自分のルーツ~クニの初心~

私達の先祖の大切にして来た思想は、先祖への畏敬の念でもあります。自然から学び、先祖の恩を大切にする生き方は道を歩むことにおいては何よりも優先されてきた徳目とも言えます。

日本にいたら当たり前になっていることも、世界からみたら当たり前ではないことが多々あります。私達は子ども達のためにも、まず自分たちのクニがどのようなものなのか、そして自分たちがどのような民族であるのかを自覚し、その誇りによって世界に出て持ち味を活かしていかなければなりません。

温故知新とは単に伝統を毀せばいいのではなく、その時代のその人たちの調和、所謂「持ち味」をどのように活かしてその妙味を発揮するかということにも関わってきます。守破離は、何を守り、何を毀し、そして何を活かすのかということです。

私は伊勢神宮にこの温故知新と守破離の妙味がなお生き続けていると思っています。ドイツ人建築家のブルーノ・タウトは、伊勢神宮をはじめてみた際に「稲妻に打たれたような衝撃を受けた」と言います。そして自著「日本美の再発見」の中で伊勢神宮についてこう述べています。

「芳香高い美麗な桧、屋根の茅、これらの単純な材料が、とうてい他の追随を許さぬ迄に、よく構造と融合している。形式が確立された年代は正確にはわからず、最初にこれを作った人の名も伝わらないこの建築は、恐らく天から降ったものであろう。伊勢神宮こそ、全世界で最も偉大な独創的建築である。試みに壮麗なキリスト教の大聖堂、イスラム数のモスク、インドやシャム或はシナ等の寺観や塔を思い浮かべてみるがよい。伊勢神宮は、これらのものとは全く類を異にする建築である。また古代ギリシアを考えてみてもよい。ギリシアの諸神は、天上の美のなかに反映された人間性そのものにほかならない。アクロポリスのパルテノンは、今なお古代のアテナイ人が叡智と知性との象徴であるところの女神アテネに捧げた神殿の美を偲ばしめる。パルテノンは大理石をもって、また伊勢神宮は木材を持って最高の美的醫醇化に達した。しかしたとえパルテノンが現在のような廃虚にならなかったとしても、今日ではもはや生命のない古代の記念物にすぎないのだろう。」

そしてこう言います。

「二千年にわたって西洋建築におけるアテネのアクロポリスにたとえることを許されるならば、日本には今もなおアクロポリスが存在している。ことに伊勢神宮は廃墟ではない。それは21年ごとに今尚繰り返されている。これは世界の何処にも見ることが出来ない事実である。」

「古代の遺跡である伊勢神宮が今尚機能していることは奇跡である」と。

式年遷宮において初心を伝承し続けるということが、如何にいのちの永遠性を象っているか、ここに伝承の秘訣があると私は思います。文字や文章で継承するのではなく、口伝で伝承するのではなく、魂で伝承する仕組み。まさに日本人が大和魂と呼ぶものは、この魂の伝承の仕組みのことを言います。

フランスの文化人類学者のレヴィ・ストロースがこう言います。
「日本は、神話と歴史のつながる世界で唯一の国だ。」と。
この証明は伊勢神宮の存在そのものが顕しています。つまりは神代より大切なものを大切なままに維持し続けている精神性、そして継続性、実行性、その尊さを何よりも重んじいている民族とも言えます。それは言い換えるのならば、まるで自然がいつまでも続くように私たちの生き方は自然そのものから学んだ永遠性を具備しているのです。
ブルーノ・タウトは別の著「日本の家屋と生活」の中でこう言っています。「社殿をめぐる老杉の鮮やかな緑はあたかも永遠に生きる自然さながらに、絶えず新たに造賛さらる日本精神の棲処を縁どっている」
私が特に共感を持てるのは「永遠に生きる自然さながらに」という一節です。
日本人の美意識や芸術における精神性の高さと、その真心は常にこの自然との一致に由ります。自然のままにありながら如何にその中の人間としての徳を高めていくか、自然との自他一体においてもっとも高い芸術性を持っていると定義されているのです。
常に自然をお手本にして自然の中にあるいのちに沿って暮らしていく謙虚で素直な生き方、そこに日本人の本当の姿があるように私は思います。
自分たちの本来の生き方を学び直すことは、自分たちの個性を磨いていくことです。
多様な世界で活躍する子ども達の持ち味を伸ばすためにもまずは自分たち自身が、自分たちのクニのルーツを学び直す必要を感じます。
引き続き、子ども第一義の理念を通して子どもに遺したい暮らしを伝承していきたいと思います。

