人はみんなどこか必ず自分に似たところがあります。古語に「我以外皆我師」という諺があります。これは人に限らず自分以外のものはみんな先生であるという意味です。自分が驕り高ぶり思い込みを持てば人の話を聴かなくなります、そうやっているうちに学ぶ心を忘れてしまっては成長が止まってしまいます。
人はみんな未熟だからこそ、周りをみては自分が未熟であることを実感していくから学びが深くなってきます。人間関係というものは、自分自身と向き合うのにとても大切なことのように思います。
自分に似ているところが良いところもあれば、自分にとって似ているのが嫌なところがあったりします。他人の嫌だなと思うところは自分にとっても嫌悪しているところが多く、自己嫌悪すればするほど他人を嫌悪していくものです。自己嫌悪が他人嫌悪のようになり次第に人間不信になっていけばより一層自分自身のことを認めることが出来なくなります。
自分が自分を認めることは、未熟な自分を認めることです。その上で未熟だからこそ改善していこう、未熟だからこそ学び直していこうと精進できる有難さに気づけるようにも思います。
今の時代は、教育の刷り込みからか周りの評価を気にして自分の価値がどうなっているのかを気にするあまり本来の自分(自己)というものとの付き合いが出来なくなっている人が増えているように思います。
自分というものを認めることが他人を認めることになり、自分が学び直すことが他人から学び直すことにもなります。この逆に自分を認めなければ他人を認めませんし、自分が学ばないから他人からも学べないのです。
人間関係はまさに自分を磨く砥石です。御互いに似ているところがあるからこそ、何を気をつければいいか、何を教えてくれているのか、相手の姿は自分の鏡だと思い自分からその鏡に向かって直していこうとすれば相手もまたその鏡によって変化していくように思います。
他人の善いところを沢山見つけられ発見できる人は、自分の善いところも沢山見つけられる人です。他人のことが尊敬できる人は自分のことも尊敬できる人です。もっとも身近な自分のことを大切にできなければ、自分の大切にしたい人を大切にすることができなくなります。
だからこそ自分自身の人格の一致、これが何よりも大切なことです。そして言行一致した自と己との一体感は自分自身に安心を産み出しより自然な成長に原点回帰していくのでしょう。本来、人間が学ぶ意味は「学び直し」にあります。だからこそ我以外皆我師という実践を行うことで、評価の刷り込みを取り払い、常に自分自身を学び続けて精進し、高め続けて人格を磨き醸成する仕合わせを味わうことができるように思います。
道は誰しもその人に与えれてもらっている天与の道ですから、他の方法論などはなく「学ぶ心」を高めることで未熟さが成熟し納得のいく人生を送れるようにも思います。だからこそ日々に自分の間違いに気づける謙虚さと、日々に間違ったら直そうとする素直さを大切に自分の中にある子ども心と未来の子ども達のためにも持っていたいと感じます。
我以外皆我師として、内省を怠らず学ぶ心を育て、学び直しを続けていきたいと思います。