心に寄り添う

昨日、ある方の理念取材をするなかで「心に寄り添う」ということについて話をお聴きする機会がありました。これは昔は当たり前だったかもしれませんが、今ではなくてはならないとても大切なことであることを感じます。

この心に寄り添うということが一体何か、それを少し深めてみたいと思います。

他人の気持ちが分かる人という人がいます。それは他人を単に頭で理解するのではなく、その人の思いやりやその人の心に共感し、その人がどんな気持ちでいるのかを心で理解していくことが出来る人のことです。

この心で理解するというのは、自分の中にある共感力が必要です。そしてこの共感力は単に知識で得られるものではなく、心の経験と体験の集積によって次第に理解が深まっていくものです。

齢を経ていけば、昔祖父母にしていただいたことや両親にしていただいたこと、周りの方々の見守りや先輩、先人からの御恩を感じて次第に心が育ち、他人の気持ちが分かる人に成るからです。

この他人の気持ちがわかるようになるということは、他人の心に寄り添うことができるようになってきたともいえます。

例えば、今では心で思っていなくても頭でこうすればいいのだろうと常識的に対応したりする人も増えています。子どもに対しても子どもの気持ちを心で理解しようとするのではなく、頭で思い込んで対応しても子どもは心が充たされるわけではありません。

これは動植物も同じで、すべてのいのちには心があり、その心に寄り添うことではじめて対話が成り立つからです。これは無機物のものであったとしても、使われる側の立場になって心を寄せながら使っていけばそのものと心が通じ合い満たされています。

共感というものは、人類をはじめすべての生き物たちがいのちのままに生きていくために必要な大切な能力です。これは「思いやり」のことです。人は心を寄せていく実践をすることで思いやりが育ちます。思いやりが育つ人は、次第に他人の気持ちが分かるようになってきます。自分がどんなに他人の気持ちが分からないと悩んでみても、もしも相手が自分だったらと自分の体験が増えれば増えるほどにその苦しみや歓びを分かち合うことが出来るようになります。

人は思いやりがあるから信じ合うことができ、思いやりがあるからいのちを感じることが出来ます。いのちと接している自覚をどれだけ大切にするかというのは、他人の気持ちが分かる人になることにおいては何よりも重要なことです。

昨日は「いのちに関わる大切な仕事」をしているのだから「子どもの心に寄り添う」と仰るその言葉に大切なことを学び直した気がします。どんなこともいのちに関わるからこそ思いやりの心を育てて自らが他人の気持ちがわかる人に近づいていきたいと思います。

ありがとうございました。

心の拠所

人間には「心の拠所」というものを持っている人と持っていない人がいます。もともと心というものがどこにあるのか、心は常に何に感応するのかということを自覚する人は心を亡くしにくいように思います。

この心の拠所は、同義語には「・生き甲斐 ・ 生きる意味 ・ 生きがい ・ 心の支え ・ 精神的支柱 ・ 精神的支え ・ 生きる糧 ・  生きる支え ・ 生きる力 ・ 精神的よりどころ 」とあります。

人々が何を信じて生きていくか、そこには人類共通の理念や価値観があったはずです。それがなくては生きてはいけないほどの大切なもの、そういうものがなくてもお金さえあればなんとかなるや健康さえあれば問題ないなど巷では歪んだ個人主義のために大切なものが失われつつあるように思います。

昔の人々は、共通の理念や価値観を持っていてそれを大切にしたからこそいつも一緒に他者とつながることができ御互いの違いを認め合うことができました。それが今ではその共通の理念や価値観もバラバラになり、違いを認め合おうとはせず画一に同一化ばかりを御互いに求めるようになってきています。バラバラなものが群がることは多様性ではなくそれは単に烏合の衆です。違いを認め合う中で集団をつくってこそ仲間であり多様性は発揮されていきます。

人には信仰心というものがあるように思います。

つまりその人が何を信じて生きているかということです。信じるという行為は、心の拠所を持って生きていくということです。結果さえよければいいという風潮の中で、プロセスは蔑ろにされていますが本来このプロセスこそが「生き方」であり、生き方をもって働く人こそが「心の拠所」に従って生きているということです。

