素直は聴くこと

昨日、ある高校で一円対話を行いましたが高校生たちの話す言葉に改めて素直であることの素晴らしさを感じました。素直さというのは、物事の実相が観える心のことです。本来人は自分の思い込みといった価値観のフィルターを通さずに澄んだ眼で観通すことができるのなら心の美しさを知り有り難い感謝の心に満たされるものです。

しかし実際は、感謝の心を忘れ自分の思いばかりに固執するとそのうち感情の呑まれ価値観の色眼鏡で相手や周りのことをみて自分の心配に終始していくものです。日頃からそうならないように常に「聴く」という訓練を行うことで修養していくことも自分との付き合いの中では大切なことだと思います。

思い込みの強さというのはこだわりの強さとも言えます。それは確かに何かを信じて思い込み行動するという創造性という意味では長所になりますが、逆に短所だと自分勝手に思い込み相手のことを考えずに猪突猛進してしまうといった欠点にもなります。

長所と短所は表裏一体ですから、長所を伸ばし短所はカバーすることで人は素直さを取り戻すことができるように思います。一つは周りの人を信頼して自分の弱みをカバーして強みに特化して貢献していくことです。それは共生と貢献といった互生関係を持つ植物たちのように御互いの持ち味を仲間の中で活かせば何も悪いことは起きません。自分の持ち味を知り、そして仲間の持ち味を知り、その御互いの持ち味を知る人たちは長所を活かし強みを伸ばします。

そして個々人としてはやはり素直の修養が必要だと思います。言い換えるのならば、感謝の心を忘れずに謙虚になること。まずは感謝をし自分が思い込んでいないか、自分が何か間違っているのではないかと周囲の声に素直に耳を傾けているか、そうやって自分が頑固に固執しないよう、柔軟に素直になるようにと日々に訓練を怠らないようにするのです。

人は思い込みが入れば、話を聴くのが嫌になります。そうやって感情的になって好悪感情が入り込んでくればくるほどに思い込みはより激しく荒ぶってきます。感情は思い込みという火に薪をくべていくようなものですから落ち着くまでは火が消えることはありません。

しかし一円対話のように改めて周りの人たちが本心から何を思っているのかをみんなで傾聴し共感し受容するのなら自ずから感謝が発生してきます。そして感謝までたどり着けば、それぞれに自らの自分のことを反省し謙虚に素直に改善していこうという気持ちになり御互いの心と感情が洗い清められ素直になっていくのです。

もっとも人間関係において気を付けるべきは「思い込みで見ない」ということでしょう。

コミュニケーションの本質は、自分が思い込まないために行うものでもあります。思い込みは御互いの不幸を呼び込みます。思い込まないためにも本心本音が語り合える距離感、錆びない関係、御互いに手入れをし続ける努力を怠らないことのように思います。それは常に素直になるために「聴く」ことが先であると私は思います。そういう意味では私はまだまだ本当に反省することばかりで改めて自戒をして精進したいと思います。

社會に入るというのは決して一人では生きてはいけないことを自覚することですから、常に社會の尊い一員であることを忘れず感謝の基盤に素直で謙虚な日々を一円対話の実践を通じて私も磨いていきたいと思います。子ども達には仕合わせに生きる素直な感性、謙虚な真心に触れて人々が安心して生きていける社會を譲っていきたいと思います。

変化と情報技術の意味

昨日、ある学校で変化とICT情報技術の話をする機会がありました。現在、文科省がICT教育を推進し授業や様々な場所でITを効果的に活用するように促しています。そのことから、シリコンバレーにあるIT先端企業を視察する機会も増えているようです。

ICTという言葉は情報技術を活用するという意味で、ITの異称でもあります。情報を活用するということの意味がどういうことか、それがまず本質的に理解できなければいくら道具があっても活かすことはできません。その目的をどのように定めているか、使う人がいてはじめて道具がありますからその使い手の教育が優先されるというのは自明の理であろうと思います。

以前、熊本の人吉にある鍛冶師との話で自然農の中で新しい鍬や鋤をつくりたいといったら大変喜んでくれました。なぜならいくら技術がある職人がいても、それを暮らしや生活の中でこう活かしたいという智慧がなければものづくりをすることが出来ないからです。造り手の歓びは、使い手との造り合いです。御互いにものづくりで生まれる一期一会の物語があってこそものづくりの面白さや醍醐味があり、ただ作って便利に使えばいいのではなくその「物が告げる面白さ」の中に御互いが学び合う倖せがあるのです。