魂の純度

ドイツ建築家にブルーノ・タウトがいます。この方は、第2次世界大戦のさなか、ナチスドイツから亡命のようなかたちで来日し、「日本美の再発見」などの著書を通して日本文化の価値を再発見し世界へ広げた人物でもあります。

この方は約3年半、日本に滞在する間に様々な日本文化に触れ工芸品の指導や一部の建築をおこないました。日本人というものがどのようなものであるか、日本文化とは何であるのかを鋭く洞察した内容には改めて感じるところばかりです。

色彩の建築家とも呼ばれたタウトは、その色彩についてこのような感覚で捉えていました。

「水面の波紋、氷塊の中の泡や結晶の生成、樹木の枝分かれや、その1つとして同じでない成長の仕方、葉芽が形成され一枚になる過程、滝の落水の装飾、雪の中の枯草、露の水滴の形成、木々の織りなすリズムに満ちた森、等等。自然の色彩は私を魅了して止みません。」

日本というものを洞察するときに、この色彩を使って見抜いたのかもしれませんがこの言葉の一つ一つからタウトの自然を観察する美しく見事なまでの表現に共感することばかりです。

そのブルーノ・タウトは「日本美の再発見」の中でこのような言葉を遺しています。

「日本の文化の特性とは、いわば芸術化された自然といえるでしょう。日本的なものの品質が問われた場合には、常に日本の古典芸術を特徴づけている簡素性への傾向が認められます。それは精神化された自然への感性にほかならないと言えます。」

この精神化された自然への感性という言葉に感動します。

私達日本人の先祖たちは、家屋をはじめ民藝品にいたるまで 自然美をそのままに取り入れて創意工夫し自然のままに活かしたものを作品にしてきたとも言えます。今、古民家再生をはじめ様々な古い職人たちが手掛けた道具に触れているとそれをいつも感じます。

目的が単に大量生産で使えればいいというものではなく、自然を敬愛し、自然への畏敬が道具に宿ると信じて精魂込めて造られてきたのです。こういう日本的な精神性、つまりは自然に対して純粋で無垢、いつも自然のいのちが観えているかのような子ども心が日本人には宿っているということを直感します。

日本文化の本質として大衆化して安易に便利に走り、目先の損得によって失われたものは魂の品質なのかもしれません。

ブルーノ・タウトは、桂離宮や伊勢神宮を絶賛します。

「泣きたくなる様な美しさ。永遠の美、ここにあり。われ日本文化を愛す。それは実に涙ぐましいまで美しい」と。

この泣きたくなる美しさとは何か、それは永遠の美を保つ魂の美。純粋なもの、いや、私の言葉にするならば「純度の高さ」こそが日本文化の本質であると信じます。如何に人生を研ぎ澄まし純度を高めていくか、それは日本人が日本人らしく生きていくための最大の要諦ではないかと私は思います。

純度の高い精神には、純度の高い生き様が宿ります。そこには単に道具や家屋だけではなく、そのいのちがそのものに投影し宿りいつまでも美しさを放ち続けるのです。

タウトが観察した日本とは、日本の魂、大和魂だったのかもしれません。これから古民家を温故知新していきますが、その大黒柱には常にこの真心を据えて取り組んでいきたいと思います。

引き続き、子ども第一義。子ども心を昇華して魂の純度を高め続けて先祖たちに恥じない生き方を実践していきたいと思います。

 

 

苦労の値打ち

古語に「若いときの苦労は買ってでもせよ」があります。これは意味として、若いときにする苦労は貴重な経験となって必ず将来の役に立つからということで使われます。言い換えるのなら、若い頃に楽をすれば必ずそれが将来の禍根になるということでもあります。苦しい体験や経験というものは、わざわざ自分から身銭をきってでも進んでやりたいと心から思えるかどうかがこの諺の妙味だと思います。

