初動の早さ

人は本気であればあるほどに覚悟を持ちますがその覚悟や本気を確かめるのに「初動の早さ」というものがあります。何でもいいと思ったらすぐにやる人は覚悟が決まっていて本気であると言えます。しかしいつまでも悩んでばかりで始めようとしない人は本気と覚悟が決まっていないとも言えます。これを少し整理してみたいと思います。

そもそも覚悟とは何か、私の定義では迷わないということです。

例えば「やる」と決めていることがあるのなら、どうしようかと迷う選択肢はありません。もちろんやるとは決めているものの、その障害の大きさを感じれば気分はよくなく、やりたくないなと強く思ったり、周りから聞きた助言を好き勝手に解釈しやらなくていい言い訳ばかりや、何か他に楽にできる方法はないかと逃げようとする感情は誰でも等しく出てくるものです。

しかしいつもそれを繰り返して結局は「先延ばし」していたらタイミングが全て悪くなり、「時間切れで仕方がない」という最高の言い訳を手にするだけで何の結果も変わりません。つまり初動の早さの反対は先延ばしということです。

よく覚悟を決めろとか、本気を出せとかいう人もいますが、それよりも「いいと思ったことはすぐにやる」習慣をつけた方がいいように思います。よくないと思ったらすぐやめるというのも同じことです。

不思議なことですが、心というものは気付きを持ちます。それは場面場面で内省したり反省する中で、「もっとこうありたい」や「これをやろう」といった行動に移りたいと心が感じます。その時、同時に「とはいえ」が出てきてやると大変だとか、やれなかったとき評価が下がるとか、感情が出てきて邪魔をし出すものです。そのうち心の方がしぼんできたり、心が枯れてきてやる気が起きなくなっていきます。時間だけが過ぎ去ってしまい、前に踏み出す一歩が出て来ません。

何でもそうですがこの「初動」というのは大切なのです。言い換えるのなら「すぐにやる」というリズムのことです。決めたらすぐにやるというのを行動力と言い、結局はやれるかやれないかではなく「やるかやらないか」という選択肢しかないのが現実の世界から正対し続けていくしかありません。

やってどうなるのかはやってみた後に必ず明白になります。やる前からどうなるのかを考えていても明白になることはまずありません。そして何のためにやるのかを決めている人はチャンスを逃しません。そのチャンスは、「今此処全て」です。

いいと思ったことをどんどん増やしている人は、好循環のサイクルを掴みます。またよくないと思っていることをすぐにやめる人もまた好循環の運気を呼び込みます。逆はすぐにやらない、いつまでも悪いと思う習慣をやめないですがこれが悪循環を呼び込み運気を下げる方法かもしれません。

迷わないということの効能は、人生においてとても大切なことのように思います。それは全身全霊のチカラが無理なく自然に発揮されるからです。余計なことを考えないで決めたことを遣り切る人には、覚悟と本気のチカラが加味されいつも追い風が吹いてきます。そしてたとえ向かい風のときにもまた、自分と向き合うチャンスに換えます。

覚悟力は迷わないチカラを持てるということです。初動の早さというものはリズム感ですが、それは迷う暇を自分に与えない克己の工夫ということでしょう。

「なんでもいいと思ったらすぐにやる、よくないと思ったらすぐにやめる。」ただこれだけの実践ですが、迷っている時こそ理念や本質に寄り添い原点回帰し、素直に正直に自分の感性を磨き、日々の習慣に手入れをしながら克己復礼に取り組んでいきたいと思います。

 

 

体験が学び

先日、奥庭の剪定でイラガやチャドクガに刺されました。イラガははじめて刺されましたが、急な激痛で熱を持ち、その後は小さな赤いぶつぶつができます。背中の棘の先から大量の毒を放出するようでその毒によりこちらが撃退されてしまうという仕組みです。チャドクガにおいては、毛を放出しその毛についた毒によって敵を撃退します。