ITといってもその道具の方ばかりに目を向けるばかりで、何のためにそれを活かすのかが分からないでは道具の持ち腐れになってしまうのではないかと私は思います。また時代が変わっても、変わらないものと変わるものがちゃんと理解されていなければ自分は変わらないままで今の道具が使えるわけがありません。もちろん道具に合わせて自分が変わってもいいし、自分が変わって道具を活かしてもいい、しかし大切なのはやはりそこでも何のために行うのかといった理念があってはじめて「活かし活かされる」という互生関係が成り立つのです。つまり目的共有なくして、道具の活用はないのです。私たちのミマモリングソフトはそういう観点で造られているのです。

昨日、興味深かった話の中で日本の学校関係者がシリコンバレーの教師への質問で「こんな急にICT化して大丈夫ですか?」というものがあったようです。その質問の真意は、なぜ変化できるのですかと聞いたのです。それに対してその教師はこう言ったそうです。

「では日本では今でもあなたの周りは何も変わっていないのですか?日本はいつまでも以前のままなのですか?周りが変わっていくのだから変わることは当たり前のことでしょう、自分が変わらなくていいわけないじゃないですか」と話してその質問に機嫌を悪くしていたそうです。何のためにここまで視察に来たのかといった気分もあったのでしょう。

自分の周りの環境や状況が変わっているのに、いつまでも変わろうとしない人がいます。そうやって昔の自分に固執していつまでも変わらないように努力するよりは、もう一度周りの環境を見渡してその環境の中にサラリと入っていくこと。それが周りの変化に対して柔軟に順応していることだと思います。

そしてただ闇雲に流行に流されればいいのではなく、大切なのは「何のために」やっているのかを忘れずそのために変わる必要があるのなら躊躇いなくプライドなど捨てて変わっていくことのように思います。それが大義を優先することであり、本質の維持でもあります。

プライドが高いのは成長意欲がある証拠ですから、敢えてプライドをおかしな使い方をするのではなく「変化」のために使っていけばいいように思います。それはプライドを捨てるという意味ではなく、「本来の目的や志を守ろう」と決めることだと思います。

大事なものが崩されないために自分たちは変化する必要があるのです。忘れてはならないのは何のために教育があるのか、そしてその教育の本質を維持するために何をするのか、ICT教育の本質もそこにあると私は思います。

私たちは子ども第一義の理念を大切に、子どもの憧れる生き方を優先し変化を味わい愉しんでいきたいと思います。

考古知新

物事には本筋というものがあります。それは良いか悪いかではなく、何のためにやるのかということです。その本筋と本質を議論することなく、いつも良し悪しばかりに時間を費やされていきますが本来何のためかは何よりも優先しなければ根本から考えることができません。

そういう意味では、歴史は本筋の学問であり何のために歴史があるのかを考えなければ人は学習しているとは言わないのです。過去の歴史の成功事例と失敗事例だけを集めて知識を勉強してもそれは歴史から学んでいるわけではありません。歴史から学ぶというのは、それまで伝承されてきた先祖たちの生き方を学ぶことです。その上で、不易と流行のように変えていくものは何か、変えてはならないものは何かを学び直して実際の暮らしの中に取り容れていくことです。

先日も復古創新を深めていく中で、考古知新という言葉にも廻り会いました。論語には温故知新とも言いますが、この古いものとは歴史のことです。何のために人間は生きるのか、人間は今までどのように暮らして生きたのか、その暮らしをみるとき私たちは生き方を見つめます。

その生き方を考える学問こそが考古であり、それを今の時代に置換してどうそれを反映させるかが知新なのです。それは別に古いものを使えばいいや古い家に住めばいいということではありません。時代が変われば道具も変化してきますから、別に今の道具を排除することが温故ではありませんし復古でもありません。

私たちの民族の精神性、大和魂とでも言った方がいいかもしれませんがそういう日本人の古来の生き方を現代でも貫こうということでもあるのです。果たしてそれは古臭いのかということです。今の時代、日本人とは何か、かつての先祖のような生き方が何かが語られることが少なくなってきました。歴史を紐解けば、そこには今の私たちまでつないでくださっている「義」があります。そういう義を結び、今の時代にどう復古創新するかはそのものの本筋や本流、本質からやり直す必要があります。

