現在、炭を使って暮らしの実践に取り組んで一年になりますが毎朝と毎晩の火入れは心安らぐ温かな時間になっています。火鉢に炭を入れ、鉄瓶で御湯を沸かしむかしからの手法で育てられたむかし茶をのむ。心と言うのは、考える以上に感覚が先になりますから毎日のこのほっとする時間にとても暮らしが充実していくのを感じています。
現在はガスを中心に火は用いられますが、ガスの火と炭の火はまったく異なるものです。人はみんな火をひとくくりにして「火」といいますが、火は扱う人や道具によってまったく異なるカタチをしているのです。
例えば、ガスの火はボウボウと一方的に強い火で人工的につくり上げています。火力もいきなり大きな強い力で素材に火をつけていきます。しかし炭の火はじっくりとゆっくりと周りから弱い火で自然につくりあげていきます。呼吸をするように少しずつ火は強くなり全体に浸透するように火をつけていきます。
これは滝つぼに落ちる巨大な水と、せせらぎに流れる水との異なりと同じようなものです。人はそれをただ水と呼びますが、それは水でも似て非なる存在なのです。台風と微風も同じものではありません。
そしてこの炭を使って行う火は、常に心を遣います。最近は聞かなくなりましたが、昔は夜回りといって拍子木の音と一緒に「火の用心」といいながら地域で歩いてまわったことがあります。
「火の用心」は「火は心を用いる」と書きます。火を危険視して危ない存在として遠ざけるのではなく、火を用いるときは常に心も一緒に用いるものだという意味であったと私は思います。
炭火の暮らしをはじめてみると、炭と火のもつあたたかさを感じます。このあたたかさは「心のぬくもり」のことです。炭と火を使い、人をもてなすというのは心を用いて行う実践の一つです。
聴福庵が囲炉裏にこだわるのは、囲炉裏という場に人が集まるためであり炭にこだわるのは循環していく日本人の生き方を顕すためであり、火にこだわるのは心を用いて謙虚であり続けるためなのです。
火は自然物そのものであり、私たち人類の最大のパートナーです。
引き続き、火の用心の実践を深めていきたいと思います。