今回はその両方の毛虫によって色々と痛く痒い思いをしていますが、こうやって体験することでその虫のこと、対策のこと、あらゆることを身体で学びます。体験の学びは、大変であればあるほど心身に沁みますからそのことから人は学ぶということがはじまるのでしょう。

今の教育は教えるばかりであまり体験を重視していませんが、本来は子どもは体験するから学ぶのです。体験なしに学んでいてもそれは学んだとは言わず、できる限り様々な体験を通してその体験が何だったのかということをフィードバックし内省することにより本来の学ぶ価値に出会えるように思います。自然というのは、そういう意味では私たちにとっての至高の先生です。

さて、このイラガとチャドクガですが特に殺虫剤を使わず枝や葉ごと取り除きましたがこの毒蛾の幼虫にも天敵はいます。例えば、カマキリや蜂、寄生虫、ウイルス、また一部の鳥が食べてしまいます。自然界はとても絶妙に調和していて、殺虫剤を使って全滅させるとかえってバランスを壊し一部の虫たちが大量発生したりします。

その都度、殺虫剤を使っていたら常にそこに全滅の状態を維持しなければならなくなり一度使ってしまうとずっと殺虫剤を使い続けなければならなくなったりします。自然の調和が来るのを待たずに結局は全滅させるとその後がもっと大変になるのです。自然農を学んでいるため、大変で面倒で危険でも手作業で手入れをしていきますが虫のことをもっと観察し学ばなければ今後も同じように刺される嫌な体験をしなければなりません。

どんなことでも体験をしてすぐ学ぶことが何よりも大切であり、その学びを次に活かすことで学びはさらに深まり学ぶ真価が出て来ます。自然の奥庭をつくっていますが、その自然の奥庭づくりが不自然では成り立ちません。いくつになっても「やってみたい」と思う子どもの好奇心があれば失敗を恐れる気持ちはなくなっていくものです。

引き続き、どんな失敗からも積極的に学び直し自分の方を変化させていく楽しみを挑戦と共に味わっていきたいと思います。

日本庭の心

昨日は聴福庵の庭の手入れをしました。もう何年も手入れをされていなかった庭は、木々も天井にかかり、風通しも悪くなっていましたが昨日の剪定ですっかり様相が様変わりしました。作業は暑くて大変でしたが、手入れ後の庭は清々しい風が吹き抜けています。

町家には坪庭や奥庭というものがあります。自然をうまく取り入れて日本の四季折々を庭の変化と共に楽しむという日本人ならではの情緒や風情があります。庭の紅葉の変化とともに春夏秋冬を家の中から味わうことができるというのはとても豊かなものです。

今と違って昔は冷暖房設備は便利ではありませんでしたが、その分、気持ちの部分で様々な工夫を凝らして自然に解け込んで暮らしてきたのが私達の先祖です。この坪庭や奥庭には私たちの自然の愛で方の妙法があるように思います。

例えば、光の入り具合にある陰翳礼讃は家のなかだけではありません。庭には様々な角度を葉が覆い、その他、石燈籠をはじめ多種多様な光が庭に反射投映され独特な影を演出します。その庭の中にある光だまりの中に私たちは「あかり」を感じます。この「あかり」は、透けて観える光でありこの透けることは心の清純さ、純粋さをあらわし日本人の心の根を感じるように私は思います。

また他には空間というものがあります。床の間をはじめ、日本の家屋には「飾る」ということが空間の演出ではないかと私は感じます。和室に物を沢山置いてしまうとあっという間に空間が壊れます。敢えてものを仕舞い、片付け、シンプルにすることはここにも素朴で素直、清々しい空間の美が出て来ます。

この空間は、奥庭や坪庭にも演出され、どこにどのように植物たちを配置するか、何を削り落として空間を引き立たせるか。引き算の美学は空間の演出にこそあると、ここ数か月の古民家再生で感じるところです。家に教えてもらっているのは空間を活かすということ、削り取り引き算にし如何にシンプルにしていくかという古来からの日本人の先祖たちの暮らし方の伝承です。