教育者の森信三さんに「同一のものでも、苦労して得たのでないと、その物の真の値打は分からない。」という言葉があります。

経験というものは、同じ体験をしたとしてもその体験を違う人が体験したらまったくその体験の質が異なるものです。問題意識の高い人は同じ体験をしてもその値打ちを知り深くその体験を味わい学びます。しかしその逆に体験を単なる出来事の一つだと思って日々を過ごしている人はその体験の値打ちが分からずそれを浅く受け取ってしまいます。

この体験というものは、自分から主体的に体験をする人と受け身で体験する人とでは質量は長い年月でものすごい差が産まれます。もしも若いときから、この体験がきっと同じ苦労をしている人の役に立つはずと自分を社會のために活かしたいと強く願い生きる人の体験は丸ごと同じ体験をする人たちの全てにお役立ちします。すると同じ体験であっても、その体験には数百人、数万人の人たちの代表として苦労するのですから体験は必ず将来同じような体験をする人たちの糧になり勇気になり、そして労いになります。

しかし体験を自分のことだと思い込み、自分の体験を自分だけのものと思って流していたらその苦労は本質的な苦労になることはありません。買ってでもせよという苦労とは先述した同じ体験をする人たちの役に立つための自ら苦労を選んでいく「救い」のある苦労なのです。

同じような体験をした人が必ずいるはずだから、その人たちのための「救い」に自分がなりたいと思う人はみんな苦労を自ら買っている人だと言えます。それを単に辛いのが嫌だからと苦労を避けて楽ばかりを選んでいたら救いにつながることはありません。先人の苦労が分かるようになってはじめて先人から救われたことに気づくのが人生ですから、先人たちの苦労にこそ私たちは感謝しなければなりません。

そして先人たちの徳業と同じくその苦労を買うというのは、その苦しんでいる人たちのために自ら実践を積んでいくことです。この実践とは、苦労を買っていることであり、自ら実践を増やし積み上げていく中に救いの手立てが活きているのです。

苦労を買うというのは、人々の救済のための「実践」するという人の道のことなのです。

森信三さんは「キレイごとの好きな人は、とかく実践力に欠けやすい。けだし実践とはキレイごとだけではすまず、どこか野暮ったく、泥くさい処を免れぬものだからです。」と言います。

この野暮ったく泥臭いという言葉は、私は地道で少しずつ、そして継続が必要で根気強くということと同じように思います。つまり実践のことを言いますが、自ら誰かのためにと強く願い実践することはキレイごとでは片付きません。

まさにそれこそが「苦労を買ってでも」という意味に繋がっていると私は思います。

自分の人生は自分だけのものではなく、周りの御蔭様で活かされていると自覚するのなら周りのために自分の人生を役立てたいと願うものです。その時、自他一体の境地になり自分の人生は一切無駄がないということに気づけばおのずから苦労というものは値打ちがあると実感するのではないかと私は思います。

苦労を与えられる先生というのは素晴らしい方々です。私は自分が苦労するからどうしても同じような苦労をさせたくないと思ったりしますが、これは大きな考え違いであることに気づきます。自分の人生はきっと誰かの役に立つのだから苦労をするようにと言える真心をそのまま若い人たちに持てるよう自他を分けずに精進していきたいと思います。

 

 

場数とは

色々と挑戦する人は「場数」というものの質量が高まってくるものです。この場数を踏むというのは、経験を積んだ量のことであり、それだけ体験をして馴染んできたということです。

現在は知識や知った気になるばかりでこの場数というものをあまり重んじていないようにも思います。子どもの頃から様々な体験を積んできた人は挑戦することが学ぶことになっていますが、体験がない人は学ぶことが挑戦することとつながっていないようにも思います。

