昨日から新潟の春日山に来て、上杉謙信を深める機会がありました。春日山神社、毘沙門堂、その後、林泉寺に参拝しました。上杉謙信の生き方や思想は、この地に多く遺っています。上杉謙信の「謙信」は、法号であり戒名を不識院殿真光謙信と言います。そして林泉寺には「第一義」という謙信の座右が山門の入口に掲げられています。この法号のはじめにある「不識」というのは禅の達磨大師の言葉です。
「不識」には林泉寺HPにこう紹介されています。
『仏道修業に励んでいた謙信公は、林泉寺八代目の益翁宗謙大和尚「達磨大師の言った不識とはどういう意味か」と問いました。苦修練行数カ月の末、ついにその本旨に達しました。不識の中味に合致した生涯を見出した謙信公は、自ら「不識庵」という号を名乗りました。不識というものの意味は、梁(中国)の武帝と達磨大師の間で取り交わされた問答の中で達磨大師が答えれらた言葉です。不識は、「しらぬ」ということではなく、「ただ頭の中で考えたり、本で学んだ知識などでおしはかれるものではない。あらゆる偏った見方、考え方を捨てて、仏様に身も心も預けて、仏様とともにその教えに生きるとき、初めて真理と自分とがひとつになり、悟りがひらけて、自分も仏様になれるのだ」ということです。』
自ら毘沙門天を志し、戦国時代に生まれ義を貫くことを覚悟し生きた謙信にとってこの「不識」というのは人生の大きな課題だったように思います。何がもっとも善いことなのか、何を信じて生きるのか、その時、経典の中にあった良し悪しをも全て忘れ、無心に私我を手放し捨て去っていく中に「第一義」があったように思います。私も理念で「子ども第一義」としていますが、この第一義はそのまま、あるがままという意味があります。つまりは、子どものままを貫くともいい、子ども心のままともいい、常に子どもの側から物事を観続けるという意味でもあります。
また毘沙門天というのは、サンスクリット語(インドの古語)では「ビシュラバナ」と表記し、この音写が「ビシャモン」と言います。言葉としては「全て丸ごとを聴く」という意味を表しています。そして毘沙門天は七福神の一人に数えられています。私が実践を重んじる「聴福人」というのはこの毘沙門天の生き方、つまり如何に全てを聴いて信じて福に転じるかを徳目に実践するということです。
「義」というのは、古来から続く日本人の生き方を貫くときに顕現するものです。そのあるがまま、自然、かんながらの道の上には義は燦然と輝き子孫たちへの道しるべとして風土の彼方此方に文化として継承されていきます。
毘沙門堂で四方の自然を感じながら毘沙門天を念じ続け、神人合一しようとした謙信の祈りが聴こえてくるかのような感じがしました。人間の世界での筋道もありますが、人間よりも先に自然の筋道というものがこの世には存在します。その人間の小我を手放し、自然の大我を悟るというのは第一義の実践によって実現するように私は思います。
常に自然を優先しているという意味が、「謙」でありそれを「信」じるものとして自然あるがままであったその生き方に私は「義」の本質をいつも感じます。義と言えば、日本には義将と呼ばれる風土自然を顕現した武将たちの生き様や真心がいまでも語り継がれています。
古来から大切にしてきた忠義という言葉も、今の時代は色あせて別の意味で使われます。そのうち自分の価値観に囚われて思い込み、忙しさに流されて大義を忘れて自分をも亡くしてしまっている人も増えたように思います。
こういう時代だからこそ毘沙門天から福の徳目を学び直し、もう一度「第一義」を座右にしていくことが必要になってくると思います。引き続きカグヤは「子ども第一義」を掲げ、この時代に温故知新した福の修行を積み重ねていきたいと思います。