人は話を素直に聴くことができれば物事の実相が観えるものです。しかし素直に聴けないのはそこに自分の先入観や価値観、知識が邪魔をして聴く前に決めつけてしまったり、もしくは自分が知っているところまでで聴くのをやめてしまうことで素直さが出てこなくなるように思います。
この素直さというのは、物事をゼロベースで感じることができるということです。ゼロベースになるというのは、例えば自然を観るとき自然のままで観る人と知識で自然を分別する人がいます。前者はゼロベースですが、後者はもうゼロではありません。このゼロで観るというのは、素直になるうえで私は何よりも大切だと思うのです。
人は自分の生きてきた経験で、きっとこうだろうと判別します。そうやって決めつけて思い込んだ方が相手を知らずに相手を知った気になれるので楽なのです。多くの人たちと人間関係をつくるうえでいちいち一人ひとりに共感して心を通じ合わせていくよりも、安易に知った気になって分別していく方が楽だということもあるのでしょう。
しかし実際は、人間という複雑なものをそんな簡単に判別し分別できるようなものはなく御互いに関わり合い心を通じ合わせて対話をしていくことでようやくその人のことが直観できるのです。これらの対人関係というのは、知識や頭でできるものではなく本来はゼロベースで御互いに素直に聴き合うことで御互いのことを深く理解していくことがあってはじめて人間関係が築かれていくように思います。
きっとこうだろうといった先入観がある故に、思い込まれて苦しんでいる人、思い込まされる人、思い違いをしている人、世の中にはそんなことばかりです。本心や本音が話せる社會というのは、そういう思い込みや知識で分別される社會ではなく御互いにゼロベースで関わり合える温かい社會です。
そのためには、自分が思い込まないという工夫が必要です。それが素直に聴いてみることであり、ゼロベースで観ることのように思います。分別知で物事を分かることはゼロベースで観ることと関係がありません。まずゼロベースで感覚を使い、その上で知識を活かすのはいいのですが感覚を使わずに決めつけてしまったら本質が遠ざかってしまうばかりです。
まず御互いに素直になるには、素直になる風土や素直になる環境が必要です。それは言い換えれば、御互いに分からないことを何でも訊き合える関係を築くことのように思います。常に御互いがゼロベースでいる工夫をしていくことで、刷り込みが入りにくくなっていきます。私たちの仕事はその先入観を取り除くことがとても大切な要素になっています。
引き続き子どもが安心して様々なことを体験して学びを活かしていけるよう、子どものゼロベースの姿から学び直し、子どもの素直に聴く力、そのゼロベースの引き出しをより環境を育て見守っていきたいと思います。