価値観の多様化とは、無法地帯になることでもなく、何か頑なに一つの教えを無理やり押し付けるようなものではありません。本来、仲間を持つとき御互いに何を拠所にしていくか、その心の拠所をどこに据えるかというようなことが必要なのです。それは人類共通の絶対的なものであり、この地球に生きていく上ではなくてはならない自然の摂理そのものなのです。仲間ができるのもその摂理を自覚しているから自分勝手なことをしなくなり社會ができてくるのです。

またそうやって生きる仲間は常に「つながり」の中で御互いを思いやり大切にします。その「つながり」の元こそが、理念や初心、生き方や心の拠所でありそれを握り合っているから手を離すこともなく信頼しあい助け合っていくことができるからです。

仲間がその人を信頼するのは、その心の拠所を一つにするからです。その一つにするからこそ、御互いの価値観は違ってもいいということになります。矛盾があるようですが一つの価値観を皆が握り合い一つにつながり、そしてつながることができるのならば御互いの価値観の違いは尊重することができ多様化するということです。

時代で環境が変化し一体人類にかつての何が失われてきたか、大切にしてきたものの何が一体滅んできたのか、今を生きる私たちは自分の眼と手で見極めなければなりません。そしてその刷り込みを取り払うことで本来の私たちの心の拠所を決め、御互いの生き方を尊重し合って助け合い皆が家族や仲間として一緒に生きていく豊かさと仕合わせを取り戻していかなければなりません。

まずは自らがその生き方を通して、本来の日本人の姿、人類の未来のために心の拠所、「子ども第一義」を実践していきたいと思います。

 

 

喜ばせる実践

古民家の再生をはじめている中である方から「家に喜んでもらえるような使い方をすること」と教えていただいたことがあります。この「喜ぶ」というのは、そのものが活き活きと仕合わせになっていくということです。

この「喜ぶ」とは何か、少し深めてみたいと思います。

もともとこの字の成り立ちは、打楽器を打って神様を祭り、神様を楽しませるという象形文字でできています。芽出度いとき、楽しいとき、仕合わせを感じるときに使われる言葉です。この喜ばせようとする心、おもてなしとも言いますが素直に感謝を伝えるときの姿であるとも言えます。

そもそも私たちは天からの授かりものであり、自分たちのすべてのものは預かりものでもあります。そうやって活かされている自分たちが天からお土産をいただき、その御礼として感謝を祭るのは自然の行いです。こういう感謝の姿の中に、生き活かされる不思議な喜びを感じているとも言えます。生活の中に存在する暮らしが楽しいのは、いただいているたくさんのものに対する感謝の心の現れだとも言えます。

家が喜んでもらえるような使い方とは、これを主語を変えれば道具が喜んでもらえるような使い方、または相手が喜んでもらえるような使い方、自分に置きかえれば自分が喜んでもらえるような使い方をするかということになります。

道具を飾るのも、または大切に扱うのも、もしくは綺麗に手入れして磨いていくことも、それはその対象に喜んでもらおうとする自分の感謝の心が投映するからです。そしてこの状態こそ、「喜び」そのものであり、仕合わせを味わっているのです。

どんな気持ちで日々を過ごすのかは、周りに対する感情の影響をあたえます。周りやみんなにいつも喜んでもらいたいと自分を使う人はみんなに喜ばれる存在になります。逆に、自分のことばかりを思い悩んでは周りに文句をいい自分を嘆きかなしみ、過去や未来を憂いてばかりいては周りに心配をかけるばかりで喜ばれません。

この「喜ぶ」という姿は、いつも感謝している状態のままでいるということです。言い換えるのなら、いつも楽しそうにしている人や、いつも喜んでいる人、いつも幸せそうに振る舞う人は、周りに対して素直に感謝の心を忘れない実践をしている人ということになります。

子ども達が楽しそうにはしゃぎ、喜ぶ姿には神様に対して素直にしあわせの心を示す感謝のカタチがあります。「うれしい、たのしい、しあわせ、ありがたい」などの感謝を顕す言葉は相手を喜ばせたいという気持ちに満ちています。

