職住一体

町家の再生をしていると職住一体という言葉に出会います。今の時代は職住を分けて生活をしていて、よくビジネスとプライベートは違うという言い方をします。特に最近ではメリハリをつけてというように、あくまで仕事は仕事、私生活は私生活というように分けなければ問題になっていたりします。

しかしかつての私たちの先祖はどのように暮らしてきたか、それは生活の中に仕事があり、それが分かれていたことはないとも言えます。今のように金融を中心にした社会が形成されると暮らしや生活のみが切り離されて働くことだけになってしまうのかもしれません。日本人はよくエコノミックアニマルと海外では称されますが、これは働くだけで暮らしをしていないという言い方をされていることです。

改めて職住一体について少し深めてみようと思います。

そもそも職住一体とは何か、昔でいえば農家や商人などは暮らしの中に仕事がありそれを分けることなどありませんでした。農家であれば土間を使って仕事をしたり、農作業を共にする馬や牛なども家の一部に一緒に住んでいました。また商人についても、店先というのは路地側のところを開放しそこで商いを行い家の奥の方で暮らしを営んできました。本来人は、暮らしを立てるために農を行い商を行ってきたのです。

昔は大切な守るものがあって、それを守るために暮らしを立てていました。本来の守るものとは、それまでの先人たちの生き方であってそれが暮らしを通して伝承されてきたとも言えます。それが今は間違った個人主義が蔓延し、自分さえよければいい自分のことだけでいいと、守るものは自分となってしまう風潮もあります。

家というものを守るというのは、単に家系を維持すればいいのではなくその家の理念や初心を守っていくということです。その一つ一つの暮らしの中に、その家の理念が隠れているとも言えます。家を感じるとき、暮らしを見つめるとき、私たちはその先人の理念に触れているのです。

職住一体というのは、自他一体と同じく分かれていないところに立ってみて気づく境地でもあります。どんな理念を築き上げて、どんな理念の実践をしていくか、それが家の定義なのです。

家になるというのは、理念を実践する家族や仲間と共に暮らすということです。一家の一員として、如何に理念をカタチにしていくか、生き方を見つめ働き方を改善していくか、それが職住一体ということだと私は思います。

引き続き、家としての本命を深め新たな暮らしを温故知新するため毀すものは迷わず毀し、日々新たに創造していきたいと思います。