自分で手入れをすることで家が喜び、家が充実してきます。昔のひとたちは家人たちによる毎朝の拭き掃除にはじまり、掃き掃除、その他さまざまな掃除をして綺麗にしてきました。日本の家に住めば住むほどに掃除がしたくなるのは、それだけ心の清浄を大切にしていこうとして心を澄ませ暮らした古人の心と同調するからかもしれません。

引き続き、古民家再生を通して生き方と働き方を観直していきたいと思います。

木との対話

今年の2月から修理に出ていた古い木の風呂桶が無事に戻ってきました。もともと木には寿命があり、長い年月経ったものですからあちこち傷んでいますが桶職人の方の深い愛情を受けて丁寧に修繕されていました。

その風呂桶は修理前に見たときよりも一層その生命力が増しているように感じ、愛着がさらに深くなったように思います。特に木という素材は不思議で使い込めば使い込むほど、また時間が経てば経つほどに善い色合い、善い雰囲気を醸し出してきます。

私達の風土や気候はとても木には最適であるようで、湿気を吸っては吐出し、まるで呼吸をし続けるように生き続けています。何百年、何千年とちょっとずつ年輪を刻んだ樹木は、その後私たちの暮らしの道具になりその育った年数と同じだけ異なるカタチになって生き続けます。

その姿はまるで地球の生命力を貯め込むかのような生い立ちです。

世界では樹齢数千年の樹がまだまだたくさん残っていると言います。厳しい自然環境の中で、じっくりと地下に根をはり年々の環境の変化に順応して生き残ってきました。私たちが暮らしてきた民家においても、木が用いられ大黒柱をはじめ家を支える元気なチカラをその後も放ち続けているように思います。

「根」という字は、「木」と「艮」でできています。この「艮」という字は、動かないで止めるという字です。そしてじっくりと成長するという意味もあり木が入るのでしょう。同じところに止まりじっくりと根をはり成長をするその逞しく健やかな生き方の象徴として私たちは「木」から様々なものを学んできたとも言えます。

諺に「根浅ければ則ち末短く本傷るれば則ち枝枯る」がありますが、人生も同じく根という基礎や基本がしっかりと張ってその上に成長しけるということです。根を深く張るというのは、それだけ日々の体験を着実に深め、その根からの養分を吸い上げて葉から吐出すという呼吸循環を通して揺るぎない信念を持つということです。

今の時代こそ根という見えない部分を大切にし私たち人間よりも長寿である長老のような存在にもういちど私たちは学び直す必要があるように思います。

引き続き、身近な木の手入れをしながら丁寧に関わり「木との対話」を味わっていきたいと思います。

 

不便の価値と人間の文化

先日から便利・不便について書いていますがそのことを少し深めてみたいと思います。

人は便利と不便を使い分けるとき、自分の感覚を用いないのか、用いるのかということで使い分けているように思います。例えば、鉛筆削りなどもそうですが今では電動であっという間に削れますが昔はナイフで自分の手で削っていました。ライターが普及すればマッチで火をつけるということもなくなりました。

他にも大きなことでは天気予報や災害情報なども今ではスマートフォンのアプリで勝手に知らせますが昔は自分の五感や感覚で天候や自然の状況を察知していました。今では自分の感覚を用いないことを便利といい、自分の感覚を用いることを不便と言います。

そのうち自分の感覚が失われていき、本質的に不便になっていきますが実際の便利と不便の定義もあべこべになっているように思います。動物たちにとっては自然界で生きるのに、自分の感覚を使うほど便利なことはありません。人間はすでに自然から離れ、都市化され加工したところに住んでいるとすべて自分の感覚よりもデータや道具の力でやった方が便利だと信じ込んでいます。都会の人が田舎にいったら途端に何もできなくなるような感覚があればその意味に気づけるようにも思います。