もっともっと喜ばせたいと思う心が相手を自然に尊重し、相手をおもてなしもったいなくその価値やいのちを活かそうとする心がけになるものです。喜ばせているのは何か、喜んでいるのは何かを忘れずに「喜ばせる実践」を愉しんでいきたいと思います。

 

掃除の功徳~烏枢沙摩明王~

先日、京都でイエローハットの鍵山秀三郎さんが主宰する「トイレ掃除日本を美しくする会」の方に講師に来ていただいて掃除道の実践に参加する機会がありました。京都市長も一緒に隣りあわせで掃除ができ思い出深い時間を過ごすことができました。

最初は自分の家のトイレでもないものを素手で掃除すると聞き驚きましたが、実際にはじめてみると綺麗に磨かれ美しくなっていくトイレに愛着を感じていきました。それに自分のではないものを綺麗に掃除していくこと自体が心地よく、今回の掃除で掃除の持つ妙味が改めて深くなったことに感謝しています。

その日は、トイレには「烏枢沙摩明王」(うすさまみょうおう)という神様がいるという御話からはじまりました。この神様は、家の神様の中のひとりで7番目の神様と呼ばれます。真言は「「おんくろだのうんじゃくそわか」と言います。

仏陀の教えの中にはこの神様の功徳は、自身洗浄(自分の心が清められる)、他心洗浄(他人の心まで清めることが出来る)、諸天歓喜す(周囲の環境が活き活きしてくる)、端正の業を植ゆ(周囲の人の心も物事も整ってくる)、命終の後、まさに天上に生ずべけん(死後、必ず天上に生を受ける)とあります。

昔の伝承として帝釈天は仏陀が糞の臭気に弱いと知り、仏陀を糞の山で築いた城に閉じ込めてしまった。そこに烏枢沙摩が駆けつけると大量の糞を自ら喰らい尽くし、仏陀を助け出してみせた。この功績により烏枢沙摩は厠の守護者とされるようになったといわれています。もともと便所は古くから「怨霊や悪魔の出入口」と考える思想があったことから現実的に不潔な場所であり怨霊の侵入箇所でもあった便所を烏枢沙摩明王の炎の功徳によって清浄な場所に変えるという信仰が広まり今にいたるといいます。

鍵山さんは、トイレ掃除は心身を磨く最高の道場であるとし掃除を実践すれば1つ目 謙虚な人になれる、2つ目 気づく人になれる、3つ目 感動の心を育む、4つ目 感謝の心が芽生える、5つ目 心を磨くことと言います。

謙虚な生き方を通して人は見えなかったところが次第に観えてくるように思います。また鞍馬寺の貫主様も「掃除は見えないところこそ丁寧に磨くことが大切です」と仰っていたとお聞きし、掃除とはなんと「磨く」言葉に溢れているものかと有難い気持ちになりました。

昨年は「磨」をテーマに一年を過ごしましたが今年は「徳」をテーマに一年を過ごしていますが実践が深まり有り難いご縁に結ばれていることに感謝することばかりです。

トイレ掃除から烏枢沙摩明王を拝み「場」を学び直して実践を高めていきたいと思います。

豊かさの意味

人生は不思議なもので意味がないことは一つも存在していません。ただ意味があると感じていないだけで、すべては有機的につながって存在しています。因果応報などもそうですが、今あることは以前に何かをしたことが時間をかけて自分に返ってきます。

私達は今目の前のことで一杯になってしまいますが、本来なぜ今があるのか、今があるのはどのようなつながりの中で発生しているのかを省みるとき、今目の前に起きていることはずっと以前にその原因があることを思い出すのです。

世の中にはそれを自覚している人と、自覚しない人がいるだけのように思います。

長い年月をかけて醸成されて事が起きると自覚する人は、今、此処の自分の実践が将来どのようなことに繋がっているのを直感することができます。しかし短絡的に自分のことだけを考えている人には将来のことが直観することができません。

大事なことは「省みる」ことであり、自分が日々に意味を見落としていないか、意味を感じてその意味が何につながってどのように変化していくのかを見守り待つことだと私は思います。

そうして省みて、意味が繋がってきたならば人は次にそれを善きものへと転じようと思うようになります。つまり日頃云う一円観と同じですが、如何に禍転じて福にするか、福を転じて幸福にするかはその人の心の持ち方、自分を変えてさらに善いことへと努力精進していこうという日々の変化循環に合わせていこうとする自然の運に沿って生きていくことができるようになっていくように思います。