それはまさに全ての物事を何のために行うのかと原点回帰することであり、時代時代に不易と流行の中で本質を取り戻すための智慧でもあります。

歴史から学ぶのに歴史を捨ててしまえば歴史は紡ぐことができません。だからこそ古き暮らしを守ろうとする人たちが、顕れては古き伝統を伝承するためにいのちを懸けているのです。

一見、ただ古臭く見えるものの中に何のためにそれをやっているのかという意味が必ず隠されているものです。その意味を感じ取り、それを今の時代でも再現する。再現すべきはその意味の方であり、形の方ではありません。しかしその感性を磨くためには、古きものに触れる機会が必要なのです。

歴史の重みというものは、紡いで重ねてきた時間の重みのことです。代々大切に紡いできた心こそ温故であり、それをどう継承して生き方を正すかが知新ではないかと私は思います。

子ども達に遺せるもの、子ども達に譲れるものはほとんどカタチあるものではなく大切なのは先祖たちが命を懸けて守ってきたその生き方の方だと私は思います。引き続き、一期一会の学びを通して子ども第一義を貫いていきたいと思います。

弱さとは何か

昔の人たちは様々な暮らしの中に「弱さ」を大切にして生きてきました。弱さというのはどこか今の時代、よくないことのように言われますが本来は弱さというのは感謝の心の現れだったのではないかと私は思います。弱さが分かるからこそものを大切にする、弱さを大切にしているからこそいのちも大切にするように思うのです。

本来の弱さとは何か、少し深めてみたいと思います。

そもそも弱さというのは、壊れやすく脆いものです。産まれたての赤ちゃんや子どもはとても弱く柔らかくできています。しかしその産まれたてのものに触れるとき、私たちの心は弱さの中にあるいのちの有難さを感じます。それは感謝の心が先にあるからこそ弱いことが分かり、弱いことが分かるからこそ感謝の心が育つのです。

強さというのは、頑強で屈強、壊れないから大事に扱うことがありません。多少、激しく扱ってもそれは壊れませんから扱い方も雑になります。雑になればなるほど強いものの方が便利で価値があると信じ込みますがそこにいのちへの感謝の心は育つかといえばあまり育たないと思うのです。

人間にとって強いものとは、人間にとって都合のよい強さのことです。自分中心、身勝手に強がることも強さだと思い込みます。しかし弱いからこそ助け合う心が芽生え、弱いからこそ互生して生きていこうとするのです。そこには、弱さの中にある相手への思いやりや感謝の心があります。

強くないことを否定してもっと強くならなければと頑張ることで、余計に頑固に凝り固まって強がっていきます。これはいのちを大切にすることとは異なり、弱さの否定です。

本来の弱さとは、自分を認めることであり、周りを思いやることです。そしてその弱さはすべてにおいて感謝しているからこそ弱いものを大切にしていくことで感謝の心を忘れまいと昔の人たちは壊れやすいものや破れやすいものを身近において自らを修養していたように思います。

古き日本の家屋に住めば、弱いからこそ大切に扱い手入れし、弱いからこそ感謝の心をもって接し大事に触れていきます。そういう一つ一つの暮らしを通して「ものを粗末にしない」「もったいないことを知る」という生き方をしていたように思います。

何でも弱く壊れたものを役立たずとして捨てる時代、強くなれば価値があると信じ込まされている時代、本来の強さこそ弱さを知る心であり、弱さを認めるからこそ人は優しくなり強くなっていくのです。

いのちは常に弱さを通して感謝を学びます、そして弱さを扱うことができてはじめていのちのもったいなさを磨けます。あの自然界の生き物たちのように互生関係や思いやりから弱さを大事にする生き方を学び直していきたいと思います。

福とは何か?