もちろん別に原始返りすればいいと言っているわけでもなく、動物の時のように戻れというわけではありません。大事なセンスや能力、五感はそのままに磨き続けて現代の技術を用いることが本来の人間の持ち味ではないかと私は思います。そういう意味で今の時代のような便利を追求するということは、自分の感覚を怠けさせるのではないかと思うのです。そして自分の五感や感じるチカラが減退するということは、それを生物でみれば本来の進化とは呼びません。今は急速に人の持っている感覚が消失しているのも、便利な道具に流され依存し自分の感覚を使わなくてもよくなったからのように思います。

結局は一つの価値観によって画一化されて単一化された道具で、誰でも簡単に自分の感覚を使わずに便利さや自由の中に埋没してしまうとより一層個性が失われていくということでしょう。これは自立と依存の関係がとくに現れていることであり、生きるために自立するのが大変だから依存していたいと怠けてしまうのです。

このような環境下で自分の感覚を使うというのは、常に決心と決断、その自立への覚悟が問われています。主体性が失われてしまうから便利な道具に流されてしまうのです。主体性を持っている人は便利な世の中であっても、敢えて不便の中に身を置き、敢えて不自由を遊び愉しんでみるという実践を必ず持っています。不自由と不便を使いこなしているからその人の人生は常に発見と発明、創意工夫、活気に満ち溢れるのです。

つまり便利さに流されるのは本人の自立の問題だということです。そして自立は自分の感覚を使う人のことをいいます。

今は世界中で単一画一が蔓延し、次第に調和のための多様性が求められてきました。こたえのない時代と言われているからこそ、子ども達はこの感覚を研ぎ澄ます体験がますます必要になってきます。不便さや不自由さは今からの時代に何より必要な道具であり、何よりの智慧であることは間違いありません。

今までの教育の概念を根底から見直す時代に入り、今までの価値観は転換され世界はもう一段成長した成熟した社會を望んでいます。

世界の責任のある一人の人間として、自分が不便不自由を謳歌しながら実践をし、子ども達や周りにその不便の価値と人間の文化を正しく伝承していきたいと思います。

暗闇の価値

私はいつも早起きをして内省しブログを書きますが、この時間は一日の中でとても大好きな時間です。早起きが好きなのは、この薄暗いところから次第に明るくなってくる様子に心が安らぎ心地よくなっていくからかもしれません。

今の時代は「暗闇」を嫌い、暗さを遠ざけているように思います。特に都市では一日中、夜もネオンなどで眩いばかりで暗さがありません。この暗さというものを遠ざけているから内省もまた遠ざかってしまうのでしょう。日々に追われ流され日々に忙しくなるのは「暗さ」の味わい深さに気づいていないからかもしれません。

今回はこの「暗さ」を少し深めてみようと思います。

この「暗」という字は、日が隠れているという組み合わせでできている字です。同様に「闇」もまた、門の向こう側に隠れているという組み合わせの字です。まだ明りが隠れていて出てきていないという意味になっています。暗闇は、これから日が出てくる前の状態ということです。

私達の生活には陰陽があります。陰の時間に内省をし、陽の時間に活動します。その陰陽のバランスを保つことで日々、心と精神と身体が一体になって心身統一された日々を正しく送ることが出来ます。

暗闇の持つ徳というのは、私たちが深く考えることができるということです。暗闇というものは、奥深さを顕し、日本文化では陰翳礼讃といって明かりの持つ妙味としてずっと大事にされてきました。

例えば、「無暗」という言葉がありますがあれは前後を考えない、理非を考えない、つまりは「考えがない」という意味になります。この反対に「暗がある」というのは、前後をよく考えている、理非を考えているということになります。

