人は誰かにやってもらうことが当たり前になってくると、依存が深くなっていくものです。誰かがやるのではなく、自分が気づいたから自分がやろうとする人は自立しているとも言えます。なぜ人が自立できるか、そこには「当たり前ではない」といった感謝の心があるように思います。
この当たり前という言葉は、感謝の心の反対にあるものです。誰かに何かをしてもらうのは当然の権利だと言い出すともはや救いようがありません。例えば、空気があって当たり前、水が合って当たり前、自分のご飯があって当たり前、健康であって当たり前など、言い出すとキリがありませんがそれを当然の権利だと勘違いするから依存は深まっていくのです。
ある人からの話で、震災の時にみんなが助け合って最初は協力して仲睦まじく機能していたチームがあるとき「国がなにもしてくれない」とか「こんなに頑張っているのに」とか誰かが言い始めてから途端に仲が悪くなり助け合わなくなったと言います。
上手くいけば自分のおかげ、都合が悪ければ誰かのせいにしていたら依存体質は深まる一方です。全てのものは御蔭様で成り立っているという事実を知り、どんなことも当たり前ではない他力が働いて今があると感謝に生きる人は依存することがありません。
つまりは依存の本質は、人間として生きていく上で大切な恩とか徳とかを忘れた状態ということです。もしも皆がこんなに与えてくださっている御蔭様に気づくのならもっと御恩返しがしたいと感じ始めるものです。そうして一人ひとりが自分が大好きな所属する組織や社會、場を守りたいと自主的に実践するのなら当たり前ではない関係がそこに発生してくるように思います。
「有り難い」という言葉は、もったいなくて滅多にないということです。つまり当たり前ではないということです。その当たり前ではないことをどれだけ感じているか、そして自我欲に呑まれて当たり前になってしまわないように如何にその御蔭様に感謝するための御恩返しの実践を積んでいくか、そこに自立の要諦があるように思います。
できるかできないかではなく、できないことを誰かのせいにするのではなく、自分に与えられている天命に感謝し天命に生きることを自分が責任を持ち果たすことが自立するということでしょう。だからこそ周りの天命を尊重し、自他を活かし合うことになるように思います。
何のために自立するのかを忘れず、子ども第一義の理念を実践していきたいと思います。