進歩と進化

江戸時代から明治に変わり一番変化したものに学ぶ場所があります。それまでは寺小屋や手習指南と呼ばれた場所が、学校というものへと名前も変化しました。それは単に建物が変わっただけではなく、目的も変わっていきました。そして今に至るまで学校の在り方はあまり変わっていません。歴史を見つめ、もう一度何のために学ぶのか、私たちは見つめる必要があるように思います。

そもそも寺小屋の時の学問の目的は「立派な人になる」ことを優先して行われました。お互いを磨き、如何に人格を高めるか、論語をはじめ仁義礼智信など人ととしてどうあるべきかを互いに学びあいました。寺小屋では異年齢でお互いに教えあい、思いやりや相互扶助の精神を尊んでいたとも言います。その当時、人口三千万に対して約五万の数の寺小屋が全国にあったともいわれます。今では、一億三千万に約二万ですから今の倍以上あったことになります。

寺小屋の特徴は習熟度を重視し、今のように一斉に年齢別に教えることを行いませんでした。師弟や仲間と家族的な雰囲気の中で学習を通して人徳を磨き合っていたようです。

明治に入り学校ができてから能力主義が入ってきて、人格よりもまずは平等に教育の機会を国民に与えて国民の能力を上げることを目的にされました。頑張れば頑張るほど評価されるという教育システムは、「自分」というものが優先され寺小屋のような思いやりや相互扶助の精神が減退していったとも言えます。今では学校では道徳という授業があるだけで仕組みはその当時の学校のシステムがより一層、競争や比較、その評価が優先され能力ばかりを磨く場所になっています。

その当時の目的は急速な近代化を目指し、欧米の教育システムをモデルに文部省をつくり学校制度をつくり教育を普及しました。とにかく能力主義を優先し、早く欧米の能力を獲得することだけに特化したのです。文明開化といってそれまでの日本の文化を否定してまで文明を優先した時代だとも言えます。その国が何を目指しているのかをみるのは今のその国の教育や学校を洞察すれば観えてくるものがあります。

今日から韓国の教育視察にいきますが、自分の国にいては観えないものも隣国で起きている課題を洞察し自国に照らせばその課題の意味もまた確認できます。近代化して今の国があるのはいいのですが、もう文明開化の時代ではありません。今の時代は文化伝承の時代であると私は感じます。もう一度、日本とは何か、日本人とは何か、世界の中でどんな役割を果たしていくのかを見つめる必要があると思います。

そういう意味でもこの寺小屋から学校へ変遷した歴史、そして学校になってからどのように今があってこれからどうなっていくのかを見つめるのが社會を育てていく教育者の本当の責任だと感じます。もう世界は持続不可能であることはそれぞれで自覚をはじめています。こういう時代だからこそ、進歩ばかりを追い求めるのではなく人類としての進化の方へと舵をきりなおす必要性も感じています。

引き続き子どもたちのためにも、歴史を鑑みながらアジアをはじめ世界の課題と向き合っていきたいと思います。

畳~日本固有の文化~

昨日、聴福庵にて66年間畳業を営み今でも本物にこだわって作っている方とお会いするご縁がありました。畳も大切に使えば60年以上使えるものだそうですが、今までの痛みもありまた大切におもてなしする客間でもあることから畳を入れ替えることにしました。

お話をお聴きしていると畳の魅力や、畳がなぜこんなに日本的であるかを改めて再認識する機会になりました。

そもそも畳というものは、中国から渡来した文化が多い中で完全に日本で生まれ育ち延々と今でも大切に受け継がれている日本固有の文化の代表的なものです。つまり、日本人が生み出した発明品であり日本人の暮らしと共に一緒に今まで生活の中で息づいて共生してきた大切な道具であるともいえます。

この畳は、古事記にも記され莚(むしろ)・茣蓙(ござ)・菰(こも)などの薄い敷物の総称でした。そして現存する最古のものとして奈良時代のものがあります。今でも奈良東大寺の正倉院に保管されているそうです。その後は、平安時代には寝具や座布団の代わりとして用いられ鎌倉時代頃には部屋や床の全体に敷かれるようになります。武家が主だった畳も、安土桃山時代からは町人の間にも普及し、江戸時代頃には庶民の家にも普及します。