人は暗闇があるから考えるのであり、暗闇によってその奥に在るものを常に感じ取り明るみの陰にある本質を感じる感性を磨き上げることが出来るように思います。

かつて長野の善光寺に参拝したとき、「お戒壇巡り」という体験をしたことがあります。地下の戒壇に入った途端、漆黒の暗闇が訪れます。昼間明るいときに急に暗闇に入ると恐怖や不安が突然襲ってくるものです。しかし、目を閉じて暗闇を受け容れ歩きはじめると今度はゆっくりと心が落ち着いてきて様々な考えがまとまっていきます。

この明暗の体験で気づくのは、人は如何に目を基準に物事を判断しているのか、目で見たものを信じているのかということではないかと私は思います。目で見たもの以外信じなくなると人は文字通り「目先」にばかり目を向けて余裕のない日々を過ごします。

しかし目を閉じて暗闇に入るのなら人は「内省」によって目に見えないものを感じとることができるのです。この内省により感じ取ること、それによってその隠れた奥深い意味やつながり、御縁を結んでいくこと、その中に本質を見失わない人としての生き方があるように思います。

子ども達に暗闇を体験させること、そして「あかり」を感じさせることは、生き方を感じてもらうことです。囲炉裏も炭も家もすべてその体験を助けてくれる大切な道具です。暗闇の中の星空、それを家に呼び込むのは宇宙を体験させることと同じです。いつも先祖の偉大さを感じます。

引き続き、暗闇の価値を磨き内省の実践を高めていきたいと思います。

伝承の意味

私達は言葉を通してあらゆる知識を取り容れていきます。このブログも文章によってできる限り日々の出来事から気づいたことや問題意識などを書いていますが文字というものはとても便利なツールであるとともに、その便利さゆえに本来の本質が伝承されないということも起こります。

昨日も伝承について話をしましたが、伝承というものは文字や文章で簡単に伝わるものではありません。本来、まだ言葉がなかった時代、文字がなかった時代のことを思えば私たちはその時でも悠久の時を日々の暮らしから大切なことを子孫へ伝承してきました。

この伝承の本質について深めてみたいと思います。

そもそも人間は文字を使いますが、それ以外の動物たちは文字を使いません。私たち人間の特徴は、あらゆる道具を開発し道具によって発展をしてきた生き物だともいえます。その一つの道具として文字というものを開発してきました。この文字を造ってから人類は飛躍的に知識を交流させるようになり、今のようなIT時代になるとありとあらゆる知識を瞬時に便利に入手し活用することもできるようになりました。

しかし同時にその便利さというのは、常にその便利の陰に隠れている大切なことを失っていきます。例えば、今では火をガスやライターなどで簡単につけられる時代になりましたが昔の火のもっているゆらぎやぬくもり、癒しなどはそれと同時に失われてきました。便利さの陰で失われるものは、火というものの存在の本物の真価です。

これと同じように文字や文章が簡単に使われる時代になると、それまでもっていた本来のいのちの真価や自然そのものの存在をあるがままに直感するチカラも消失してきました。

今は自然のことを文字で説明して教える時代になっています。山を見て山と認識し、川を見て川と認識する。雲は雲で、氷は氷と言いますがそんなものは本来の山でも川でも雲でも氷でもないのです。

自然をそのままに理解するのに言葉は必要かといえば、むしろ言葉は必要ありませんし文字も必要ないのです。

その便利の陰に消えてしまったものをどのように取り戻していくか、ここに民族伝承の鍵が私はあるのではないかと思います。文化の継承や伝承は、この無文字の世界、無言葉の世界、言い換えるのなら「無」によって行われるものです。

この「無」をどのように体験してもらうのか、そこに日本の精神「場」や「間」や「和」の伝承の仕組みが存在していたと思います。子ども達が言葉や知識だけではわからない物を体験させることは何よりも大切です。そしてその中に私たちの先祖から連綿と続いて繋がって結ばれてきたものをがあることを忘れてはなりません。

その先祖の存在こそが私たちのアイデンティティそのものであり、その先祖に感謝しているからこそ安心して未来永劫仕合わせに存在していることができます。

こういうものを文字で書かなければならないということは矛盾そのものですが、現実を受け止めつつこの時代にどのように初心伝承していけばいいか、まだまだ学び直していきたいと思います。