改めてこの「場数」ということについて少し整理してみたいと思います。

この場数の「場」は、単なる場所のことを言っているのではなくこの時の場は「道場」としての場であると私は定義しています。自分の道を定めて初心を決めたら日々は常に道場になります。道場になるということは、実践が必要になります。その実践をするときに場が産まれ、その場を繰り返し向上し続けることで場数が増えて経験値が高まり道が拓けていくのです。

場数を踏んでいる人の言葉というのは説得力があります。なぜならその人は単に知識で覚えたことを伝えているのではなく、自ら体験して経験したことを伝えているからです。裏付けられた経験値からくる真実は嘘偽りがなく、その言葉にはチカラがあります。

言葉というものも、単に文字遊びで使う道具ではなく文字通り道具として真実を伝えるために使われてはじめて効果があるのです。自分の体験したこと、そして実践したことを自分の言葉で伝えることほど思いやりや真心が入ります。

論語の三省に「習わざるを伝えしか」がありますが、知った気になったことを人に教えていないかということです。これもまた場数を踏んで体験し経験して掴んだものだけを伝えなさいと言うことでしょう。

場数を踏むことの大切さは、自分のやったことを内省しそれが何だったのかを意味づけしていく中で気づけます。単にやることに意味があるのではなく、何のためにやるのかと実践を続けていくことが場数を高めて道場としての精進を続けていくことになるのでしょう。

私は場数を大切にするタイプなので、色々なことをあらゆるジャンルであらゆる角度から学びたいといつも思っています。このブログが多岐にわたるのも、欲張りだからか全ての体験を場数にしたいと思っているからかもしれません。

実践こそ何よりの真実であることを伝え、子ども達にも素敵な場数を弘げていきたいと思います。

本質を磨く

先日、聴福庵の柱や天井をクルーと一緒にライスオイルを使って磨きました。磨けば磨くほどに木の木目が出てきて、すでに数百年経っている木の歴史や風格が顕れてきました。磨くことの面白さというものは、磨くと本質が顕れてくるということです。その本質は日頃は隠れていますが、磨くという行為を通して本質に近づいていくのです。これは私たちの人生体験にも言えるように思います。

例えば、古いものでもなんでも掃除をしなければくすんできます。そのものの色が分からなくなってきます。それを拭き掃除や掃き掃除を日々に行うことでそのものの色が浮き出てきます。これは個性も同じで、日々に掃除をしていくことで次第にそのものの個性が浮き出てきます。この浮き出たものは別になかったものが出てくるのではなく、あったものが改めて確認できるという具合です。これは温故知新とも言えます。つまりは、常に本質を顕し続けて怠らず磨き続けるということです。

本質が隠れてしまうからこそ、その本質のままに維持しようとする。これを初心を忘れないとも言います。人は別に何か心変わりしたから変わるわけではなく、本質を忘れてしまうから変わったと感じているだけなのです。

現に先ほどの数百年の木を磨けば、そのものの木目や年輪が出てくるのはその木がもともと持っていた本質が磨くことで思い出すのです。磨くということは言い換えるのなら「本質を磨く」ということです。磨くの陰には常に本質が隠れていて、本質的に生きている人は常に日々が磨かれているということです。

何のためにそれをやるのか、何のために生きるのか、そういうことを思い続けながら日々に生きているからこそその人は磨かれ温故知新して常に本質を維持していくことが出来ます。

磨くという実践は人生においては、自分らしく生きること、個性を活かすこと、そして目的を忘れずに本懐を遂げるためには何よりも大切な徳目なのでしょう。

引き続き、日々を磨くことを通して時代が変わっても世界が広がっても共通しているものを守り続けていきたいと思います。

子どもと場

現在、「こども食堂」という場が世の中に広がっているといいます。これはもともとは東京都大田区にある「気まぐれ八百屋だんだん店主」近藤博子さんが名付けはじめた実践が世の中に共感されているからだそうです。

このこども食堂という名前を聞けば、なんとなく子ども達が集まる食堂というイメージですがこれは子ども達だけが集まるのではなく高齢者をはじめ様々な人たちが集まる場だそうです。以前、新潟で拝見した「実家の茶の間」もそうでしたが如何に自分たちが居場所を感じられる茶の間を用意できるか、ここに今急速に失われている地域再生の根っこがあることを実感しました。

