るための大切なセンスを養い続けているように思います。

誰に着いていくのか、誰と一緒にやるのか、この誰とは生き残りに深く関与します。それを大きな企業だからとか、公務員だからとか、肩書きを見てこの人は安定しているからとかそんな基準で選んでいてはセンスが磨かれないようにも思います。偏見こそがセンスを鈍らせ、センスは偏見によって失われていきます。

自分の目で観て自分の耳で聴き、自分の手で触る。

こういう五感を磨いていくことが、偏見を取り払う大切な体験なのかもしれません。子ども達が偏見によって差別し、差別によって苦しんでいる人たちがたくさんいます。個性すらも障害と呼ばれる時代、世間にある偏見に惑わずに自分のことを信じられるようになるためにも、自分の五感を使うということの感覚を磨いていくことを実践していきたいと思います。

日本刀の心

昨日、渋谷にある刀剣博物館に訪問する機会がありました。古刀から新刀、現代刀に至るまで様々な日本刀が展示されていました。改めて日本文化の一つ、日本刀について深める機会になりました。

日本刀は、国宝の中の一割を占めるほど日本の代表的文化の一つです。

ちょうど平安時代頃に、今の日本刀の原型が産まれそれからずっと時代と共に刀が息づいてきたとも言えます。日本の神話では、素戔嗚の尊が八岐大蛇を退治した天叢雲剣といった三種の神器があります。これは勇気を顕し、その勇気の証が剣になっているとも言えます。

そして日本刀には武士の心があると言います、そしてその道の実践には忠義があります。この忠義を実践するということは、義、勇、仁、礼、誠、智、信などの徳目を磨き自分の精神や魂を高め続けるという覚悟で生きるとも言えます。

例えば戦国時代の武将が放つ言葉の中に、その忠義の覚悟が読み取れます。

「いざとなれば損得を度外視できるその性根、世のなかに、それを持つ人間ほど怖い相手はない」真田幸村

「仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。礼に過ぐればへつらいとなる。智に過ぐればうそをつく。信に過ぐれば損をする。」伊達正宗

「武士は常に、自分をいたらぬ者と思うことが肝心だ。」
「真の勇士とは責任感が強く律儀な人間である。」加藤清正

「大事なのは義理の二字である。死ぬべきに当たってその死をかえりみず、生きる道においてその命を全うし、主人に先立つ、これこそ武士の本意である」上杉謙信

損得を超えて、道義や道徳のためにいのちを懸けていくのが武士とも言えます。そして死を前にしてどう生きるかを定め、その中で自分の決めた生き方を貫くことを優先する勇気があるかどうかが武士の実践とも言えます。

この「勇気」というもの、これは不安、恐怖、その他のものから逃げずに立ち向かうチカラ、信念を貫くチカラのことです。武士はこの徳目を実践し、自らを高め、それを日本刀の中に見出したのかもしれません。

刀鍛冶や研ぎなどの工程の中に、その日本刀の出来上がるまでの忍耐が見えます。この日本刀という道具は死を覚悟した人が持つ道具です。そしてその死を覚悟して信念に生きる人が持つ道具でした。その信念を貫けるように折れないものを鍛錬し、研ぎ澄まされた切れ味を磨きあげたとも言えます。侍や武士が持つのに相応しい、それが日本刀の心であろうと私は直感しました。

勇気と忍耐は表裏一体ですから、ここからさらにもう一つ深めてみようと思います。子ども達に日本人のことを伝えられるよう、日本の心を学び直していきたいと思います。

 

恩徳循環

人間はこの世の中のあらゆるものが循環していることを見失い目先ばかりを追いかけると、今の恩徳を感じられなくなるものです。また自分のことばかり心配をして、周りが見えなくなってしまえば余計に不幸なことばかりを思い幸福であることに気づけなくなるように思います。