幸田露伴に幸福の三説というものがあります。運が善いと言われる人にはなぜか運が善くなる生き方があり、それらが運を高め運を好転させ続けているということです。この運が善いというのは、実際には何よりも大事なことで物事は自分以外の周りが動くことで自分の布置が決まっていきますから運を敵にしない人はみんな運が善い人だとも言えます。

では運を敵にする人とはどういう人でしょうか、運を敵にまわす人は幸福を私物化する人のことかもしれません。言い換えるのなら、業を重ね業に沈む人といってもいいかもしれません。自分の徳性に気づかず、無駄使いをし疲弊していく感じです。せっかく天から与えられたものがあったとしても、それを何に使うのかということです。

自然は自分の徳性を活かすとき、そこに運を与えるように思います。それは何のため自分が産まれてきたのか、そして何のために人生があるのかと真摯に向き合うとき自分の中に具わっている徳の存在に気づきます。その徳を磨き、その徳を育て、その徳を高めるとき運が好転していくように思います。

しかしその徳に気づかず、もしくはその徳を私物化し自分の欲望や自分ばかりのために使ってしまえば福はすり減っていきます。福がすり減れば次第に運が悪くなっていきます。運が悪くなってしまえば、どこかで徳に気づくまでなんども同じ生き方をしてしまうものです。

この世の中は気が付けば自分中心、自分勝手に私物化してしまうような機会ばかりが多くあります。そういう機会や知識に打ち克って、自分の初心や理念、理念を貫くために徳業を重ねるとき人は運がさらに開けて好くなっていくように私は思います。

幸田露伴の幸福三説は、一つ目は惜福。自分に与えられた福を大切に惜しむこと。二つ目は分福。自分に与えられた福をみんなと分け合う事。そして三つ目が植福。長い目でみて福を育てて続けていくこと。これらが幸福の人たちが実践している福の徳目であると言います。

これらを鑑みるとやはり福を私物化していません。福とは天地自然の恩恵ですからないものねだりをしてないものばかりを求める心に福を感じるチカラはありません。むしろ足るを知り、あるものを活かそうとするときにこそ福は感じられるように私は思います。

そういった前向きな考え、物事の善い方をみる肯定的な捉え方、ポジティブ思考、自然と一体になった信じる心が幸福に気付く感性を磨いていくのでしょう。

福とは、自然に具わった徳のことです。

自分も自然の一部ですから徳を持っていますし、この世の中に徳がない人は誰一人として存在しません。だからこそその徳を見出すことが教育の醍醐味であり、その徳を伸ばしていけるように見守ることが保育の本質のようにも私は思います。

引き続き、幸福の三説の実践を味わいながら子ども第一義の理想に近づけるために精進していきたいと思います。

 

自然への畏敬~弱弱しさ~

昔の日本の家屋のつくりは今の時代の家屋と違って弱弱しくできています。障子やふすま、土壁にいたるまでありとあらゆるものが寄りかかっただけで壊れたり破れたりするものばかりです。

しかしそういう弱さの中で、ものを大切にする生き方が自然に身に着いてきたように思います。これは私も思い出せば虫で遊んでいるときに虫を不意に傷つけてしまったときの感覚に似ています。弱弱しさというのは、いのちに触れることであり自然はすべて大切に扱うということがどういうことかを学んだように思います。

日本のかつての家屋は、自然と一体になってつくられていました。何かの非日常の大きな災害があればすぐに被害を受けていたともいえます。しかし自然を畏れ、災害に備えるからこそいのちを存えてきたとも言えます。

自然を敵対し、自然に一時的に勝ったと思ってもそれはあくまで一時的であり大きな災害が緩やかな浸食には誰も勝つことができないのです。世界にあるものが必ず年月を経て風化していくことをみれば必ず壊れていくのは自明の理です。そうやって世界は循環を已みませんからこれは自然の姿だとも言えます。

その自然に逆らうのではなく、自然と一体になって生きようとするのが先人達の智慧でありそれが昔の家屋にはふんだんに取り入れられています。例えば、弱いといったさきほどの家具類は敢えて弱くつくることで手入れをするようにつくります。障子なども破れれば張替、傷めば取り換え、その都度手入れをすれば数十年、いや数百年でも持つのです。

今の時代の家屋は、手入れをしないでどこまで持つのかという基準でものづくりがされています。そして壊れれば捨てるのです。「捨てる」ことが前提でものづくりをしますから、壊れないもの強いものに固執するのです。

しかし本来、永く使えて丈夫なものと考えれば本質は弱いもののほうが強いし長持ちするのです。ただ前提が「捨てない」ということが基準になっています。そしてそれが「もったいない」という精神と密接につながっているとも言えます。

