他力

人は思い通りになったことを良しとし思い通りにならないことを悪いと思うと感謝の気持ちが薄れていくものです。本来、思い通りになるということは自分の思っている世界の中で自分の思うとおりになっただけの話で目を見開いて大きく視野を広げれば思った以上のことが起きていることに気づくものです。

この思った以上のことが起きていると感じるチカラというのは、他力のチカラを観ることに似ています。他力本願という言葉も、思った通りになることを良しとすれば他人がなにかをしてくれるのを期待するように誤解されるのでしょうが思った以上のことが起きていると自覚するのなら本来の意味で理解できるようになると私は思います。

自分の周りでは、自然界が循環して已まないようにあらゆるものが御縁で循環しています。自分の一挙一動が与える影響は大きいもので、それが全体に大きな影響を与えています。自分の思った通りというのは、たまたま目に見えた状況がそうであって実際は目には観えないところではまったく別の真実が発生しているのです。

だからこそ全体を観る人は常に他力を観ることを忘れないようにするのです。そこから思っている以上のことがどのように起きてくるのかを注意深く観察するのです。よく泰然自若している人をみると、別に度胸が据わっているだけではなく自然に最終的にはどうなるのかを直感するのです。

それはただ全力を盡せばいいのではなく、もちろん人事を盡すことは大事なことですが自分が何を実践していれば最終的にはどのように他力が働くのかを知っているのです。

例えば自然農でいえば、相乗効果を発揮して見守り育てた作物が実をつけます。これは直接的に何かをするだけではなく、間接的に自分が行っている実践をも加味して全体で関わります。自分だけの力で育てられるはずがなく、そこには自分以外のチカラが働いてその作用で育つのです。

こういう見守りを感じるチカラというのは、他力を感じるチカラと同じです。信じるということも同じく、他力を引き出す大切な要諦になっているように思います。そうやって間接的なチカラを信じることを「運」とも言います。

この運を伸ばすことをどのようにするのかは、日々のその人の過ごし方や信じ方に懸っています。思った以上の日々を生きることは幸福に満ちています、引き続き子ども達の未来を信じて実践を大切に積み重ねていきたいと思います。