畳の名前の由来は使用しないときは「畳んで部屋の隅に置いた」ことから、動詞である「タタム」が名詞化して「タタミ」になったのが畳の語源とされています。

畳の効果は素晴らしく、イグサや藁が敷き詰められることで断熱性保湿性に優れ空気を浄化する作用もあります。つまりは夏は涼しく冬は暖かいということです。また音を吸収し遮音する効果があり足元から静寂を演出します。それに黄緑色の配力は心を癒すリラックス効果もあるといわれます。イグサ独特の香りも、私たちの心に懐かしく感じ和室の空間に流れる穏やかさをさらに引き立てるようにも思います。

また科学的にいうと人間の皮膚が呼吸をしていると同時に光も吸収しているといわれます。人間には自分の皮膚の色に近い反射率の色を感じると安心できるという本能があるとも言います。この畳の部屋の反射率が日本人の皮膚の反射率とほぼ同じということもあり畳の部屋は安らぎを覚える空間になっているそうです。

つまりは畳は土壁や木などと同じく「呼吸」をしているということです。私が感じる日本家屋の特徴は呼吸です。この呼吸は「息をする」ということ、つまりは「生きている」ということに尽きます。生きているからこそ、一つ一つの道具には「いのち」があります。そのいのちを大切に扱い、大切にいのちを伸ばしていこうとする作り手と使い手の「真心」があって「和」の空間は活かされていくのです。

イグサを育てている人の生き方、そのイグサだからこそ大切に作りたいという作り手の生き方、そして私たちがそれを子どもに伝承しようとする生き方、それが三位一体に寄り添って今回の畳替えが行われます。

12月には畳を私たちも一緒につくるという体験も得られます。この貴重な体験から日本人とは何か、日本の原点とは何か、日本の心とは何かをもう一度深め直したいと思います。

日本固有の文化に誇りが持てるような機会を子どもたちに伝道していきたいと思います。

 

学問道楽

昨日、一年ぶりにドイツに一緒に保育視察研修にいった仲間たちと熊本で同窓会を行いました。もうドイツに一緒に行ってから6年が経ちましたがこうやって毎年、欠かさずに歳月を共に噛みしめ、お互いの成長やご縁、その人生の物語や苦労を分かち合えることに感謝を覚えます。

同じ師に学びその後のお互いのことを語り合う、この人生の妙味があってこそ学問道楽の幸福を知るように思います。

江戸時代に伊藤仁斎という人物がいました。京都で私塾「古義堂」を1666年に開き、その門下生は3000人を超えていたといいます。ここに学びに来る人たちは豪商から農民まで幅広く、その徳を慕って集まりました。この私塾は明治末期、1905年まで続きます。

この伊藤仁斎の学問は、人の道についてです。人としての生き方を問い、自ら実践の中で学び改善していくこの学びはたくさんの人たちに人道の在り方を伝道していたように思います。独自を掘り下げて愛が実徳であると真心の実践を説き、自ら人の道を示す生き方を貫いていた仁斎の教えは人々の心を深く導いたように思います。

私も師の御蔭様で学問道楽の妙味を知り、如何に真心を尽くしていくことが人の生きる道であるか、また如何に内省し実践を重ねて自らの徳性を磨いていくか、そういう学問の妙の中にこそ人の生き方があることを教えていただきました。

孔子や孟子はもうずっと以前に亡くなり、他国の人でしたがその道は連綿と受け継がれ歩む方々によって今に伝承されていきます。学問道楽は決して道楽息子などの悪い意味で使われることではなく、この時の道楽は道を歩む道楽のことです。学問は、自学自問でありどんな徳性を天が自分に与えてくださっているのか、そして自然と一体になったとき自分の中にある真心の姿と邂逅できる仕合せに愛を感じることのように思います。

活かされている実感があって共生の歓びもあります。恩師というものは導師であり、この学問道楽に導いてくださった方のことです。そして導師があってこそ同志もまた出会えます。君子の徳を身近に感じられることは、人生において何よりもかけがえのない有難いご縁とご恩をいただいたということかもしれません。

