町家の再生をする中で昔の人たちは「職住一体の暮らし」を何よりも優先していることに気づきます。なぜそれを優先するのか、それは生き方が関係するからです。
本来。日本人らしい生き方があってそこに暮らしが付随しますから、かつての日本人の生き方を学び直すためにも暮らしの再生は欠かせません。今のように伝承されにくい時代になっているからこそ、遺していただいたものと対話しそれを再生させていかなければなりません。
私が定義する「暮らし」はその人が何を大切に生きていくかの初心のことであり、初心を実践する日々の人生道場でもあります。もしも初心が実践できるのなら自ずから暮らしは安定し、暮らしは自ずから充実していきます。
人は何のために生きるのかを突き詰めていけば必ず暮らしを見つめる必要が出て来ます。自分が何を大切に守るのか、その守るもののためにも暮らしがあるのです。
例えば、感謝の心を忘れないと決心した人が日々の生活の中でどれだけ感謝に包まれて生きていくか、そうした実践を通して道具も集まり、人も集まり、場が出来上がっていきます。その場は感謝の場であり、その感謝の場という暮らしがはじまります。
一たび暮らしがはじまるのならば、その暮らしそのものがその人でありその人が暮らしそのものになります。
そして今、再生している町家というものは職住一体でできています。なぜ職住一体であるのか、それは生き方と働き方が分かれていないからです。この生き方と働き方の一致こそが「暮らし」として顕れ、その暮らしが発展するのはその人がそれを実践して怠ることがないからです。
そして暮らしを実現するのは、まず理念や初心を定めなければなりません。何のためにこれをやるのかといった初志と動機を定める必要があります。それがあってはじめて「暮らし」となりますから、自ら日々に省みて己に打ち克っ実践ができているかどうかを大切に過ごしていくことが豊かな暮らしを実現させていくのです。
もしも理念や初心などとかけ離れてしまっている生活はとても暮らしているとは言いません。暮らしはその人そのものですから、暮らし方にこそその人の生き様が薫るのです。だからこそ大事なことは、常にどんな時も理念と初心から離れずに生活することが「暮らしの再生」なのでしょう。
引き続き、暮らしの再生を通して子ども第一義の実践を積み重ねていきたいと思います。