常識を壊すこと

時代の変革期というのは価値観の変革期でもあります。今まで通用していた価値観が、ある時から次第に変わってしまうということです。例えば近代では戦後の頃や幕末の頃もそうですし、もっと昔なら稲作が渡来した弥生期や仏教伝来の飛鳥時代の頃なども価値観が変化したとも言えます。

それまで常識と言われていたものが壊れてしまうのですが、人のこころはなかなか変わらないもので世の中が変わっているのに気付かない、いや気づきたくないから気づこうとしないものです。これは歴史を観ればわかります。

例えば、吉田松陰がこのままでは日本は西洋諸国の属国になると危惧しこのままではいけないと改革を訴えても世間は馬耳東風、誰も相手にしません。そのうち頭がおかしいのではないかと周りに思われ、吉田松陰自身も自分のことを「狂愚」と名乗り、それでも価値観が変わるのだ、時代が変わるのだとそれまでの常識に対して一人勇猛果敢に挑みました。

松陰は死に際し、「小生、獄に坐しても首を刎ねられても天地に恥じ申さねばそれにてよろしく候。」といいます。自分が罪人のように扱われたとえ首をはねられたとしても、天地の神様に誓って自分の至誠(真心)には一切恥ずかしいものはないのでよろしくお願いしますと言います。「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」といい結果が分かっていても常識を壊すために信念を遣り切りました。

この常識というものは、それまでの当たり前のことです。言い換えるのなら旧態依然の状態のことです。このままでは確実によくないことが起きると分かっているのに誰もなにもしようとしない。現実逃避を繰り返し、言い訳と批評をしながら誰かがするのを待っている、そして英雄待望論だけは大きくなるがそれぞれ自分の国の責任を当事者として持とうとはしない。こんな全人無責任な状態で誰かがなんとかしてくれると思っている方が私にとっては狂っていると感じますが、誰か任せでいることが当たり前になってしまった社会ではゆでガエルと同じように死に体になっているのです。

さらには世界は今、アメリカ、イギリスをはじめ大国がかつての栄光に戻ろうという保守のみに傾き始めています。これは世界の動きですが成熟さに向かわずに結局は旧態依然に夢見ているのです。これは形は異なれど幕末の頃の幕府のやったことと実際は同じことが起きているのです。

このように今までの常識が行詰ることで自分がやらなくてもいい状態、誰かがやってくれるのをただ指をくわえて待つ状態、それが常識を強くし縛られ変化を嫌い、本来の成長ではなく歪んだ成長信仰につながっていくのでしょう。

そんな時は、吉田松陰の言う「狂人」になってでも世の中のためにそれぞれが自分がやらなければ誰がやると常識という刷り込みに挑み、新しい常識を信じてやり遂げて見せるしかありません。目覚めた人というのは、どの時代どの歴史でも変人奇人扱いされ、異常とののしられ頭がどうかしていると思われるものです。

吉田松陰は弟子たちに「諸君、狂いたまえ!」と声がけをしました。これは奇人変人になれと言ったわけではなく、「みなさん、常識を壊しなさい!」と言ったのです。そして高杉晋作はその言葉を受けて自分のことを「一狂生」と名乗りました。

これは私の認識ですが「吾は死ぬまで常識を壊し続ける人である」と名乗ったということです。そして高杉晋作はその言葉通りの人生を生き、常識を壊してみせることで世間に価値観が変わったことを示しました。

その後、バトンリレーのように志が継承され彼らが常識を壊したことにより時代は変わりました。常識が壊れようやく温故知新でき、正しく変化成長し周辺諸国に蹂躙されず日本人として日本を守り抜きました。今の日本があるのは、時代の価値観を的確にとらえそれまでの常識を壊し続けてきた大和魂を持つ志士たちの草莽崛起してくれた御蔭なのです。

