人間は色々な体験をして成長していく生き物です。
頭でっかちに知識だけが豊富であっても、体験していないものは知恵にはなりません。知行合一、知るということは体験してはじめて知ることができるものであり、行わない知は知識になっても知恵にはなりません。知恵とは何か、それは体験により体得し学んだコツのことです。
そしてそのコツを掴む中でもっとも価値のあるものは、厳しく辛い体験かもしれません。涙を流すような辛い体験で、もう二度とあんなことをしたくないと体に刻まれるような体験はその後その人を謙虚に素直にしていくものです。
人は手入れを行い己の慾の赴くままに調子にのっているとすぐに傲慢の芽が育ってきます。その慾はあらゆることで忍び寄ってきます。だれしも人間は自分というものがありますから自分を愛しすぎてしまうことで物事の実相が分からなくなるからです。
思いやりや真心、自他一体に生きるということはあらゆる体験を通してそれでもどう生きたいか、それでもどのような自分でありたいか、それでもどのような生き方を貫くかと自問自答する中で磨かれていくように思います。
私も思い出してみると、過去に様々なことで傷つき学び直しました。傷つくという言葉は、気づくということです。体験を通して自分の無知を知り、恥を知り、自分が如何に素直でないかに気づくこと。素直でなかったからおかしな習慣を沁みつかせ、素直でなかったから自分に対して平気で傷つけるようなことをした、そしてそれが翻って愛する人たちまで平気で傷つけていた。それまでの歪んだ自分の生活習慣や価値観、自分が自分を傷つけ続けていることに気づくことができるのです。
傷つくのを避けるために自他を傷つけるという斜に構えて生きる癖は、その後も真実を覆い被せ、王道を歩もうとすると何度もそこで足をとられて転んでしまいます。その転んだ時、どのように立ち上がるか、そこに体験から学び気づき自分を成長させるコツがあるように思います。その基本に素直や謙虚さがある人は、かつての刷り込みに気付いて立ち上がる最中に刷り込みを自らで取り払うことができるのです。
人は無意識に、無理をしたり、自分を責めたり、罪の意識を持ったり、自分を特別視したり、他人を裁いたり、自分を許さなかったりするものです。それは自分の子ども心が傷つきたくないから守ってきたことかもしれません。しかし人間は強くなければ優しくなれないし、優しくなければ強くなれません。この世の中で、自分らしく自分を生きて活かしていこうと使命に生きようとするのなら必ず通らなければならないのがこの体験に対する姿勢を磨くということです。
つまり体験をしたことに対する結果がどうこうではなく、その体験をどれだけ素直に受け止めたか、その体験をどれだけ大切に尊重したか、そこに体験の真価があるのです。人の心の成長や魂の生長、そして精神の高まりはこの体験の活かし方に由ります。
子ども達には様々な体験をすることの真価を伝え素直であることの大切さ、そして気づき変わっていくことの楽しさを伝承していきたいと思います。道の持つ深淵に触れる楽しみこそ、学問の醍醐味です。日々に素直な学び直しを続けていきたいと思います。