論語に『君子の徳は風である、小人の徳は草である、草は風にあたれば必ずなびく』とあります。こうやって徳になびいていく人たちを見守りながらその人たちの支えになれることにもまた仕合せを感じます。

最後に伊藤仁斎の言葉です。

「勇往向前、一日は一日より新たならんと欲す。」

また同窓会で元気と勇気をいただきました。引き続き、子どもたちの未来のために自分のできることを真心で尽力していきたいと思います。

 

自他一体の活かしあい

人間には孤独と孤立というものがあります。孤独というものは自分自身の中にある本来の自己と向き合って自己を磨き成熟させていくための大切な時間でそのことによって自分というものと邂逅します。しかし孤立というものは、人と人との間の絆やつながりを切って自分勝手に我を通すときに一人ぼっちになります。自己中心的な生き方は孤独よりも孤立を広げていくように思います。

禅の僧侶で庭園デザイナー、多摩美術大学の教授でもある枡野俊明さんがあるインタビューの中での話に僧侶の生き方と孤独死についての問答でこう答えています。

「昔から、今でおっしゃる隠遁生活ですね、山の中に入って一人静かに本を読み、坐禅をし、自然と共に生きていくと。これは実は日本人の理想とするところなんですね。そういう中で静かに息を引き取っていく。西行法師なんかもそうですね。歌がありますけれども。それと今、社会で起きている「孤独死」と言われているのは、実は隠遁生活した方々は、周りの自然と全部と関係の中に生きているわけですよ、生かさして頂いている。ところが今社会で言われている「孤独死」というのは、そうではなくて、全部と縁を切ってしまっている。これは、私は、「孤独死」ではなくて、「孤立死」だと思うんですよ。孤立してしまって、周りとの関係性がない中で亡くなっていくという。これは非常に悲しいことなんですね。「孤独死」は、私は、ある意味の日本人の理想とするところでもあるんで、自然との関係の中で、自分の理想とする生き方の中で、それを成し遂げていくんであれば、それは私はいいと思います。」

ご縁の中で活かされている自分というものを感じながら生きているのは孤立ではなく、全部ご縁を切って生きていくのが孤立。人と人との間において孤立してしまうことは孤独とは意味が異なるということをおっしゃっています。

なぜ人が孤立するようになるのか。そこには自分が生きているわけであって自分が活かされているとは感じなくなるからかもしれません。たくさんの方々の御蔭様で成り立つ自分が仕事ができるのは、周囲の方々の無償の協力や援助、そして見守り支えられてはじめて自分ができたことになります。比較競争評価の中で、自分ばかりを周りから優位に立たせようとしたり、自分が評価されるために感謝されようとしたり、誰かと比べて自分を卑下したり他人を見下したりしているうちに人間は自己中心的な我が強くなっていくのかもしれません。

しかし立ち止まってよく考えてみたら、有り難いご縁に恵まれて一日一日は訪れて尊い今は過ぎ去っていきます。人生の妙味を最期まで味わっていきる生き方というものは、自然の中であらゆるご縁に結ばれて生きている自分に出会うことかもしれません。

そういう意味で隠遁生活というものは、孤立ではなく孤独と枡野禅師は仰っているように私は思います。不自然な自分の我を張り通せば張り通すほど周りとの不調和が生まれます。自分が自然体になって自分の心を開いて周りを信頼しつながり絆を結び無我になればなるほどに調和してご縁が広がっていきます。

今の時代、バラバラになりやすいのはこの社会が比較競争評価の中で常に自分ばかりを守ろうとし心を閉じて本心を分かち合わないような環境が広がっているからです。自分であまりなんでもやろうとはせず、誰かと一緒に進めることを学び直したり、いつも一緒にやっているという感覚を忘れないようにしたりして孤立しないように常に注意しなければなりません。一緒かどうかは自分の心が決めています。自分はと分けてしまう中には自分のことを放っておいてくれや自分のやりたい通りにしたいという我が邪魔をしているのかもしれません。