しかしそれを邪魔するのは、自分の思い通りにしたいという自我欲や自分勝手な我儘を優先するときに発生してくるように思います。たとえ自分に少し都合が悪くても、それが周りのためになるのなら少しだけ我慢する、自分ばかりをあまり快適にしないように慎み生きていけば自ずから自然の運に近づいていけるように思います。

かつての日本の先祖たちの暮らしに垣間見えるように、私たちはいままでどのように暮らしてくることで感謝をわすれないようにしてきたか。そして昔から自然の運に逆らう事を戒め、いかなる修身修養を実践してきたか、これは人類が助け合い生き残るための智慧として継承してきたことと思います。

快適過ぎない中にある真の豊かさに気づけるような生き方を実践してきたいと思います。

自然調和~自分を弁えること~

自然には調和という言葉があります。調和しているのが自然であり、自然は調和している状態のことを言います。この調和とは何か、これは人間も自然の一部ですから調和していることで自分の存在が成り立ちます。改めて調和というものの大切さを深めてみようと思います。

そもそも自然というものは、それぞれの分を弁えて存在しています。二宮尊徳は「分度」と言いましたが、自分の分を弁えることでそれぞれの存在を活かし合います。

生き物たちは、食料を獲りすぎることはなく、度を超えてやりすぎることはありません。よく何らかの生き物だけが増えすぎることはありますが、それはその前に分を超えた何かを誰かが行ったことで調和が乱れるから発生するのです。

例えば、ある農園に害虫がいるからと農薬ですべての虫たちが死んでしまうとします。それまでみんなで分を守っていた生き物たちが死に、外から新しい生物は入ってきます。するとその生き物が急激に増えてしまいその農園はまた分を超えて調和を失います。そしてまた農園に農薬をまいてその虫を殺してしまえば今度はまた別の虫が外からやってくる。何も虫がいない状態になるまで農薬を使った頃にはそこの草花や木々にいたるまですべてが枯れ果てているということです。これが不調和と言います。

そもそも調和する状態とは何か、それは持ち味が活かし合っている状態のことです。持ち味が活かせないから不調和が発生し、そのこから不自然の悪循環に入ります。それぞれの生き物たちが分を弁えて、それぞれの場所で自分の分を守ることができるのなら自然は自ずから調和にハタラキます。

このようなハタラキを知る者たちは、余計なことをしなくなります。先ほどの農薬こそを仕事だと勘違いし業務ばかりを増やしては不調和をくりかえすのは、分を超えてしまっている自分に気づかないからです。言い換えるのなら、不自然であることにきづかなくなっているくらいに自分の能力にばかり頼っているのです。

本来、自然は周りを信頼し合って存在します。自分は自然から分かれている存在とは思っておらず、自分自身は自然の一部であることを自覚しています。つまりは自然と一体であるということです。

その自然から離れているから心が不安になり、余計なことを繰り返しているうちに分を超えて不調和を続けてしまうのです。それでは持ち味は出す暇もなく、ひたすらに忙しい日々の業務で忙殺されているうちに豊かさもまた消失してしまいます。

改めて自然から調和を学び直し、それぞれの人々が協働でチームになって仲良く働くことを実践していかなければならないと私は思います。自然の中で分を弁えることは周りと一体になって一緒に仲良く生きていくことです。この調和は、それぞれの持ち味の集積によって成り立っています。

引き続き、持ち味の本質を見極めつつ自然の法理を仕組みとして子ども達に伝承していきたいと思います。

子どもはカムイ

アイヌ文化のことを深めていると、子どもに対する人類のかかわり方に普遍性を感じます。本来、人類は子どものことをどのように思っていたか。いや、すべての生き物は産まれたてのこどものいのちをどのように考えていたか、根源に思いを馳せればある共通のものが観えてきます。

日本には古来から「三つ子の魂百まで」という諺があります。三歳までは魂のままであり、魂がそのまま百まで生きるということです。西洋にもThe child is father of the manという諺があります。これは子どもは人類の親であるということです。