ここにきて改めて常識に縛られないことの大切さを思います。理念と信念をしっかりと自分の脚元で実践していくことの価値を改めて再認識しました。遣ると覚悟を決めているのだから、どうなるか分かっていてもそこに挑み続けていきたいと思います。

同志や仲間が増えていくことを心強く思います。

子ども第一義を実践し続けたいと思います。

家の恩徳

昔から家というものは、その土地や風土、その国の価値観を今でも色濃く建物の中に遺ってあるものです。山の中や海の近く、川の傍から谷の底など、その場所場所で家は工夫されてきました。また英国やオランダなどヨーロッパの家と中国や韓国などのアジアの家、それらは気候風土だけではなくそれでの伝統も家の中のつくりのなかに取り容れられています。

日本人の家は南は沖縄から北は北海道と気候風土も異なりますが、家の中にある価値観は同じようなつくりで建てられています。例えば畳、縁側、瓦、土間、障子、襖など、これは全国各地のどこの日本の家でも共通して存在していました。

今では和風建築に残るくらいで、ほとんどが西洋式の建物に変わってしまいそこに住む人々の価値観も次第に変わってきています。

日本の家というのは、自然の世界と人間の世界の境界線がほとんど曖昧につくられています。西洋の家では、塀や堀、また壁によって外界との共感線ははっきりと遮断されます。

たとえば、西洋などでは冬になれば全て窓を閉め切り完全密封して暖炉で家ごと暖めます。しかし日本は、隙間風も多く囲炉裏や火鉢、炬燵の近くに人間の方が近づいてじっとして暖まります。自然から切り離して人間の都合で人間の慾を満たそうとするのではなく、70パーセントの快適さ、腹八分目、ほどほど満足、足るを知るかのような境地でそれは少々我慢します。

たとえ部屋が暖まり快適にならなくても、みんなが火があるところに手が届く距離でみんなで暖をとれば、その分、人の暖かさで温もりがとれるという考え方だったのでしょう。日本人のこのような発想の工夫、自然の活かし方、人間の心の活かし方はまさに自然と人間が調和しているように思います。

もしも100パーセントの快適ばかりをめざし、いつも満たされていたら人間は次第に傲慢になっていくのかもしれません。数パーセントの不便をもゆるさず、その不便を克服するためにさらに自然から遠ざかっていくように思います。

しかし日本人の謙虚さは、自分だけを満たさず周りのことも思いやることで少々我慢しますがその分、思いやりが通じ合うことによる感謝やぬくもり、一緒に生きる人々の安心感が得られるのです。一人でなんでもうまくいけばいいとやればやるほど実は孤独になり、不安を抱えているという話はよく聴きます。自分勝手が人間を孤独にしていくとも言えます。実際には、人は一人では生きていけませんから不便だからこそ人は助け合い、不便だからこそ思いやれます。しかしその不便は安心というもう一方での眼には見えない心の快適や平安を産み出しているのです。

自然と共に暮らす安心感とは、いつも一緒につながりあっている安心感です。自然から切り離すことでその関係も切り離されます。日本人の持つ、御縁が結ばれているや絆があるという感性はこの自然との共生、人々との協働生活による調和の中から感性が磨かれてきたのです。天照大御神のときより共同していることを重んじるために永年実践してきた様々なまつり、稲作、暮らしの神事が今はものすごい勢いで消失してきています。

何を大切に生きてきたか、それがあったからこの気候風土の中で私たちは今まで生き残れてきたとも言えます。それを子孫へつなげないということは、この気候風土では長生きできなくなるということです。世界でもっとも自然災害を受けているこの国は、他の国のような暮らし方では通用しないから先祖はもっともその災害を通して学んだことを子孫へあらゆる暮らしの文化を通して遺してくださっているのです。