人が視野が狭くなるのは、目先の心配に心を奪われ循環していることに気づけなくなるからです。循環を忘れないためには今まで受けた御恩のことを思うことのように思います。今まで生きてこられた事実の中に、未来への希望が存在します。もしも未来が見えなくて暗闇に包まれたとしても過去の御恩を思えば充分過ぎるほどいただいてきたことに感謝することができるように思います。またその感謝の心があれば、人は心に余裕ができ自分を見失わないでいられるようにも思います。

二宮尊徳翁の余話に下記のような話が遺っています。

「翁はこう言われた。世の人情の常で、明日食べるものがないときは、他に借りに行こうかとか、救いを乞おうとかする心はあるが、さていよいよ明日は食う物がないというときには、釜も膳椀も洗う心もなくなるという。人情としてはまことにもっとものことであるが、この心は、困窮がその身を離れない根源である。なぜなら、日々釜を洗い、膳椀を洗うのは、明日食うためで昨日まで用いた恩のために洗うのではないというのだが、これは心得ちがいだ。たとえ明日食べる物がなくても、釜を洗い膳も椀も洗い上げて餓死すべきだ。これは、今日まで用いてきて、命をつないだ恩があるからだ。これが恩を思う道だ。この心のある者は、天意にかなうから、長く富を離れないであろう。富と貧とは、遠い隔たりがあるわけではない。明日助かることだけを思って、今日までの恩を思わないのと、明日助かることを思うにつけて、昨日までの恩を忘れないのとの二つだけのことで、これは大切な道理なのだ。よくよく心得るがよい。」

困窮が離れない根源は、恩を忘れるからだと言います。そして天意に適い富が離れない理由は恩を思うからだと言います。そして昨日までの恩を忘れないことが何より大切な道理であると言います。

恩恵を思い、恩恵を忘れず、恩恵のための実践を行うものには常に豊かであるということを言うのでしょう。それは私にすれば循環の理を実践するものは、循環の中にあるから心配がないということに感じます。

その上で二宮尊徳は「報徳」といって、恩に報いることが徳であるとしました。報徳訓にはこうあります。

「父母の根元は天地令命に在り  身体の根元は父母の生育に在り  子孫の相続は夫婦の丹精に在り  父母の富貴は祖先の勤功に在り  我身の富貴は父母の積善に在り  子孫の富貴は自己の勤労に在り  身命長養衣食住の三つに在り  衣食住三つは田畑山林に在り  田畑山林は人民の勤功に在り  今年の衣食は昨年の産業に在り  来年の衣食は今年の艱難に在り  年々歳々報徳を忘るべからず。」

以上のことを忘れないでいることが常に困窮を離れる妙法であるということなのでしょう。恩返しや恩送りは社會を豊かに育てていきます。子ども達のためにも、恩を中心にした世の中の仕組みを考案し恩徳循環の実践を高めていきたいと思います。

 

恩の循環

「恩」という字があります。恩は自分が誰かや何かから受けた恵みのことです。よくこのご恩は忘れませんという言葉や、いのちの恩人というような使い方をします。この恩は、御蔭様の気持ちを忘れない心のことでありいつも自分がいただいている偉大な恩恵を忘れずに過ごしていることを実感し続ける謙虚な心でもあります。

ドイツの詩人ゲーテに「忘恩は一種の弱点である。有能な人で忘恩だったというのを、私はまだ見たことがない。」があります。自分の力でと勘違いすることほど弱点であり、恩を忘れない謙虚な人は皆それぞれに強みを活かすことができるのは周りの御蔭に気づいているからかもしれません。

そしてこの「恩」という字を、致知出版社の藤尾社長はこのように解釈しています。

『「恩」という字は「口」と「大」と「心」から成っている。「口」は環境、「大」は人が手足を伸ばしている姿。何のおかげでこのようにして手足を伸ばしておられるか、と思う心が【恩を知る】ということである』

自分が伸び伸びと日々に暮らしていけるのは、その蔭に本当に多くの方々の見守りがあるからです。両親をはじめ、先祖の方々、今まで自分を育ててくださり自分を助けてくださった本当に多くの方々がいることで今の自分が存在します。あの出会いもあの気づきも、あの言葉もあの親切も、もしくはあの厳しさもあの悲しさも、すべては今の自分をつくってくださった御蔭様の一つです。

