自然に直す

昨日は、高菜漬けの漬け直しの手入れを行いました。毎年、秋の出荷に合わせて漬け直しを行っていますが塩加減で発酵しているものですから自分の都合で勝手にスケジュールを変えることはできません。

自然というサイクルというものは、相手に合わせて自分の方の動きを変えていくしかありませんから自分都合でスケジュールを動かしていたら相手は枯れてしまったり腐敗してしまうものです。

常に相手に寄り添い、自然に沿った中で自分の方が見守り続けていくことこそが自然と一体に謙虚に生きていくことのように思います。またその見守りの中で、今、相手がどのような状態なのか、今、どのようになっているのかは気にし合って意識しあって、心を離さず信じ合っている中で距離感が掴めてきます。

毎年同じように作っていても、同じようにできることは一度もなく、少しでも油断すると全部だめにしてしまうこともあります。酒造りや漬物作りは、今では化学薬品や化学調味料で同じように工場で温度なども一定管理して必ずできるものだと思っている人もいますが、自然に作るものが如何に難しいかはやっている人しかわかりません。

そういう意味で、自然に沿ってものづくりをする人たちの生き方、謙虚さにはいつも尊敬の念がこみ上げてきます。

これは作物だけではなく、ものづくりだけではなく、人間関係でも同じことのように思います。自分の都合でスケジュール通りにいったからと、それで人間関係が深くなったのではありません。やはり相手に寄り添い、手入れをし見守り合っていく中で関係が磨かれ育まれていきます。

人は思い通りにしたいという願望から、思い通りではないことを悪とさえ思う人がいます。しかし実際は、不自然だから思った通りにならないだけでそもそも自然が何かと常に正対し内省して自分の方を自然を砥石にして切磋琢磨するのなら思い通りなどというものがないことに気づきます。

そして思った以上のことをいつもしてくださっているという御蔭様の感謝に気づけるのです。今回の漬物であっても、私が不在の間、発酵場の生き物たちや菌類たち、そしてそこの家としてある木樽、そして炭、また漬物石や周囲の木蔭や木々、土にいたるまですべて御互いに活かし合い助け合い補い合いながら共生していました。

そういう場の中で私が作ろうとする高菜も見守られ、安心して出来上がっていきます。この場というもののは、ちゃんとその場を形成する仲間たちの存在が欠かせません。

手間暇をかけて自然に近づいていくことは、自分自身の不自然を直し、生き方を治すことです。引き続き初心を忘れず、何のために実践するのかを大切に取り組んでいきたいと思います。