自分の寿命よりも長い存在

古くなったものを新しくするのに、一度かつての古民家をその時代のものに戻しています。そもそもこの家はどのようなものだったのか、その時代はどのような道具に囲まれていたのかを知ることは原点を確認するのに必要です。

人は原点回帰をしていく中で、本質を学び直してそのものの真価を確認することが出来ます。歴史とは単に過ぎ去った過去ではなく、今を知るうえで重要な「つながり」を感じるものです。

100年以上の古いものを集めて磨き直して古民家に置いてみると御互いが関係し合うことで空間が新たに活かされていきます。近代化して大量生産されたものではなく、職人が一つ一つ目的にあわせて自然物を活かして作られたものは作り手や私たちの寿命よりもずっと長く用いられていきます。

例えば、江戸時代の骨董品であったとしても丁寧に磨き直し正しいところに配置し直してみるとそれが如何にシンプルに機能しているかわかります。つまりいつまでも主人を換えてはそのものは甦生し続けるのです。

歴史というものやつながりというものが切れてしまうと人間は自分の寿命の範囲でしか物事を判断しなくなっていきます。しかし実際に自分よりも寿命の長いものに囲まれていきていると如何にいのちが連綿と繋がって紡がれて今の自分が存在しているかが自覚できます。

自分の寿命よりも長いものに包まれているからこそ、もったくなく感じられそのもののいのちはまだまだ大切に活かせばずっと先の先祖からずっと後の子孫まで私の代わりになっていのちのつながりを見届けてくださっているという安心感を感じるのです。

昔の祖父母がもったいないと常に言ってものを大切にしたのは、これらの寿命よりも長く生きている存在をいつも身近に感じるような場の中に暮らしがあったからなのでしょう。だからものを粗末にしなかったのです。

そう考えてみれば、地球や太陽をはじめこのすべての身の回りにある生きとし生けるもの、またそれは無機物であろうが風であろうが波であろうが自分よりもずっと永く遠くから存在して私を見守ってくださっているものです。

そういうものを感じる感性をいかに磨いていくかが、人類がこの先、寿命を延ばし永くこの地上で生きていくための智慧になっていくように私は思います。今一度、温故知新の大切さを学び直し子ども達に「自分の寿命よりも長い存在」を身近に感じられるような場を用意していきたいと思います。