この前提をひっくり返さなければ強いものが弱いことに気づかず、弱いものが強いということにも気づかないのです。先人たちは、ものを粗末にはしませんでした。それだけものの価値に気づいていたとも言えます。また長い目でものを探していたからこそ、永い時間耐えることができる弱いものの扱いに慣れていたとも言えます。今の時代は短い目でしかものを探しませんから見た目ばかりにこだわり強度を強くしていますからものの扱いなど気にしなくなっています。

昔の家屋や道具、骨董と呼ばれるものは扱い方を間違えばすぐに壊れます。自分たちが扱い安いものを増やして道具を変えるのではなく、道具にあわせて自分たちが変わる方がいいと謙虚な生き方をしていたのが観えます。

自然を畏れる生き方とは、自分の方をサラリと変えてしまう生き方です。引き続き、復古創新を味わって学び直していきたいと思います。

 

共生の居心地

古民家の修理と清掃を引き続き行っている中で気づくことがたくさんあります。そもそもこの町家というものは、職住一体型になった施設で昔は店屋と書いて「まちや」とも呼ばれていました。入口に店舗があり、その奥で住まうのです。

今では店と住まいが別々のところで行うことが増えていますが一昔前まではどの家でも職住一体で行われていたように思います。私たちは生き方と働き方の一致とありますが、本来はそもそも仕事と暮らしは別物ではなく一体であったと思います。そのことから、これはプライベートだからやこれはビジネスだからやそんな言葉は出なかったのです。

そしてこの町家に住んでみると分かりますが、ここはプライベートがないことに気づきます。外の音は人の小声でもほとんど入ってくる、そして中の音も外に漏れています。夜中など少しでも大きな声を出せば、近所に響きます。さらに窓はすべて紅殻格子などで隙間がありますから夜中にはほとんど中が見渡せるのです。

このほとんどプライベートがない中で不便だと今の人たちは町家を捨てて各部屋が個室のようになり外から遮断された密封建築に住んでいます。現在では防音設備から窓も外からは見えない仕組みになっていたり、光も電気で明々としています。そこに誰か住んでいるのかわからないほどにプライベートは確保されています。

本来、そうやって個人ばかりが確保され好き勝手できるような暮らしはなく周りの人たちのことを思いやり自分を少し抑制するという謙虚な生き方があったように思います。自分さえよければいいという世の中は、言い換えるのなら周りの人たちのことよりも自分のことだけを考えるという我儘な世の中です。しかし私たちの先祖は、どこにも共生をする仕組みを取り容れ自然を壊さず関係を壊さず、御互いに歩みよって寄り添い生きてきました。それは言い換えるのならば、思いやりを優先してきたということです。

今の時代は自分だけが快適であればいいという個人主義が蔓延していますが、この町家には御互いの距離に居心地がいい配慮があります。それは心を開いている居心地のよさでもあります。ほとんどプライベートのない中でも、自分を正しくコントロールすることができる。相手を変えようとするのではなく、自分の方を変えて調整をとるバランスのある暮らし、そういうものを実現していたように私は思います。

これは自然農の実践でも気づくことですが、周りの生き物と一緒に生きていくのだから、自分さえよければいいと考えずに周りの生き物と一緒に暮らしていこうという発想の姿勢と同じです。これは自己抑制で欲をコントロールするという考え方でもありますが、その本質は先に周りのことを思いやるという精神があるということです。日本人が町家を建て、これだけ隣同士で接近して暮らしたのはそれぞれにそういう精神を持ち合わせていこうといった寄合の意識があったからのように思います。

今では近所などがなくなり、東京ではマンションに住んでみると何年もいるのに会ったこともない話したこともない知らない人ばかりです。それぞれにプライベートを尊重するあまり挨拶すらもなく、何をしてどのような人たちが住んでいるのかは管理人すらも把握することができません。

御互いの居場所があるというのは、思いやりの場があるということです。居場所がなくなった世界というのは共生と共感のない孤独で辛い場所だけが残るのかもしれません。そういうところにいくのは目先の個人の損得で考えるからであり、思いやりや徳を重んじるのなら居場所を広げていくことが価値があるのはすぐにわかります。本当の居心地のよさとは「思いやりを優先し自分は少し不便でもいい暮らし」のことかもしれません。そしてそれこそが「共生の居心地」なのです。