このこども食堂の定義は「こども食堂とは、こどもが一人でも安心して来られる無料または低額の食堂」となっていて子どもが一人ぼっちで食事しなければならない孤食を防ぎ、さまざまな人たちの多様な価値観に触れながら「だんらん」を提供することを目的にしているといいます。

つまりは一家団欒というものが地域から消えてしまったものを補うものでもあります。私が聴福庵の囲炉裏で用意しようとしているものにもここに共通するものがあります。囲炉裏を囲み、あらゆる多種多様な価値観が触れ合う中で一緒になって火(いのち)を囲む中に団欒があります。今はこういうものが失われたことから子どもは自分の持ち味や、自分らしさを実感できることが少なくなったように思います。

人は誰しも自分の居場所が見つけられることで自分の存在を確認できます。それは人格の根とも言え、自分の根がどこにあるのかを自覚することで植物のようにそこから養分を吸い上げ立派に成長していくことができるからです。

根元が不安定なものは、根なし草のようにふわふわと浮いていますし、根がないものはどうしてもその人生に不信や不安が付き纏います。自分が居てもいい、自分の居場所を認めてくれる仲間や家族の存在が合ってはじめて人は自分を肯定して自信を持て、世の中の社會に受け止められているという実感と自立が生まれるように私は思います。

自立も共生も、子どもの頃の多種多様な価値観、多世代交流、多体験によって育まれます。それは全てにおいて地域の見守りがあったことで成り立っていましたし、人類はずっと子どもを地域で見守り育て合うことによってここまでいのちをつないできたとも言えます。

昔は自然環境が厳しく両親が早死にすることもあり、もしくは自然災害で全員の身内を失ってしまうようなこともありました。しかしそういう時に、地域の人たちが見守り育ててくださった御蔭で立派にその後の子どもが生長し、またその御恩返しを地域にして発展し続けてきたともいえます。

そういう人の循環する「場」が失われているとしたら、これは共生社會の危機であり自立社會の危機でもあります。自分の個性が尊重されながらもみんなで一緒に生きていく仕合わせと心地よさを子ども達に体験してもらいたいと思います。

地域への伝承と合わせつつ、子ども第一義の理念を自分なりに発展させて貢献していきたいと思います。

豊かさを譲る

今、時代はかつて人類が大切にしてきたものを手放してきているとも言えます。特に最近の世界情勢をみていたら、自分の国の利害ばかりを優先し他国を省みない言動や行動が増えてきています。

本来、思いやりや優しさは利他から生まれ自分のことだけではなく一緒に生きている周りのことを思いやるやさしさこそが本来の国の強さのはずですがそれをもここにきてまた手放そうとしています。歴史を鑑みれば、こういう自利ばかりを追いかけるようになると紛争が生まれやがて必ず戦争に発展していきます。身近な人間関係とも同じで自分さえよければいいという考え方が孤独を広げていくのです。

如何にそれぞれが周りを思いやるチカラを育てるか、それは幼い頃から思いやりや真心、友情や愛情の居場所を持てるかどうかではいかと思います。多様な価値観を持つ人たちの中で、様々なことを学ぶと言うのはもっとも効果があるのが協働や協力、そして思いやりなのです。

かつては、おじいさん、おばあさん、近所のおばちゃんやおにいちゃんおねえちゃん、その他、近隣のお店の人々にいたるまで地域が存在していました。悪いことをすると叱ってくれるおじさんがいたり、あらゆることは地域の中で学びましまた。そうして気づいたことは、自分一人で生きているわけではない、自分勝手ばかりをしてはならないということでした。

人は多くの人たちの中ではじめて自分の存在に気づきます。自分の行動が周りに大きな影響を与えることを学びます。その影響を知ることが自分さえよければいい、自分のことだけやっていればいいという我儘が如何に周りに迷惑をかけるのかを自覚するのです。

周りの御蔭様で私たちは生きられる、そういう御蔭様の真心を幼い頃から体験することで子どもは思いやりややさしさの本質を学びます。今は、地域が消失し、壁に仕切られ一人ぼっちになってもお金さえあればやっていける時代だともいえます。しかしその事から孤独になり、次第に居場所がなくなり寂しい思いをしているお年寄りや子どもたちが増えています。