恩を知るというのは御蔭様を知る心であり、御蔭様をいただいてばかりだからこそ何か自分も同じように恩返しができないかと感謝の気持ちに満たされるとき「恩」の意味を自覚できるように思います。しかし恩はその人にお返しすることはできず、その人もまた他の人の御縁によって恩をいただきそれを他の人に送っているわけですから同じように恩送りをして人と人の間で恩を循環していくしかありません。

そしてこの恩の循環のことを繁栄というように私は思います。

社會を発展させ繁栄させていくというのは、人類が倖せになっていくということです。そして人類の幸福を願うなら、この恩の循環を通して社會を繁栄させていくしかありません。その社會の繁栄は、自分の日々の生き方次第で行われますから日々の恩送りの実践こそがより善い社會を育てていきます。

その実践とは、受けた恩よりも少しでも多くを他の人の送ることです。ペイフォーワードという映画もありましたが、これは社會を育てていく最善の方法のように感じた記憶があります。

受けた恩や恵みを自分のものだけにせず、誰かに一つ多めに付け足して送っていくことが豊かさを約束し皆を仕合わせにしていく自然の摂理です。恩の循環を忘れないように御蔭様の心を実践していきたいと思います。

 

ちょうどいい

人は自分の都合で物事を考えていくものです。自分の都合の良いときに選んだものが後には都合が悪いと思ったりします。その時々の都合で良し悪しを決めている生き方は、執着してこうであらねばといったネバネバした生き方になってきます。

人はこうでなければと執らわれると、様々なことが都合が悪くなっていきます。その逆に、どちらでもいいと気にしない人は都合に合わせて自分は平気です。これらのことはものの見方の問題であり、さらにどんなことも自分の今に相応しい、今の自分にちょうどいいと思っている人は困難を機会だと前向きに捉えて楽しく挑戦していきます。

小林正観さんの話の一つにこういうものがあります。

「すべてがあなたにちょうどいい。 今のあなたに今の夫がちょうどいい。 今のあなたに今の妻がちょうどいい。 今のあなたに今の子供がちょうどいい。 今のあなたに今の友人がちょうどいい。 今のあなたに今の仕事がちょうどいい。 死ぬ日もあなたにちょうどいい。 すべてがあなたにちょうどいい。」

これは仏教の大蔵経の中に出てくる言葉だそうです。全てのことを受け容れて「ああ、自分にはこれがちょうどいいんだ」と無理をせず感謝に転じることができるのなら全てのことは有り難いと思えて次第にちょうどいいと思えるようにも思います。

人は与えられていることの奇跡よりも、思った通りにならないことに不平不満を感じます。どこまでも足るを知らず、さらにさらにと求めていきます。片一方では嬉しいことを得ているのに、もう片一方の嬉しくない方ばかりを見たりします。ないものねだりをしていると、ちょうどいいことが分からなくなります。

実際にちょうどよくないかと尋ねてみたら、自分にもっとも相応しいものを天が与えてくださっていることに気づけるはずです。そこに気づけるのなら、その御恩に報いようという気持ちが出て来ます。

ちょうどよいものに出会うのは実は当たり前ではないことに気づくことのように思います。ちょうどよい生活、ちょうどよい仕事、ちょうどよい自分、ちょうどよい今、このちょうどよいは全て当たり前ではない奇跡に出会っているということです。

その今を有り難く受け止め、その奇跡に感謝できるとき人はものの見方を転換していけるように思います。困難もちょうどいい、孤独もちょうどいい、苦労もちょうどいい、試練もちょうどいい、辛いこともちょうどいい、周りの人もちょうどいい、御縁のタイミングもちょうどいい、運もちょうどいい、年齢もちょうどいい、環境もちょうどいい、ちょうどいい、ちょうどいいと念じてちょうどよいことの有難さに気づこうとすることが足るを知り自分が本当に恵まれていることに自らで気づくことのように思います。

