人間には「心の拠所」というものを持っている人と持っていない人がいます。もともと心というものがどこにあるのか、心は常に何に感応するのかということを自覚する人は心を亡くしにくいように思います。
この心の拠所は、同義語には「・生き甲斐 ・ 生きる意味 ・ 生きがい ・ 心の支え ・ 精神的支柱 ・ 精神的支え ・ 生きる糧 ・ 生きる支え ・ 生きる力 ・ 精神的よりどころ 」とあります。
人々が何を信じて生きていくか、そこには人類共通の理念や価値観があったはずです。それがなくては生きてはいけないほどの大切なもの、そういうものがなくてもお金さえあればなんとかなるや健康さえあれば問題ないなど巷では歪んだ個人主義のために大切なものが失われつつあるように思います。
昔の人々は、共通の理念や価値観を持っていてそれを大切にしたからこそいつも一緒に他者とつながることができ御互いの違いを認め合うことができました。それが今ではその共通の理念や価値観もバラバラになり、違いを認め合おうとはせず画一に同一化ばかりを御互いに求めるようになってきています。バラバラなものが群がることは多様性ではなくそれは単に烏合の衆です。違いを認め合う中で集団をつくってこそ仲間であり多様性は発揮されていきます。
人には信仰心というものがあるように思います。
つまりその人が何を信じて生きているかということです。信じるという行為は、心の拠所を持って生きていくということです。結果さえよければいいという風潮の中で、プロセスは蔑ろにされていますが本来このプロセスこそが「生き方」であり、生き方をもって働く人こそが「心の拠所」に従って生きているということです。
価値観の多様化とは、無法地帯になることでもなく、何か頑なに一つの教えを無理やり押し付けるようなものではありません。本来、仲間を持つとき御互いに何を拠所にしていくか、その心の拠所をどこに据えるかというようなことが必要なのです。それは人類共通の絶対的なものであり、この地球に生きていく上ではなくてはならない自然の摂理そのものなのです。仲間ができるのもその摂理を自覚しているから自分勝手なことをしなくなり社會ができてくるのです。
またそうやって生きる仲間は常に「つながり」の中で御互いを思いやり大切にします。その「つながり」の元こそが、理念や初心、生き方や心の拠所でありそれを握り合っているから手を離すこともなく信頼しあい助け合っていくことができるからです。
仲間がその人を信頼するのは、その心の拠所を一つにするからです。その一つにするからこそ、御互いの価値観は違ってもいいということになります。矛盾があるようですが一つの価値観を皆が握り合い一つにつながり、そしてつながることができるのならば御互いの価値観の違いは尊重することができ多様化するということです。
時代で環境が変化し一体人類にかつての何が失われてきたか、大切にしてきたものの何が一体滅んできたのか、今を生きる私たちは自分の眼と手で見極めなければなりません。そしてその刷り込みを取り払うことで本来の私たちの心の拠所を決め、御互いの生き方を尊重し合って助け合い皆が家族や仲間として一緒に生きていく豊かさと仕合わせを取り戻していかなければなりません。
まずは自らがその生き方を通して、本来の日本人の姿、人類の未来のために心の拠所、「子ども第一義」を実践していきたいと思います。