引き続き、子ども達のためにも先人の暮らし、古民家の教えから学び直し聴福人の実践を深めていきたいと思います。

直観力とは何か

古いものに触れていると様々な価値観に出会い、そして新しい直感が滾々と湧いてきます。一昨年より磨くことを深めていると、磨くというのは直感と似ていることに気づきます。ひょっとするとこれは「直感を磨く」という言い方をしてもいいのかもしれませんが、磨くから直観が冴え、直感が冴えるから磨かれるのです。つまり直感は本質が磨かれていくということなのでしょう。

例えば、冒頭の古いものでいえば古いもの、経年変化したものに触れて手入れをして磨いていると磨いているうちに次第にそのものの持っている本当の価値に出会います。その価値を知り自分がもう一度再定義し直し、それを今の時代に活かしたならそこに直感的に色々な感性に出会います。それが作り手の思想であったり、またその素材の持つ特性であったり、経年変化して生き残ってきた徳性であったりと様々です。これも一つの多様な価値に触れて自分の価値を磨くことになり直観を育てていくのです。

将棋の羽生善治さんの「直観力」(PHP)に直感に関することが書かれています。その帯には、「自分を信じる力。無理をしない、囚われない、自己否定しない。経験を積むほど直観力は磨かれていく」とあります。

そして『直感を磨くということは、日々の生活のうちにさまざまのことを経験しながら、多様な価値観をもち、幅広い選択を現実的に可能にするということ』といいます。そのためには『考えや価値観の幅が狭いと、直感の判断根拠が乏しいかもしれません。普段から「こうに決まってる」「ふつうこうだ」などと考えていては、鋭い直感は得られない』といいます。

自分の中の小さな常識に縛られきっとこうであるはずだと思い込むことやふつうはこうだなどと囚われることで直感は失われていくということです。マジメで常識的であればあるほどに発想を転換することができないように思います。私はこの発想の転換こそが直観力の醍醐味だと思っています。ではこの直観力をどのように磨くのか、羽生善治さんはそのために気を付けていることがあると言います。

『いつも、「自分の得意な形に逃げない」ことを心がけている。戦型や定跡の重んじられる将棋という勝負の世界。自分の得意な形にもっていけば当然ラクであるし、私にもラクをしたいという気持ちはある。しかし、それを続けてばかりいると飽きがきて、息苦しくなってしまう。アイデアも限られ、世界が狭くなってしまうのだ。人は慣性の法則に従いやすい。新しいことなどしないでいたほうがラクだから、放っておくと、ついそのまま何もしないほうへと流れてしまう。意識的に、新しいことを試みていかないといけないと思う。』

人は誰しも自分の価値観のメガネをかけてこの世の中をみています。その人の価値観が狭ければそれ相応の狭い世界、その人の価値観が融通無碍であり無限で自由あればあるほどに観えている世界は多様で広大です。私があらゆることに興味を持ち深めるのも、自分の価値観を常に壊して常識に縛られないように工夫するためでもあります。新しい世界、たとえば今までかかわることがないような文化に触れることもまた挑戦ですし、今までにやったことがない方を選んだり苦しい方を選ぶこともまた新しい試みなのです。アイデアが停滞するとき、私は敢えてやってみたことがない世界に入っていきます。回り道や寄り道をしているように見えてかえってそのことで直感が磨かれ本業の志を助けてくれるのです。

そして直感を磨くには、日頃から「アウトプット(捨てる)」する必要を説いています。そこにはこうあります。

『過去の知識や情報は、すべて素材だ。それらは、次の新しいものを想像する素材として利用されるためにある。過去の素材であっても、適切に組み合わせれば、新しい料理をつくることができるのだ。しかし、情報をいくら分類、整理しても、どこが問題かをしっかり捉えないと正しく分析できない。さらにいうなら、山ほどある情報から自分に必要な情報を得るには、「選ぶ」より「いかに捨てるか」、そして「出すか」のほうが重要なのである。情報メタボにならないためにも、意識的に出力の割合を上げていくことが重要になる。』