人と比べたり、誰かのことを羨んだり、その人ではない人生を自分の人生と見比べて不足を思うのは足元の幸せを忘れていることであり、自分に与えてくださっている恵まれた事実を見過ごしているからかもしれません。足るを知らない心はすべて私利私欲から来ているものであり、もっともっとと思う心は決して向上心なんかではなく我欲である場合もあるように思います。孔子は「己達せんと欲して人を達せしむ」ともいいました。本当の思いやりの人は、いつでも誰かのためにと自他一体に生きている人です。

「ちょうどいい」ことは足元の幸せに気付くこと、そして多くの見守りに気付いたならそれを大切に使わせてもらうことが人類共生の道理、自利利他に生きることのように思います。今まで人からいただいた御恩を忘れず、それをもっと大きなものにして御恩返しができるように足るを知る心を育てていきたいと思います。

怒りとは

人間には怒りという感情があります。これは原始の感情と言われるもので、自我の一つです。この自我は思い通りにならないときには思い通りにしたいという感情が出て来ます。何かを守りたいや何かをやり遂げたいという時にも、その怒りの感情が助けたりもします。決して怒りが悪いことではありません。

しかし怒りは時として感情に呑まれると周りが見えなくなりその怒りの感情によって自他を傷つけたり自分も負傷することもあります。怒りとどう付き合っていくのかは、人間の成長には欠かせないものです。

一般的な怒りは、私的な憎しみや自分の執着、また正論を振りかざす思い込みなどから相手が間違っていると矢印を向けることで発生します。自分は正しいと相手が間違っていると思えば怒りますが、この怒りは自分の中にある価値観が左右しています。怒ることを憤るとも言いますが、私的なものを私憤といいこれを世の中や大義のためとなる公憤ともいう言い方をします。

怒りをいくら抑えてみても、爆発するのが感情ですから我慢はかえって怒りを増幅していくものです。怒りをコントロールしようとするものもありますが、私は怒りは悪いものとは思っておらずそれをどう義憤に転じるかが大切だと感じているのです。

人は同じ怒りでも、理念があればそれを善いものへと転じることができます。世の中の人々のためにや、世界平和のために、もしくは子どもたちの未来のためにや、苦しんでいる人々のためにと、その怒りを私的なものではなく世の中のためにという大義に転じて怒りを活用すればいいのです。

怒りが悪いと思い込み、感情を押し殺したり、感情を持たない無機質なものになろうとしたら世の中は一向に変革に向かいません。人が怒りがあるのは元気な証拠であり、元気さの背景には愛や慈しみがあったりするものです。

三木清がこういうことを「人生論ノート」という著書で記しています。

「今日、愛については誰も語っている。誰が怒について真剣に語らうとするのであるか。怒の意味を忘れてただ愛についてのみ語るといふことは今日の人間が無性格であるといふことのしるしである。切に義人を思ふ。義人とは何か。怒ることを知れる者である。」

憎しみと怒りは意味が異なり、怒りは純粋で深い真理があるともいえます。仏教では以前拝見した蔵王権現や不動明王などには「憤怒」という慈悲の表情があります。世の中を憂い、私欲に打ち克ちそれを大義にまで昇華することは慈愛であるということでしょう。

私利私欲の私憤ではなく、利他に生きる義憤はその人の中にあるチカラの源泉です。自らを修め、己に克つ実践を続けていくことで人は成熟しその怒りを慈愛にしていくことができると私は思います。

怒ることが悪いのではなく、怒りを何のために使うのかが大切ということです。

人間の全ての感情には確かな意味が存在します、その感情も使い方次第、ものの見方次第でいくらでも活かしていくことができます。感情を否定するのではなく、感情を受け止めてそれを善いものだと捉えること、言い換えれば全てをポジティブに転換することで物事はより一層、成熟し豊かになっていくように思います。