人生は一人でやるとキツイことも一緒にやれば楽しくなります。人と生き活かされるという関係は苦しみをよろこびに転じる妙法のひとつです。比較競争評価のすりこみに持っていかれないように皆で協力する必要があります。

相談できる仲間がいたり、いつも陰ひなたから手伝ってくれる人がいるということを忘れず、お陰様と感謝の心で活かされている自分のままに周囲もまた活かせる自分、自他一体の活かしあいに生きていきたいと思います。

一緒とバラバラ

先日から一緒とバラバラという言葉を深めています。一緒というのは家族的であり、その反対がバラバラですがそこには今までの教育や社会の環境の刷り込みがあるように感じます。今、人と一緒になろうとしてなれず孤独で苦しんでいる人たちが多いように思います。誰といても孤独を感じてしまう、もしくは何も感じない人になるのは本心のままであることを否定してきたことで発生しているのかもしれません。

そもそもその大前提として、もともと個人がバラバラだから一緒になろうとするのともともと一緒だから一緒なのだと信じているのでは意味が異なります。一緒になっているというのは、丸ごと信じているということです。そしてバラバラというのは言い換えれば部分しか信じていないということです。

例えば、親でもなんでも見守る存在のことを自分自身が丸ごと信じ切っていれば安心しているものです。この安心こそが一緒を理解している場所であり、繋がりや絆を感じて一緒になっているのです。しかし不安や疑心暗鬼、疑念をいだいているのならすでにそれはバラバラの状態であり無理に一緒にしようとしても心がついてきていないのだから一緒になっているわけではありません。

そして一緒になれない理由の一つには、心を閉じていることが問題なのです。この心閉じるというのは信じないという心の態度です。信じられるまで相手を疑い、いつまでも自分が傷つかないように自分を守っていたら信じる人は現れません。ここまでは信じる、ここまでは信じないと自分で評価していたら疑うばかりで信じることができないからです。

信じるというのは一種の覚悟で、信じれるまで裏切るのではなく裏切られるまで信じるというように自分が信じたことを自分で信じるという行為によって成立します。これは単に盲目に感情的に信じようとするのではなく、自分の本心、あるがままの自分でいようと決めそこで人と関係を築こうとする心の態度です。今の社会は、競争、比較、評価と常に自分の身が危険にさられている世の中です。自分の身を守ることばかりに終始し思いやることよりも自己保身に走れば本当の自分をさらけ出すことはありません。そうやって自分を必死に守ってきたことで常に先に自分ばかりを気にするようになりそのうち相手との関係が築けずバラバラになっていったのでしょう。

バラバラになったものを無理につなげようとするのではなく、本来は競争しなくても比較しなくても評価がなくても、自分という存在はあるがままに認められているということを自覚することが自分を知り相手を知るための大切な要素であると気づくことです。あるがままの自分を認めることは、あるがままの相手を認めることです。ここは認めているけれどここは認めないというような自分自身に対する評価は、必ず相手に向かって向ける眼差しになり無意識に周囲に攻撃します。こういう自分のことを理解し、こういう自分でも愛してくれている人たちがいることに感謝できてはじめて今の自分を丸ごと認めることができるのかもしれません。

最後に作者不詳ですが、「一緒」になるための要諦を記した素敵な文章があります。

『一週間一緒に居たいなら、相手の好きな自分を演じること。

一ヶ月一緒に居たいなら、相手に合わせた自分でいること。

一年一緒に居たいなら、自分の気持ちを全部伝えること。

ずっと一緒に居たいなら、ウソをつかないでいること。』

引き続き、一番身近にいる自分自身との付き合いを内省により見直していきたいと思います。そして未来の子どもたちの社會が繋がりと絆で満たせるようにその解決するための仕組みと仕法を見出していきたいと思います。

下積み~潜龍~

昨日、ブログで書いた易経に「潜龍」という状態があります。私がもっとも好きな言葉で「確固不抜の志」があります。潜龍というのは飛躍する前の状態ということです。この時期に何をして過ごしているのか、そこにその人の真の志があります。人から認められようとするばかり、見た目ばかりの評価を気にしているのは潜龍とは言いません。もしも仮にその程度で認められたと満足していて大した精進をしないのならそれは志に生きているわけではないのかもしれません。