アイヌの長老は、「アイヌでは赤子はカムイなのだ」と語るそうです。

「よく赤子を観察してみなさい。赤子というのは、泣けばおっぱいがもらえる、泣けば寝かせてもらえる、泣けば抱っこしてもらえる。自分が何かして欲しいときには、言葉で意志を伝えるのではなく泣くことによって叶えてしまう。言葉がいらない存在。泣けば用が足りる存在なのは、神様以外には有り得ないのだ」(秋辺得平さんより)

その赤ちゃんは誰のものか、それは単に親のものではなく神様から預かった神様なのだからみんなのものであるとし、アイヌでは子どもはコタン(村)みんなで育てるとしました。これはすべての人類、先住民たちの共通の理念で常に共同体社會の中で子育てをし、子どもをみんなで見守ることで人類はいままで子孫を繋いできました。

今の時代のように、歪んだ個人主義が蔓延し子どもを自分のものだと勘違いし親だけに子どもを押し付けたり、誰かにお金を払って育ててもらったりなどはなく子どもは「人類みんなのもの」だったのだから社會で育てたのです。そして、他の生き物たちと同様に自然の中でいのち(子ども)は自然に育つものです。自然に育つのだから、自然に育つように見守り環境をととのえていくことで私たちはおもいやりの社會を築いてきたとも言えます。今はその自然が不自然になっているから、教育方法論ばかりが横行し古来からあった当たり前の普遍的な在り方が崩れてしまっているのです。

アイヌ民族の伝承のように赤子はカムイとして考えること、赤ちゃんこそ天から神様が私たちに与えてくださった至高至大の贈り物であり偉大な財産であるという認識があったからこそ私たちはみんなのものとして見守ろうとしたのかもしれません。

子どもが単に経済の道具や大人の都合で、少子化対策などと対処療法ばかりで乗り切ろうとしたらどうなるのか。人類は今まで大切に紡いできた先祖代々からの仕組みそのものを手放すことになります。子育ては社會を換える教育の初心を持っていますから、その初心に何を据え置くか、人類の先祖から学び直す必要性を感じています。もう一度、根元のところから私たちは社會の在り方を観直す時代に入っています。

引き続き、アイヌの口伝から永遠に生きのこる智慧を学び直したいと思います。

アイヌの生き方

現在、「祭り」のことを通してアイヌ文化のことを深めていますがアイヌの自然に寄り添う生き方に共感することばかりです。アイヌ先住民族というのは、私達よりもずっと永くこの土地に住んで暮らしてきた人々のことです。

言い換えるのなら、地球の生き物や宇宙の存在、多様化していく前からそこに存在していた先祖のさらにずっと先祖とも言える存在です。その存在を大切にすることは、今の自分たちがどのようなルーツを持っているか、そしてこれからどのような未来を生きていくのかを判断するにおいてとても大切なことのように私は思います。

アイヌの生き方は、自然と共に暮らし、自然からのおすそ分けを慎み頂くことで生きていくという生き方であったことが深めるほどに分かります。これは自然農と同じ理念で、自然を敵にせず、自然を尊敬しながら謙虚に生きる生き方です。

アイヌの文化研究者であり、アイヌ民族でもあった二風谷アイヌ資料館館長、アイヌ初の国会議員に萱野 茂さんがいます。その萱野 茂さんは、生涯をアイヌ語の保存・継承のために尽力されました。自ら先住民族の国々を巡り、先住民族の価値を再確認されました。アイヌの生き方をその萱野 茂の言葉を通して垣間見ることができます。

「アイヌはその年の自然の“利子”の一部で、食うことも住むことも、着ることも全部やってきた。今の人間は自然という“元本”に手をつけている。“元本”に手をつけたら“利子”がどんどん減ることを、これだけ経済観念が発達した日本人がなぜ分からないのか。」

自然の利子の一部というのは、自然の全体調和の中で自分たちのために分けてくださった一部ということです。これは草花や虫たち、動物たちのように一緒に生きていく中で取り過ぎず貰い過ぎないというように分限と分度を保った生き方をするということです。自然の中にあるものを少しだけ使わせてもらうというような慎み謙虚な生き方あったことを感じます。