人の心に寄り添って生きることは、その人のことを丸ごと肯定して信じ切ることです。引き続き子どもたちの手本になるような大人たちを目指し、精進していきたいと思います。

指示命令とマネジメント

世の中の状況は、かつて右肩上がりと言われた何をやっても収益が上がり拡大成長した時代からバブルが崩壊し右肩下がりになり低空飛行のような状況になっているともいえます。そもそもバブルというものが本来はおかしな状況であり、いつまでもそれが続くこともなくまたそれが訪れるという幻想もあるはずがありません。しかし右肩が上がりで成長していくという幻想はいつまでも刷り込みとして教え込み、教育や仕組みも戦後のものがほとんど変わらずにそのままです。

例えば組織では、個を強くして個をできるようにと育成してきました。一人の力で何でもできるようになるようにと指導し、組織に入れば役割と責任を与えました。そしてリーダーになるか、リーダーを支えるためにサポートするかという選択を決められそれに従うという方法です。

そこには主に指示をする人と、指示を待つ人という2つに分かれその思考もまたピラミッド構造になってしまいます。管理し管理されるという考え方が沁みこめば自分で考えて主体的に行動するということが分からなくなってしまいます。

管理されることを当然と思ってしまうと、そこには指示と命令がなければ動かない人になってしまいます。指示と命令する方も、指示と命令しなければ動かないと思い込んでしまいます。それが組織の価値観となってしまいます。

今の時代は多様な価値観を持ち、一人ひとりの個性を如何に発揮して衆知を集めて問題を乗り越えていくかといったことがどの組織でも求められます。つまり本来の組織の強みを活かすように原点回帰しているとも言えます。そこでは指示や命令ではなく、「協力」することで御互いの持ち味を活かすマネジメントが採用されます。当然、人が集まるのですからそれぞれが怠らずに自分を活かして貢献できれば組織は成長し続けます。

しかしこの管理型の教育を受けて指示と命令の刷り込みを持っている人が急に個々の主体性を発揮して協力し合うマネジメント型の組織に入ってもすぐに動くことができません。例えば情報共有の仕方などがすべて変わって来るからです。指示で動いてきた人は、事前に情報共有などはあまりする必要はなくそれは指示する人の問題であり命令を待てばいいのです。しかしもしも命令も指示もしない組織は、御互いに最初から一緒に情報共有を続けなければなりません。情報共有をしなければ、御互いの持ち味を活かすところまではいかず空気を読むか指示命令を待つかになってしまうからです。

他にも一人でできることを良しとして育ってきた人は、周りと一緒に仕事をすることがあまりできません。管理され役割と責任を持たされるとその持ち場のことはきっちりとできるようになるために努力をすることを学びます。しかし主体性を発揮し協力する組織になると一緒に仕事をすることが重要になります。例えば、このプロジェクトは誰とやった方がいいか、この場合は誰の持ち味が活きるかというように常に思考は主体的になります。

指示命令で育ってきた人はこの持ち味というものが分かりません。同じことを他の人と同じようにできることを優先し、歯車の一つになりできなければ取り替えるということを良しとする組織観というものの中では個性や持ち味というものは邪魔になることもあるからです。

この組織が変わるというのは言い換えれば生き方が変わるということです。今までと別の組織観の中に身を置くには自分自身がその組織観の生き方に転換していく必要があります。それは身の置き所を単に変えればいいのではなく、自分の生き方そのものを変えるという転換作業が必要になるのです。

理念を中心に何を優先しているかを自覚したら、パッと自分の方を変えていくことが出来る人が柔軟性がある人です。学び直しができる人は常に今までの方法に固執せず、ゼロベースで学び続けていることで可能になります。

引っ張る率いるという方法ではなく、協力し衆知を集め持ち味を活かすという方法をとるのは時代の流れでもあります。

自分ができないことが悪いのではなく、誰と一緒にやった方が持ち味が活かされるか、これも一つの発想の転換です。保育や教育、経営は一つのマネジメントです。引き続き、組織マネジメントの刷り込みについて深めていきたいと思います。