直観力というのは集中力ですから、ひとたび信じて動きだせばすぐに膨大な情報を取り込んでいきます。そして直感のアンテナが立ったなら世界のあらゆるところから情報が集まってきます。それを取捨選択するチカラ、つまりは捨てるチカラが求められます。言い換えるのなら、思い込みを捨てるチカラです。そのために自分の中にある常識を一つずつ壊していく、そういう日々の研磨と練磨、「磨きあげる」ことが何よりも必要だと私は思うのです。

磨きあげるのは、単に掃除や手入れをすればいいのではなく本質的な試練や苦難といった自らを研鑽する機会と経験という砥石によって自らを磨かなければなりません。そのために志を高く持ち、そこから訪れるその一つひとつの御縁を選ばずに引き受けていく人生、もしくは来たものをすべて受け取りそれを福に転じていく人生、それが直観を磨き本来の生きるチカラを高めていくように私は思います。

何をしていてもすべては本懐を遂げる一点に集中する。

直観はいつも陰ひなたから自分を助けてくれる大切なパートナーです。自分の思い込みを信じず、自分を信じて引き続き様々な実践を愉しみ味わっていこうと思います。

 

 

 

 

生活の呼吸

最近、社内見学が増えて色々と考えることがあります。暮らしはそこに住まう人の生き様ですから、どのように働いているか、どのように生きているかは、その場に自然に顕れてくるものです。

実際に建物があったにせよ、そこで暮らしがなければただの建造物になってしまいます。それは建物に限らず、他の道具でも同じです。例えば、道具一つにしても丁寧に使い込み磨きこまれれば息を吹き返します。同じように、実際にどのように使っているか、そこで何を大事にしてどのように生活しているかでその人の生き方や生き様、言い換えるのなら理念といったものが外側に顕れてくるのです。

人は家があるから家になるのではなく、その家に住まうから家になるのです。そして家の人たち一人ひとりがどのように家を築き上げていくか、それはその家の人たちがその家を使って何をしているかに由ります。家に感謝で住まう人が多ければ、自ずからその家は感謝に満ちます。その家で不満をぶつけて不足ばかりを思う人は、家が貧しくなっていきます。

日々に色々なことが発生しますが、その一つ一つの物語を味わいつつそこで住まう人たちが一緒一体になって暮らしていく中にこそ生活の呼吸があります。生活の呼吸とはどのようなものか、それは活動しているということです。そして「手入れ」を怠らないということです。掃除などもそうですが、暮らしをしていれば色々と不具合があり壊れるところがでてきます。それを改善して何のためにやっているのかと初心を振り返りまた原点回帰して新しくしていく、それを続けていくことでいつまでもそこに「場」が出てくるのです。

その場にいる一人ひとりの生き方、そして責任があってはじめて場は出来上がります。「手入れ」というのは、万物の基本です。手入れとは常に善い状態でいようとすること、もっとも本質的であろうとすること、そして素から直すということを言います。

自分のお手入れは日々に必要ですが、そこで暮らす場の手入れは同じくらい大切なことなのです。壊れる前に修理したり、傷む前に養生する、そういう日々の心がけこそが暮らしを永く豊かに仕合せにしていくことであり、そういう自他への克己実践の集積がが長持ちし永続させる智慧になって日常生活を支えていくように思います。

修繕と修養、そのどちらも生き方次第です。

引き続き、本懐をとげるためにも内省を重んじ丁寧にお手入れし生活の呼吸を大切にしていきたいと思います。

農的暮らし

かつての日本では、伝承されてきた先人たちの暮らしをどのように子孫へ譲り伝えていくか、それを様々な方法で伝承してきました。しかし今では「農」という字は、単なる農業の農のみで語られ田畑を耕して作物を育てる職業の人を農業人などといったりします。しかし本来の「農」は単に作物を育てればいいのではなくその生き方が「農」であったということを示すものです。この「農的暮らし」というものは、如何に自然に沿って自然と調和して生きていくか、その自然循環の理念に完全に合致しているという意味で農であったと私は思います。

