伝承のことを深めていると技術の伝承とはどのように行われるのかということを考えます。何代も前からあるものを遺伝子レベルで継承されるものもあるでしょうが、それは本能的、直感的、魂的なものです。しかし技術の伝承は、その時々の人たちの努力によって継承されるのではないかと私は思います。教科書のようなマニュアルがあっても決して技術は継承されないのです。
佐賀の陶芸に酒井田柿右衛門があります。その十四代目の方がこのような言葉を遺しています。
「伝統と言えば古臭いものだと思われるかもしれません。しかし、350年以上の伝統がある柿右衛門は、時代が変わっても変化しないものもあれば、時代とともに変わるものもあります。変わらないものは技術です。伝承された技術の上に、いまの人に受け入れられる作品を作っていくことが伝統だと思います。」
この技術の伝承があるから変わらないものを維持しているということです。何百年も変わらない技術、これはまさに秘伝とも言ってもいいものです。それがどのように 継承されていくのか、ここに人類、いや自然界の最大で至高の仕組みが存在するように私は思えます。
秘伝と言えば、かつて三島由紀夫がこのようなことを対談で語っています。
『秘伝というのは、じつは伝という言葉のなかにはメトーデは絶対にないと思う。いわば、日本の伝統の形というのは、ずっと結晶体が並んでいるようなものだ。横にずっと流れていくものは、何にもないのだ。そうして個体というというのは、伝承される、至上の観念に到達するための過渡的なものであるという風に考えていいのだろうと思う。(中略)そうするとだね、僕という人間が生きているのは何のためかというと、僕は伝承するために生きている。どうやって伝承したらいいのかというと、僕は伝承すべき至上理念に向って無意識に成長する。無意識に、しかしたえず訓練して成長する。僕が最高度に達した時になにかつかむ。そうして僕は死んじゃう。次に現れてくる奴はまだ何にも知らないわけだ。それが訓練し、鍛錬し、教わる。教わっても、メトーデは教わらないのだから、結局、お尻を叩かれ、一所懸命ただ訓練するほかない。何にもメトーデがないところで模索して、最後に死ぬ前にパッとつかむ。パッとつかんだもの自体は歴史全体に見ると、結晶体の上の一点からずっとつながっているかも知れないが、しかし、絶対流れていない。』(三島由紀夫:の安部公房との対談:昭和41年2月・「二十世紀の文学」)
つまりは秘伝は技術の伝承において何かと繋がり続けている状態で流れていないという事。歴史が確かに積み上がって今の自分があるように、そこで生き続けているものがあるということです。それを如何に伝承するかが、何よりも重要でそれを伝承できてはじめて繋がりが維持されたということになります。
先日のアイヌの工芸品の伝承をする方の話もきっとこの秘伝を遺す仕組みのことを言っていたのでしょう。 ではどのように技術は伝承するかという話になりますが、これは宇宙開発事業団理事長の山之内秀一郎さんはこう言います。
「極論を言うと、私は技術の伝承は不可能なのではないかと思っています。技術とは自分で苦労して考えたり、困難を克服することで身につくものです。技術は自分で作るしかない。また、技術は刻々と変化します。技術は伝承するものではなく、変わっていくものなんです。」
変わりつつ変わらないもの、秘伝の仕組みがあることを感じます。
どんなことも自らの苦労をもってして技術に近づくしかない、日本刀の刀匠たちが古刀を目指し日々に鍛錬精進するように技術は困難の克服において身に着くものです。自分自身が困難に挑み困難を克服したとき、秘伝は伝授され継承する人のいのちに受け継がれていきます。
この自然界の仕組みは、私たちに具わっている最大の技です。その技を如何に達するようにしていくか、その環境を用意するのも教育の醍醐味のように思います。引き続き、子ども達の未来のためにも初心伝承を通して人類の危機に挑んでいきたいと思います。