小林正観さんの本に帝国ホテルの料理長の話が出てきます。そこにはこうあります。

『帝国ホテルの料理長を26年間勤め、重役になった村上信夫さんという方がいます。厨房から初めて重役になった唯一の人です。十代のときに帝国ホテルの厨房に入ってからは、3年間、仕事が鍋磨きのみだったといいます。一切、料理に触れることが許されませんでした。何人もの少年が入っても1年以内にほとんどの人が辞めてしまったといいます。その中で村上さんだけは辞めなかった。「日本一の鍋磨きになろう」と決意して3年間鍋をピカピカに磨くことにしました。自分のところに回ってくる鍋には料理が残っていても、ソースの味がわからないように洗剤などが入れられた状態で来るのだそうです。それを全部、きれいに磨いた。自分の顔が映るくらいピカピカに磨いたといいます。そうして3、4カ月経ったところで「今日の鍋磨きは誰だ」と先輩が聞くようになったそうです。「今日の鍋磨きはムラ(村上さんの愛称)です」という答えが返ってくるとそのときだけは洗剤が入っていない状態で鍋が回ってくるようになった。村上さんはそれを舐めて、隠し味を勉強するようになり、立派な料理人になったという話です。どんな人も最初は、お試し期間があります。今おかれている状況に文句を言わずに黙々とやっている人に神は微笑むようです。「人生を楽しむ」ための30法則」(講談社)』

志に生きる人は、どんな境遇であっても不平不満も文句言いません。その中で自分のできる最大限のことを惜しみなく勤めていきます。それは志を醸成する期間であり、その時こそ本物の実力をつける時期だからです。

困難や苦労に喜んで突き進む人はそうはいませんが、その時期が将来の大切なことを成し遂げるためのもっとも大事な期間であることは必ず将来につながってきます。だからこそ一切を怠らず、妥協をせずに理想に向かって邁進していくのでしょう。潜龍はただじっとしているのではありません、それは下積みをしている期間なのです。

「下積み」という期間は、何を下に積むのか、それはすべての基礎であり基本です。こういう基本や基礎ができている人は将来、初心を忘れずにその道の達人として一流になります。常に現状に満足せず、現状を打破して変化を已まない人こそ臥竜なのでしょう。

お試し期間とは試練のことです。

小人閑居にして不善をなさないよう、試練の時こそさらに挑戦を重ねて信念とともに歩んでいきたいと思います。

臥竜の道

昨日、保育環境セミナーの情報交換会で臥竜塾というものを主催している塾頭から話がありました。それはチャンスが来るまで力をつけて学びを怠らないということ、またそうやって積み重ねていたからこそチャンスが来るという話でした。

その臥竜塾の理念にはこう書かれています。

「四書五経の中の「易経」に書かれている中で、人が成長するために必要な事柄を龍の成長に例えた説明があります。「潜龍」「見龍」「君子終日乾乾す」「躍龍」「飛龍」「亢龍」の6つの段階です。私たちが学んでいる場の「臥竜塾」は一番最初の段階「潜龍」です。「潜龍」とは、まだ力を蓄えている間で、自分の力をひけらかすことはせず、あせらず、じっと我慢をする時期です。塾長の話しを聞き、保育の話のみならず、人の生き方、物事の考え方など、これから長い人生を歩んでいく上での教訓を学ぶ塾です。」

塾が開始するときから見知っていましたが、塾頭としてとても成長している姿を見て塾長の感化力の凄さと共に素直に精進してこられた塾頭の実践力に頼もしく感じて嬉しくなりました。こうやって見守っていく後人たちが育っていくのは、未来の子どもたちのことを思えば思うほどに有難く感じます。

私も臥竜という言葉が好きで、昔から三国志に出てくる諸葛亮孔明を尊敬していた関係もあり、易について学んだことがあります。臥竜とは、竜が臥せっている姿で天を見つめて潜んでいる姿です。易では千年に一度の大雨の時に天に駆け上がるとされています。