「農」の解釈として101歳になる元ジャーナリストのむのたけじさんが「いのち守りつなぐ世の」の中でこう書いています。

『「農」という字の語源は、「曲」と「辰」に分割けられる。そして、上層部の「曲」はもともと「ねばつく」という動詞。ニクズキを付けると「膿」になるが、これはネバネバしているはずで、膿のようにネバネバするものを「土(つち)」として表現している。そして、下層部の「辰」であるが、十二支の1つになっているものの、もともとは大きな二枚貝である。(その性質から「整う」という意味で用いられ、後で架空の動物の「龍」を割り当てたようである)この大きな二枚貝は、鍬が発明される前は、この貝で土を掘り起こし、細かく砕いていたそうである。貝の硬さはいくつもの層から形成されることから裏打ちされ、それが火にも水にも強い自然界の芸術なのである。』

自然界の芸術を扱う人たちを農民とも言えます。自然界の様々なものを活かし、それを感謝で使っていく。本来、私たちはこの地球に住ませていただいている存在、この地球の中で生かされている存在だと原点回帰すれば自ずから農的な暮らしを優先していくことの必然を感じるように思います。文明が発展し、人間ばかりの都合で世界を開花させていくうちに大切なことを忘れないように古来から工夫は尽きません。

以前、信濃の上伊那の歌人宮下正岑(1774⁻1838 江戸後期の歌人)に『勧農詞』というものを拝見したことがあります。まさにこれこそ農的暮らしの本質であると感心して、メモを取りました。これを家訓にして大切にしている農家も多かったと言います。

『風流を楽しむ花園ならで、後の畑、前の田の物作に志し、自ら鍬を採って耕し、先祖の賜と命の親に懇と尽くし、吉野の桜、更科の月よりも、己が業こそたのしけれ。朝夕心を留て打むかふ菜種の花は、井手の山吹より好しく、麦の穂の色は牡丹芍薬より腹こたえありと憶え。朝顔より夕顔こそよけれ。萩桔梗より芋牛蒡に味あり。渾て花紅葉より栗柿ハ宝の植木なり。稲の穂並み賑しく菊の花より腹満る心地して、栗穂に馴る鶉野辺の喜の音聞くか。面白く遠き名所旧蹟より近き田圃の見廻りか。飽す松島塩竃の美景より飯釜の下肝要なり。上作の名剣より鎌鍬は調法なり。書画の掛物より、掛て見る作物の肥を油断せす投入れて、生花の工より茄子さゝげの正風なるか。見處多く、茶の湯、蹴鞠の遊より渋茶を飲んで昔話こそ楽しけれ。玉の望より茅葺の家に居か心易く。高きに居らねば落るあぶなげなし。迷はねば悟らず。念佛のかわりに業を怠らず。実義を尽すハ神詣に比し、仁者にならふて山に木を植え智者の心を汲て田の水加減を事にし、珍肴鮮肉の料理より銭いらすの雑炊が後腹病る気遣なし。すへて世の中ハ飛鳥の川の流れ。きのふの渕ハ今日の瀬となる如し。唐の咸陽宮、萬里の長城も終には亡に。平相国の驕も一世のみ。鎌倉の将軍も三代をすぎず。北条、足利の武盛尽き織田、豊臣の栄も終に一代なり。時過き世替れは誠に夢の如し。世に希なる珍味も舌の上にあるうち。伽羅蘭麝の薫りもかく内のみ。楽しみは苦の基ひ。財宝は後世の障り。遊興はしばしの憂。他の富みも羨ず。身の貧も嘆かず。唯慎むべきは貪慾と恐るべきは奢なり。抑(そもそ)も田地は萬物の根元にて、国家の主宝なれば父母の如く敬い、主君の如く尊み、妻子の如く育み、寸地をも捨てず、何処にても鍬先の天下泰平、五穀成就を願うより外更になし。』

もっとも印象深いのは後半の「そもそも田畑は地球万物の根源である、それがクニの宝であるから父母のように大切に敬い、天に仕えるがごとく尊び、家族のように大事に育て、わずかな土地をも粗末にせずに、いついかなるときも鍬先に世界の平和があることを念じ、五穀豊穣を祈ること以外ない」というところです。

自然への畏敬を忘れずに驕らず怠けず貪らずに、日々を清く明るく素直に暮らしていくことが尊い、つまり「農的」ということなのでしょう。

自然農を実践する中で、いつも感じることは悠久の生き方、永遠の篩にかけられても生き残る生き方を子ども達に譲り遺していくことの大切さです。つまり「農」こそ「暮らし」そのものなのです。引き続き、今年も稲や里芋を育てていきますが丁寧に見守り生き方を観直していきたいと思います。