その思いやりはまるで父母の恩徳そのものです。

この父母の恩徳を感じ、それを継承することは自分がその父母の恩徳そのものになろうと実践することです。古民家再生は、家の再生ですが、家の再生とは父母との恩徳の再生でもあります。古民家の価値は、子ども達を思いやり続けた親祖父母の祈りや願いが籠っている暮らしの中にびっしり詰まって遺っています。まさに家の恩徳は父母の子どもを思う真心の結晶です。

末永く子ども達が安心してこの気候風土を楽園にしていつまでも仕合わせに生きていかれるようにと祈り、願う心のままに恩徳は今も息づいています。ひきつづき子ども第一義の理念を実践することで暮らしの再生を通じて伝承していきたいと思います。

 

なつかしい未来

人間は誰にしろ「懐かしい」と感じる心を持っています。まだ幼い子どもがある景色をみて懐かしいと感じたりします。この感覚はいったいどこから来ているかということです。

「懐かしい」という字を辞書で調べると、(1 心がひかれて離れがたい。2 かつて慣れ親しんだ人や事物を思い出して、昔にもどったようで楽しい。3 引き寄せたいほどかわいい。いとおしい。4 衣服などがなじんで着ごこちがよい)(コトバンクより)などと書かれています。

本来、この懐かしいという言葉は「なつく」という語源から来ている言葉であり慣れ親しんでくる、つまり馴染んでくるという意味で用いられていた言葉と言います。

昔ながらの田舎の棚田をみて、稲作をしている人たちの仕事ぶりや様子をみると何か心に惹かれるものがあります。また古民家で暮らしている人たちの様子をみるとまた同じように心が何かを思い出しています。また一緒に暮らしてきた犬や猫、牛や馬、ツバメや雀なども今でも近くにおいて共に生きていこうとします。

私達は知識で認識できないものであっても、心は慣れ親しんだものをいつまでも宿しています。かつての記憶は私たちの心に生きています。思い出せないと思っていても、実際はなつかしいと感じる心が遺っていますからそれは忘れてはいないということです。

何百年、何千年と同じようにその場所で生きてその場所で暮らした記憶は慣れ親しんだ情景と共に心の中に生き続けています。そしてその安心感があるから、人は先祖とつながり、先祖がいてくれた御蔭様で今が在ることに心から感謝するようになります。

懐かしいという言葉を使う時、それは単に過去に戻りたいと言っているわけではありません。私が思う「懐かしい」という言葉は、慣れ親しんだ文化、自分たちの風土にあった馴染んだもの、その居心地の善さのことを言います。それは言い換えれば自分らしくいられること、日本人らしく生きること、自分たちがどのようなものと共に永らく道を歩んできたか、自分たちの個性を取り戻すということでもあります。

なつかしいままに未来があるというのは、多様性を維持しながら進化成長していくということです。画一的な西洋一辺倒の文化が先進的で価値があると思い込み、それを単にコピーするだけでは地球はもう発展を持続することができなくなってきています。成熟した社會を創造するには、もう一度原点に立ち返りそれぞれの違いを認め合い共に尊重して助けあっていきていかなければなりません。

世界は今、過渡期であり欧米、アジア、中東にある大国をはじめ様々な国家が成熟できず行き詰まりをみせています。なつかしいままに未来を切り開くというのは、本来の慣れ親しんだ文化を大切にしながら新しい時代を革新していくということです。それは自然に沿って人々が調和していく社會を築けるかどうかということです。何千年も生きてこられた智慧を捨てるのか、拾い直すのか、ここが人類の分水嶺ということです。子ども達のためにも何もしないまま指をくわえて待っているわけにはいきません。

温故知新の温故とは、この「懐かしい」という意味と同じです。本来の日本人らしい日本人のままに世界に出て自分たちの自然文化から世界の調和のために貢献できる成熟した人間を育てていく必要性をひしひしと感じます。

そのためにも何よりも自らの改革と実践あるのみです。伝承という懐かしさを深めつつ、何を新たにしていくか、子ども達のためにも日々に創意工夫し挑戦していきたいと思います。