自然には「ハタラキ」というものがあります。私たちの人間にも同様に働きがあります。これは動植物から無機質に至るまで存在している法理でもあります。
例えば、私たち人間でいえば動いているときには動いているハタラキがあります。それは各機能がそれぞれに活動して何かを成し遂げようとします。また同時に今度は休んでいる時にも休んでいるハタラキがあります。その両方とも大切なハタラキであり、一時も已むことがありません。
これは太陽や月、地球の運行なども同じです。昼は太陽、夜は月と動静を生き物たちは繰り返しますがそのどれも大切なハタラキがあり無駄などは一切ありません。つまりハタラキとはすべてのことに大切な意味があり、自分が動こうが動かざるが関係なく常にハタラキ続けている存在があるということです。
しかし人間は自分の都合でこれは働いたとか時間の無駄だったとか、休んだとかサボったとか自分勝手な判断をしてハタラキではなく単なる作業や業務のように 働きを勘違いする人もいます。
もちろん自分がやりたいことができたら充実した一日を送れ無駄ではなかったと思うのでしょうが、無駄であったと思った一日ですらその蔭に大切なハタラキがあったのです。
これらのハタラキは、一瞬たりとも已まずに常に偉大な他力と自力が合わさって全体の調和のために活動し続けます。これはカラダも同じく、常に何かをしてもしなくても私たちの身体は調和をとるためにいつもハタラキ続けています。心臓の鼓動も呼吸も、そして新陳代謝もすべて私たちのハタラキの中です。
そしてこのハタラキのことを私は「いのち」と呼びます。いのちの世界は常に已まずにハタラキますから私たちはこの世に来て活かされている存在になっているのでしょう。
だからこそこのハタラキそのものに感謝して、その恩恵の一部に自分があることを自覚することがいのちと一体になって生きることのように思います。太陽も月も地球も常にハタラキは感じられます。
いのちが輝き続ける姿をイメージすることで、ハタラキもまた観直に感じられます。引き続き、子ども達のためにもこのハタラキの存在を感じられるような環境を用意して見守っていきたいと思います。