「アイヌ民族は自然を神と崇め、自然界と共存共生し慎ましく生きて来ました。魚、野獣、山菜のどれひとつとってみても必要以上には決してとらず、他の生きもののために残し、また来年のために置いておくのです。そのような自然界の巡りをアイヌ民族はよく知っていました。」

自然界の巡りをアイヌ民族は知っていたと言います。つまり循環型の暮らしの中で、自分たちがその循環の一部であったことがよく観えていたということです。永遠や永続的な暮らし方を、何千年、何万年と生き延びてきた智慧が備わっているということでしょう。 そしてそのような生き方をどのように伝承してきたか、そのことについてはこう語ります。

「私は、大正十五年、沙流川のほとり平取村二風谷に生まれ、物心ついた昭和五~六年には祖母”てかって”に手を引かれ、山菜取に野山を歩いたものです。当時のアイヌ婦人がそうであったように、口の周りと、手の甲から肘まで、いれずみをしていた人でした。昭和の初年で八十歳を超えていた祖母は、日本語を全くといってよいほどしゃべることができず、孫の私との会話は完全にアイヌ語ばかりでした。したがって山菜を採る場合の約束事もすべてアイヌ風のアイヌ精神を持って私に教え、山を歩く時の心得から、小沢でドジョウなど小魚を捕る時には、どうすれば神様に叱られないかなどと、こまごまと教え聞かされたものです。しかも、それらの教えの多くは、ウウェペケレという昔話をとおしてだったのです。」

昔話を通して「どうすれば神様に叱られないか」を伝承していたと言います。生きていく上での原点や判断基準、その拠所などはすべてこの昔話にあったといいます。これは歴史のことで、先祖代々、どのような生き方が天道に沿ったかという天地自然の道理を自らの体験を口伝によって継承していたのです。

私達は今しかわかりませんが、本来、今があるということはそれまでの歴史があるということです。それまでの歴史を知ることはこれからの未来へ向けての判断基準を学ぶということでもあります。

アイヌという先住民族は、自然界を生き残り生き延びてきた尊敬できる民の先祖です。今のように消費社会が成熟し過渡期になっているからこそ、これからのみらいのかじ取りをしていく中で私たちはアイヌから学び直す必要を感じます。

引き続き、今年のテーマ「祭り」を通して人類の原点を深めて子どもたちに遺し譲れるものを伝承していきたいと思います。

初心伝承の仕組み

伝承のことを深めていると技術の伝承とはどのように行われるのかということを考えます。何代も前からあるものを遺伝子レベルで継承されるものもあるでしょうが、それは本能的、直感的、魂的なものです。しかし技術の伝承は、その時々の人たちの努力によって継承されるのではないかと私は思います。教科書のようなマニュアルがあっても決して技術は継承されないのです。

佐賀の陶芸に酒井田柿右衛門があります。その十四代目の方がこのような言葉を遺しています。

「伝統と言えば古臭いものだと思われるかもしれません。しかし、350年以上の伝統がある柿右衛門は、時代が変わっても変化しないものもあれば、時代とともに変わるものもあります。変わらないものは技術です。伝承された技術の上に、いまの人に受け入れられる作品を作っていくことが伝統だと思います。」

この技術の伝承があるから変わらないものを維持しているということです。何百年も変わらない技術、これはまさに秘伝とも言ってもいいものです。それがどのように 継承されていくのか、ここに人類、いや自然界の最大で至高の仕組みが存在するように私は思えます。

秘伝と言えば、かつて三島由紀夫がこのようなことを対談で語っています。

『秘伝というのは、じつは伝という言葉のなかにはメトーデは絶対にないと思う。いわば、日本の伝統の形というのは、ずっと結晶体が並んでいるようなものだ。横にずっと流れていくものは、何にもないのだ。そうして個体というというのは、伝承される、至上の観念に到達するための過渡的なものであるという風に考えていいのだろうと思う。(中略)そうするとだね、僕という人間が生きているのは何のためかというと、僕は伝承するために生きている。どうやって伝承したらいいのかというと、僕は伝承すべき至上理念に向って無意識に成長する。無意識に、しかしたえず訓練して成長する。僕が最高度に達した時になにかつかむ。そうして僕は死んじゃう。次に現れてくる奴はまだ何にも知らないわけだ。それが訓練し、鍛錬し、教わる。教わっても、メトーデは教わらないのだから、結局、お尻を叩かれ、一所懸命ただ訓練するほかない。何にもメトーデがないところで模索して、最後に死ぬ前にパッとつかむ。パッとつかんだもの自体は歴史全体に見ると、結晶体の上の一点からずっとつながっているかも知れないが、しかし、絶対流れていない。』(三島由紀夫:の安部公房との対談:昭和41年2月・「二十世紀の文学」)

