人類の先生

先日、浦河ひがし町診療所で川村敏明院長の御話をお聴きする御縁がありました。ここは浦河町の中で「べてるの家」と連携して一心同体になって町全体を見守る仕組みを担っている病院です。世の中では対処療法で病気だけを見る人もいますがこの病院では常に根源治療の方を優先している気がして、先生も自ら「治さない医者」だとし、あくまでその人の人生そのもの全体をみんなで丸ごと見守るという姿勢にとても感動しました。古来からの御医者様の生き方を現代に見た気がして、胸に込みあげてくるものがありました。

先生の御話は、すべて今までの常識を覆し発想の転換で病院を経営しています。そもそも病気が悪いものではないという起点に立っていて、病気の御蔭で人生がよくなっていくという視点で患者さんの人生のチャレンジやその人の主体性を見守っていきます。

かつては川村先生も大病院勤務の頃はやっていたのは患者の為ではなく単に自分のためだったと仰り、今では「医者がすべてではない、私がなければだれがやるとなっていた。仲間の御蔭ですとか、周りの御蔭とかの方が良いとした。医者は限定的でいい。」と言い患者の主体性を大事にした治療に転換されています。

患者さんの浮袋になるのではなく、患者さん自らが泳げるようになるようにと患者さんを大切にするだけではなく患者さんが世間や社會に帰り安心して暮らせるようになる方を治そうとされています。

私達が子ども第一義で実践することもまったく同じことです。何をもって子どものためというのか、ここでは川村先生の仰る何をもって患者のためかということ同じです。

私達が子どものためにというのは、子どもが安心して暮らせる社會を治すことに他なりません。そのためには、一人ひとりの生き方を換えていくしかありません。一人ひとりが持っている持ち味やその人本来の魂を如何に見守るかは、自分の生き方や実践を通してしか弘めていくことができないからです。

私が今回、もっとも学んだことは「弱さ」の持つ「豊かさ」です。弱いということは如何に豊かなことか、これは自分の本心をさらけ出すことだったり、自分の駄目だと思うことを周りに伝えることで帰ってくる信頼、仲間に出会えることです。

一人で頑張っていてもこの豊かさはありません。手に入れた強さと共に失った弱さが貧しさになりその人の苦しみが悪いものになっていきます。だからこそ弱さを絆に換えていくために弱さをさらけ出すことが仲間を信じることであり、真の自立や共生に繋がるのではないかと私は感じます。

最後に、今回のご縁でまた二宮尊徳に纏わる逸話を思い出しました。

『医者には、大医、中医、小医がある。小医は病を癒し、中医は人を癒し、大医は国を癒す。また大医は、その人が生まれた時から死ぬまで、健やかに豊かにその人の生涯を安心立命に過ごしていくことができるように見守る医者のことを言うのだ。』

本物の医者は、本物の教育者でもあります。医者も教育者ももとは一つ、人類の先生であるということです。

今のような時代、心を病み魂を亡くして苦しみが増えているからこそ義憤と慈悲をもって人々に愛を伝道していきたいと思うのです。

日本の各地には同じような生き方を貫いている人たちがたくさんいることを知り、有り難い気持ちになりました。ご縁に深く感謝しています。

引き続き、子ども第一義の理念に沿って実践を高めていきたいと思います。