福祉というものの本質は決してそういう人たちにやってあげるのではなく、御互いが見守り合えるように如何に居場所を用意するかということです。利害ばかりを追求しているうちに大切なコミュニティを失い、利害の影響を受けて孤立してしまう人たちがいるということこそが貧しいということです。

豊かな国になったはずが、かつての心の豊かさはそれと反比例しどんどん貧しくなっていく・・・そういうことに気づいた人たちが自ら立ち上がり、行動を起こしその貧しさに立ち向かっていくことも増えてきています。そういう希望や兆しも増えていますから、私たちも子ども達のために何ができるか真摯に考えていきたいと思います。

大切なのはもう一度、豊かさの定義を皆で見つめ直すことかもしれません。結果さえよければいい、能力主義や成果主義、または競争社会、比較の刷り込みばかりをもっていたら貧しさがより一層深くなるばかりです。道徳と経済とは本来分かれているものではなく道徳経済でした。道徳が経済に切り離されたことにより様々な問題が深刻なものへと変貌しています。経済にどのように新たな風を吹き込むか、それぞれの自覚が再生を担います。

その時、先ほどのような「場」という教育の在り方が、この失われてきたものを原点回帰し再生するための大切な鍵になるでしょう。

引き続き、未来に真の豊かさが譲っていけるよう子ども第一義の理念に沿ってカグヤは「見守る」ということの実践を広めていきたいと思います。

進化を捨てるというツケ

現在、古民家を再生していますが現在の建物を建てた当初の時代に一度戻して直しています。日本人の暮らしを再生していく上で、最初はどのようであったのか家と対話してくために必要だと私は感じています。

これは自然農の時も同じで、最初はどうなっていたのか自然はどのようにしていたのかを知ることでそれまでの歴史を洞察していけるからです。何でも突然今こうなったのではなく、永い時間をかけてじっくりと変化してきたものがあります。変化といえば急変することばかりを変化と呼ぶ人もいますが、本来の変化とはじっくりとゆっくりと微細に行われていくものです。

古民家再生の中で明治から昭和にかけての小説家、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」(いんえいらいさん)はとても参考になります。日本家屋の持つ「陰翳」はありとあらゆる空間を恢復するのに必要になります。私の勝手な洞察ですが、本来日本人は縄文時代をはじめ森の中、土の中に家屋がありました。

原始の家は、木を組んで蔓で縛り三角形にしてその中心に炭と火を焚いて藁で囲っていただけのものでした。薄暗い中で火を囲み、一家団欒したところをはじまりとしたらこの陰翳というものはその頃から続いてきた懐かしい暮らしの一端なのかもしれません。また山の中に入ると木々の木漏れ日や朝夕の杜の闇に陰翳を感じます。神社や家屋にこの陰翳が用いられるのは、太古から続く私たちの生き方に触れ安心するのかもしれません。

今の時代は、急速な西洋化が進み家屋をはじめあらゆる環境が急変してきました。例えば、気候も風土も事なる北半球の家屋を真似てビルやマンションを建てていますが今まではそのようなものはありませんでした。私もヨーロッパに留学経験がありますが、光がいつも斜めから差し込み暗かった記憶があります。建物を大理石やレンガでつくるのは寒さをしのぎ町を明るくするためだったようにも思います。ステンドガラスなども光を効果的に屋内に入れるための工夫だったのでしょう。また街灯をどこでも明々と照らすのは長い冬の夜の鬱々とする気分を吹き飛ばすためだったようにも思います。ヨーロッパの人が暖かく明るい場所にバカンスにいくのもその冬の陰気を少しでも和らげるためだと聞いたこともあります。

