協力の本質

人は自分の責任の範囲というものをそれぞれに持っているものです。例えば、自分の役割が何かということを自分で決めているものです。それは肩書きや立場、組織の中での自分の役割などのことですがそのことから無責任の構図が発生することがあります。

例えば、自分の責任の範囲を決めればそれ以外は自分の責任ではないという考え方があります。自分はこの仕事を貰っているのだからそれはやるけれど、他のことは他の人がやるという考えです。経理であれば経理の範囲しかせず、営業であれば営業の範囲しかしないというようにそれぞれ自分の立場を勝手に決めてはその中の役割や責任だけを果たせば自分は問題なく取り組んでいると思うのです。

しかし実際にはちょっと深く考えたらわかると思いますが、その自分の範囲の責任を果たしても、全体の目的や方針に対する責任が果たせておらずもしもその会社や集団が消失してしまった場合は誰の責任かということになります。一般的にはトップの責任や役員の責任、その組織がなくなるほどの原因をつくった人物の責任といいますが実際は全体責任はそこで働くみんなに責任があったということになります。これはかつて教育で歪んだ個人主義を教え込まれた競争の刷り込みでもあり、自分さえよければいいという利己主義でそれぞれが保身に入る敵対構図の刷り込みでもあります。

アメリカの大統領、J・Fケネディの有名な演説「国があなたに何かをしてくれるのではなく、あなたが国に何ができるかを考えよう」があります。これは一人ひとりが、全体に対して責任を持って取り組もうということに似ています。自分はこの役割をやっているのだからではなく、自分がどれだけ全体の役割を果たせるか、それは自分の範囲を決めるのではなくもっと大きな目的や理念のためにできることは何でもやろうという決意です。

組織が敵対したりバラバラになるのは、自分の立場や自分の役割を決めて相手と対峙するからです。本来の全体目的や大きな目標に向かって総力戦で挑もう、自分が何ができるかを問おうとするのなら敵対ではなく協力になるはずです。協力できなくなるのは、それぞれの自分の立場を守ろうとするから対峙してしまうのです。みんなで一致団結して一家協力して一人ひとりが全体に対して主体的に協力して取り組めば必ず国をはじめ会社、すべての集団は目的を実現できるように思います。

最後に、そのJ・Fケネディの演説のその前後の文章を紹介します。

『世界の長い歴史の中で、自由が最大の危機に晒されているときに、それを守る役回りを与えられた世代というのは多くありません。私はこの責任を恐れず、喜んで受け入れます。おそらく皆さんも、この役目を他の誰かや他の世代に譲りたいとは思わないでしょう。我々がこの取り組みに注ぎ込む精力と信念、そして献身的な努力は、この国とこの国に奉仕する人々を明るく照らし、その情熱の光は世界を輝かせるはずです。そして、同胞であるアメリカ市民の皆さん、国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか。また同胞である世界市民の皆さん、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、人類の自由のために共に何ができるかを考えようではありませんか。』

何かをしてもらおうとばかり考えるのではなく、自分が何ができるかを考える。この主体性があってこそはじめて組織や集団は「協力型」に切り替わります。協力することは、足し算ではなく掛け算になります。相乗効果というシナジーが発生し、一人ではできないと思っていたことが相乗効果によってできるようになるのです。

如何に協力を優先するか、如何に相乗効果を発揮するかは、一人ひとりの主体的な信念と行動、実践にかかっています。引き続き、子ども達のためにも憧れるモデルになるような働き方を目指していきたいと思います。