生活の呼吸

最近、社内見学が増えて色々と考えることがあります。暮らしはそこに住まう人の生き様ですから、どのように働いているか、どのように生きているかは、その場に自然に顕れてくるものです。

実際に建物があったにせよ、そこで暮らしがなければただの建造物になってしまいます。それは建物に限らず、他の道具でも同じです。例えば、道具一つにしても丁寧に使い込み磨きこまれれば息を吹き返します。同じように、実際にどのように使っているか、そこで何を大事にしてどのように生活しているかでその人の生き方や生き様、言い換えるのなら理念といったものが外側に顕れてくるのです。

人は家があるから家になるのではなく、その家に住まうから家になるのです。そして家の人たち一人ひとりがどのように家を築き上げていくか、それはその家の人たちがその家を使って何をしているかに由ります。家に感謝で住まう人が多ければ、自ずからその家は感謝に満ちます。その家で不満をぶつけて不足ばかりを思う人は、家が貧しくなっていきます。

日々に色々なことが発生しますが、その一つ一つの物語を味わいつつそこで住まう人たちが一緒一体になって暮らしていく中にこそ生活の呼吸があります。生活の呼吸とはどのようなものか、それは活動しているということです。そして「手入れ」を怠らないということです。掃除などもそうですが、暮らしをしていれば色々と不具合があり壊れるところがでてきます。それを改善して何のためにやっているのかと初心を振り返りまた原点回帰して新しくしていく、それを続けていくことでいつまでもそこに「場」が出てくるのです。

その場にいる一人ひとりの生き方、そして責任があってはじめて場は出来上がります。「手入れ」というのは、万物の基本です。手入れとは常に善い状態でいようとすること、もっとも本質的であろうとすること、そして素から直すということを言います。

自分のお手入れは日々に必要ですが、そこで暮らす場の手入れは同じくらい大切なことなのです。壊れる前に修理したり、傷む前に養生する、そういう日々の心がけこそが暮らしを永く豊かに仕合せにしていくことであり、そういう自他への克己実践の集積がが長持ちし永続させる智慧になって日常生活を支えていくように思います。

修繕と修養、そのどちらも生き方次第です。

引き続き、本懐をとげるためにも内省を重んじ丁寧にお手入れし生活の呼吸を大切にしていきたいと思います。