渾然一体

明治以降に急速に西洋化をした日本は、西洋的な発展を自分たちの発展と入れ替えてきたともいえます。本来、それぞれの国はそれぞれの発展の仕方と言うものがあります。気候風土に合わせて人種も分かれ、肌の色も価値観も暮らしも異なっていました。こういう人々たちがそれぞれにそれぞれの場所で独自に文化を発展させてきて今があるとも言えます。

それが今では世界が交通網や物流が世界の奥地のあちこちまで行き届き、世界中から物が運び込まれてきて同時に人や文化も入り混じります。そこで様々な文化が衝突し、受け容れられないものは排除したりと人類は今、乗り越えなければならない文化発展の過渡期を迎えています。

本来、異質なものが混ざり合うということはどういうことかそれを少し深めていきたいと思います。

混ざり合うという言葉に「渾然一体」という言葉があります。これは別々のものが混ざり溶け合って、お互いの区別がつかないほど一体になるさまをいいます。もはや混ざり過ぎて何が分かれていたのかが分からない状態になるということです。

渾然というのは、異質なものが異質なままに一体になっている様のことを私は定義しています。同じにする必要はなく、異なっているけれど理念に対しては皆一体になっているということです。

理念でいえば私たちの会社には窓際に沢山の花壇があります。カグヤガーデンと呼んでいますが新宿の高層ビルの中にある総合空調の中では、外にあるような自然がなく、風も吹かず雨も降りませんし季節の変化もありません。徹底管理された空間においても、それぞれの持ち味を活かす工夫として混植という方法をとりました。

この混植というものは、一つの花壇の中に多種多様の種類の植物をひしめき合うように入れます。しかしそうすることで単一の花を花壇に植えるよりもよほど長く花は咲き、それぞれの持ち味を活かして美しく空間を彩ってくれます。単一の花が美しいと思っている人もいますが、百花繚乱に咲き誇るそれぞれの持ち味が活かされた花の美はなんとも自分らしく尊く感じられるものです。

この混植こそが渾然一体の姿であり、分かれていたものが一体になっている様です。

私は会社の理念を語るとき、このカグヤガーデンをいつも意識しています。この花を見るとき、私はこれからの時代、グローバリゼーションで世界が単一化していく流れと、その反対に世界が多様化して百花繚乱に美しく活かされていく流れがあると感じています。

子ども達に遺して譲りたいのは、混ざり合うことは悪いことではなく混ざってい一体になったらもっと新しい美しさがあることを自分たちの生き方を通して伝承していきたいのです。それぞれの持ち味が活かせるのなら、私たちは必然的に助け合い譲り合っている社會もそこに存在しているはずです。

いがみ合い仲が悪く、果たしては戦争でいのちを殺めるということは子ども達にはしてほしくはないのです。だからこそ、自分たちがまず渾然一体になることを目指し、異質なものを受け容れる寛容さ、長所を友とし、その人のたちの好いところ、美点を伸ばし、認めていくという実践を常に大切に積み重ねていく必要があると思うのです。

私たちが実践する子ども第一義の発達の中心には常にこの「渾然一体」があります。

自然から学び直すのもまたこの渾然一体に気づく大切さを学び直すためでもあります。何が自然で不自然か、自分たちの理念を実践することで文化発展のモデルを示し、周囲に伝承していきたいと思います。