つまりは秘伝は技術の伝承において何かと繋がり続けている状態で流れていないという事。歴史が確かに積み上がって今の自分があるように、そこで生き続けているものがあるということです。それを如何に伝承するかが、何よりも重要でそれを伝承できてはじめて繋がりが維持されたということになります。

先日のアイヌの工芸品の伝承をする方の話もきっとこの秘伝を遺す仕組みのことを言っていたのでしょう。 ではどのように技術は伝承するかという話になりますが、これは宇宙開発事業団理事長の山之内秀一郎さんはこう言います。

「極論を言うと、私は技術の伝承は不可能なのではないかと思っています。技術とは自分で苦労して考えたり、困難を克服することで身につくものです。技術は自分で作るしかない。また、技術は刻々と変化します。技術は伝承するものではなく、変わっていくものなんです。」

変わりつつ変わらないもの、秘伝の仕組みがあることを感じます。

どんなことも自らの苦労をもってして技術に近づくしかない、日本刀の刀匠たちが古刀を目指し日々に鍛錬精進するように技術は困難の克服において身に着くものです。自分自身が困難に挑み困難を克服したとき、秘伝は伝授され継承する人のいのちに受け継がれていきます。

この自然界の仕組みは、私たちに具わっている最大の技です。その技を如何に達するようにしていくか、その環境を用意するのも教育の醍醐味のように思います。引き続き、子ども達の未来のためにも初心伝承を通して人類の危機に挑んでいきたいと思います。

 

人生の旅の醍醐味

日々を過ごしているとふと心が遊び旅に出たくなることがあります。旅は自由の原点であり、自由は旅を味わい深いものにします。そして人生は旅そのものであり、いつも心は旅をしているとも言えます。時折、風に吹かれ風任せに漂泊の旅に出たくなるのも心がバランスをとるために感応するからでしょう。

旅には目的や到着点があるものと、あてのない旅というものがあります。実際は、旅をしている以上に心が旅を味わっていて旅の意味は旅の最中よりも旅の後に振り返る中で気づくことが多いものです。いまの自分のいるところから離れつつ身を捨てて彷徨い流離ってみると、本当のことや真実が観えてきたりもして自由に発想を楽しむことができるものです。

漂泊というのはまるで階段の踊り場のように時折、歩みを止めて休みを味わうことに似ています。そして小舟が流れのないところでゆらゆらと揺られている様子はそこからどこかへ進むための準備をしているようで宙ぶらりんのままにいつの日か動き出すのを待つかのような心境があります。

私も振り返ってみたら大切なものは大切なままに不動ですがそこまでのプロセスや生き方は放浪や流浪のようでまるで一定に一直線にいっているわけではありません。

山あり谷あり、また川が様々なところにぶつかって曲がりくねっていくようにどのようになるのか先々のことは好奇心が面白いとおもうばかりで予想がつきません。目指す方向は決まっていても、そこに辿りつくまでの間が旅の醍醐味ですからどんな仲間に巡り会い、どんな道の御縁に出会い、どんな未来が拓けていくのか、それはすべて運任せ風任せです。

そういう運任せ風任せの心境というのは、人生の旅の醍醐味です。

毎日は規則正しく過ぎてはいきますが、いくつになってもいつまでも心の赴くままに漂泊をし続けて歩んでいくことを味わい盡していきたいものです。自由の森の心を持つ子ども達へ松尾芭蕉の句で贈り締めくくりたいと思います。

『月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り、杉風が別墅に移るに、「 草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家 」 表八句を庵の柱に掛け置く。 』

・・・日々に旅にして旅を栖とす、その覚悟をもって道を愉しみたいと思います。