日本はそれとは対照に、いつも太陽が真上から差し込んできます。夏の暑さも上から下から暑さに挟まれ日陰がなければずっと外にいるのは本当に大変です。日本家屋はその熱や湿気が篭らないようにあらゆる工夫を凝らしています。土が下にあり木が上にあり水と火を上手に取り入れるのもこの湿気の多い風土では効果的です。また行灯のように小さな明かりを用いるのも昼の強い光と対照的な暗闇を味わいたいということもあるように思います。西洋は光が乏しくピカピカに光る光が好きなのに対し、私たちはこのピカピカに光るものが苦手であるとも言えます。それよりも穏やかに差し込んでくる杜の中のような和やかに重なって連なる光を見ると安心するようにも思います。

これはもともと異なる民族、風土が変わっているから異なるのであってそれを全て西洋が進んでいると右に倣えで換えていたら次第に風土の自然から離れてしまうのかもしれません。

谷崎潤一郎の著書、「陰翳礼讃」の中で「年寄りの愚痴」という項目があります。そこには次第に年寄りはいらなくなってくような時代の変遷に愚痴をこぼしている一節があります。

「要するにこれも愚痴の一種で、私にしても今の時勢の有難いことは方々承知しているし、今更何と云ったところで、既に日本が西洋文化の線に沿うて歩み出した以上、老人などは置き去りにして勇往邁進するより外に仕方がないが、でもわれわれの皮膚の色が変らない限り、われわれにだけ課せられた損は永久に背負って行くものと覚悟しなければならぬ。尤も私がこう云うことを書いた趣意は、何等かの方面、たとえば文学藝術等にその損を補う道が残されていはしまいかと思うからである。」

谷崎潤一郎の「損」というのは、それまでの暮らしを全部捨てて西洋化することは損なのだと言います。言い換えるのなら、合うものを捨てて合わないものにわざわざ合わせようとする損のことです。

本来、私たちに「合う」ものがあったのにも関わらずそれをまるっきり捨てて西洋の新しいものだけが価値があると信じてしまうことにより私たちはそれまで進化させてきた発明や発見をゴミ屑のように捨て去ってしまったことによる損が発生しています。ここで捨ててしまったかつての「進化」は、今の世代がそれを子孫に譲らないでいれば大変な損害を子孫へ渡してしまうということを忘れてはならないということです。

そこで谷崎潤一郎は最後にこう言います。

「私は、われわれが既に失いつゝある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐(のき)を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとは云わない、一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。」

こんな時代であってもせめて「一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。」ということですが、私がやっていることもこの願いと同じことを実行に移しているだけなのです。子ども第一義の理念を省みればいつも子どもに何を譲り子どもに何を遺せるかを考えない日は一日もありません。進化を捨てるツケは必ず子ども達にまわるということを先祖になる私たちはちゃんと考えていかなければなりません。

自分たちの生き様、つまりは生き方働き方が子どもの未来に伝承されていきますから何が自然で何が不自然か、間違わないように真摯に今を温故知新して精進していきたいと思います。

 

 

渾然一体

明治以降に急速に西洋化をした日本は、西洋的な発展を自分たちの発展と入れ替えてきたともいえます。本来、それぞれの国はそれぞれの発展の仕方と言うものがあります。気候風土に合わせて人種も分かれ、肌の色も価値観も暮らしも異なっていました。こういう人々たちがそれぞれにそれぞれの場所で独自に文化を発展させてきて今があるとも言えます。

それが今では世界が交通網や物流が世界の奥地のあちこちまで行き届き、世界中から物が運び込まれてきて同時に人や文化も入り混じります。そこで様々な文化が衝突し、受け容れられないものは排除したりと人類は今、乗り越えなければならない文化発展の過渡期を迎えています。

本来、異質なものが混ざり合うということはどういうことかそれを少し深めていきたいと思います。

混ざり合うという言葉に「渾然一体」という言葉があります。これは別々のものが混ざり溶け合って、お互いの区別がつかないほど一体になるさまをいいます。もはや混ざり過ぎて何が分かれていたのかが分からない状態になるということです。

渾然というのは、異質なものが異質なままに一体になっている様のことを私は定義しています。同じにする必要はなく、異なっているけれど理念に対しては皆一体になっているということです。

理念でいえば私たちの会社には窓際に沢山の花壇があります。カグヤガーデンと呼んでいますが新宿の高層ビルの中にある総合空調の中では、外にあるような自然がなく、風も吹かず雨も降りませんし季節の変化もありません。徹底管理された空間においても、それぞれの持ち味を活かす工夫として混植という方法をとりました。

この混植というものは、一つの花壇の中に多種多様の種類の植物をひしめき合うように入れます。しかしそうすることで単一の花を花壇に植えるよりもよほど長く花は咲き、それぞれの持ち味を活かして美しく空間を彩ってくれます。単一の花が美しいと思っている人もいますが、百花繚乱に咲き誇るそれぞれの持ち味が活かされた花の美はなんとも自分らしく尊く感じられるものです。

この混植こそが渾然一体の姿であり、分かれていたものが一体になっている様です。

私は会社の理念を語るとき、このカグヤガーデンをいつも意識しています。この花を見るとき、私はこれからの時代、グローバリゼーションで世界が単一化していく流れと、その反対に世界が多様化して百花繚乱に美しく活かされていく流れがあると感じています。

子ども達に遺して譲りたいのは、混ざり合うことは悪いことではなく混ざってい一体になったらもっと新しい美しさがあることを自分たちの生き方を通して伝承していきたいのです。それぞれの持ち味が活かせるのなら、私たちは必然的に助け合い譲り合っている社會もそこに存在しているはずです。

いがみ合い仲が悪く、果たしては戦争でいのちを殺めるということは子ども達にはしてほしくはないのです。だからこそ、自分たちがまず渾然一体になることを目指し、異質なものを受け容れる寛容さ、長所を友とし、その人のたちの好いところ、美点を伸ばし、認めていくという実践を常に大切に積み重ねていく必要があると思うのです。

私たちが実践する子ども第一義の発達の中心には常にこの「渾然一体」があります。

自然から学び直すのもまたこの渾然一体に気づく大切さを学び直すためでもあります。何が自然で不自然か、自分たちの理念を実践することで文化発展のモデルを示し、周囲に伝承していきたいと思います。

 

 

人類の智慧~生き残りをかけた教育改革~

人類というものは今まで生きていく中で、何を大切に守ってきたかというものがあります。これは伝承されてきた文化であり、私たちのいのちが続いてきた根源でもあります。そして現代を生きる私たちにとっては戒めでもあります。日本の先祖たちが、己に克つことを大切にしたように社會を維持していくためにそれぞれが守るべき規範がありました。これを道徳とも言います。

今、世界ではこの人類が大事にしてきた自戒や回訓が失われてきているように思います。それぞれの国々が、自分さえよければいいと言う自利に走り、度を超えて我儘に自分の欲ばかりを満たしていたらこの先どのようになっていくのかは火を見るよりも明らかです。

今一度、教育に関わる人たちはこのことを考え直し社會をどのようにしていくかをすぐに改めて改善していくしかありません。これまで続いてこれたのは先祖たちが続いてこれるような生き方を貫いてこられたからであり、私たちは先祖の恩恵に感謝し、先祖と同じように先祖になっていくのですから真摯に向き合う必要があります。

自然界では、自分勝手に我儘が通用しないように常に調和が存在しています。御互いがほどほどに謙虚に生き、取り過ぎず度を超えずに暮らしていくことで種を保存していくことができているとも言えます。

人間界はそれに反して、自分たちの思い通りにしてきました。そのうち度を超えてしまえば、間違いなく自然の中で篩にかけられ不自然を淘汰する流れがやってきます。自然界の調和は宇宙の力であり、私たちちっぽけな人間などが敵う相手ではありません。

今は自然から離れてしまい、自然を意識しませんが私たちは自然の中で活かされている一つの生き物でしかないのです。

二宮尊徳は、「分度」という言い方をしました。分相応、自分の分を弁えそれ以上は譲ることを実践して仕合わせを創造していきました。これは人類が生き残る智慧の結晶です。

何が自然で不自然か学び直し、人類の生き残りをかけて教育改革を進めていきたいと思います。私たちは分度、推譲の実践によって世の中に一石を投じていきたいと思います。引き続き実践を考案し日々の実践を磨き改善していきたいと思います。