私はこの臥竜については自分なりに思うことがあります。私は竜が飛ぶかどうかではなくむしろ天を相手にして生きている姿に惹かれます。西郷隆盛に敬天愛人があります。人を相手にするのではなく、天を相手にせよという教訓です。

天を見つめて天の声を聴き、天と一体になっている姿にこそ臥竜の徳を感じます。天は自分に何を与えてくださっているのか、天はどのようなことを求めていらっしゃるのか、もしこれが天命ならば私はどう生きるのかと、常に天と対話して生きていくのです。

それがもしもチャンスや機会が一生訪れなかったにしてもそれは気にしない。大事なことは天与のいのちの使い方ということに重点を置く生き方です。

生きていれば自分の思ってもいないことがたくさん発生します。その際、自分の思っていたこととは違ったけれど自分が思った以上のことを与えていただいていると感謝できることこそがその臥竜の実力が備わってきたということではないかと思います。そして誰が見ていようが見ていまいが天が観ていると常に真摯に正直に真心を尽くして生きていく生き方こそが臥竜ではないかと私は思います。

誰かがなんとかしてくれると思って人任せにして言い訳をする人生ではなく、在野にあっても志を持ち天命を生き切るという覚悟を持った人はこの世の天運を司る竜になります。

引き続き私も同じ師に同行してきた以上、臥竜の道を究めていきたいと思います。

和の精神

日本人の食文化に「和食」というものがあります。この和を食べると書いて和食ですが、常に和合しあう精神に満ちた日本の食はユネスコ無形文化遺産に登録されています。「自然を尊ぶ」という日本人の気質に基づいた「食」に関する「習わし」を、「和食 日本人の伝統的な食文化」と題して認められたものです。

「和食」の4つの特徴として農林水産省HPにはこう書かれています。

(1)多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重

日本の国土は南北に長く、海、山、里と表情豊かな自然が広がっているため、各地で地域に根差した多様な食材が用いられています。また、素材の味わいを活かす調理技術・調理道具が発達しています。

(2)健康的な食生活を支える栄養バランス

一汁三菜を基本とする日本の食事スタイルは理想的な栄養バランスと言われています。また、「うま味」を上手に使うことによって動物性油脂の少ない食生活を実現しており、日本人の長寿や肥満防止に役立っています。

(3)自然の美しさや季節の移ろいの表現

食事の場で、自然の美しさや四季の移ろいを表現することも特徴のひとつです。季節の花や葉などで料理を飾りつけたり、季節に合った調度品や器を利用したりして、季節感を楽しみます。

(4)正月などの年中行事との密接な関わり

日本の食文化は、年中行事と密接に関わって育まれてきました。自然の恵みである「食」を分け合い、食の時間を共にすることで、家族や地域の絆を深めてきました。

このように書かれます。

文化遺産に登録されるということは、その文化がもう消えかけてきたとも考えることもできます。消えかけてきたものを守るために活動しているわけですから、もともとあったその文化が失われているという現実と向き合う必要があります。

和食というものは、単に日本料理のことを言うのではなく私は「和」を尊ぶことを食でも実践したというように捉えています。私たちの先祖は、親祖の示した和の精神を大切に国家を形成してきました。それには家は和であるという考えに根差し、如何に一緒に暮らしていくかを様々な年中行事やあらゆる節目によって確認仕合い、その初心や理念を伝承し継承してきました。

今では、個食が進みそれぞれがバラバラに自分の好き勝手な食を進めてきています。欧米から入ってきた食の取り方を真似ては個ばかりが尊重され本来の和が失われてきました。そして次第に原点としての和の食の実践もまた失われつつあるのです。

文化の本質は自分の個性です。だからこそ子どもたちは、自分たちは何者なのか、日本人とは何か、そういうものを幼いころからの暮らしの中で体験し体得していくことで文化は醸成され自分たちの本物のアイデンティティを獲得していったのです。しかし今のように子どもの周りの環境の中で日本の文化に触れる機会もなくなってくれば自分のことがわからず終始さ迷ってしまいます。

本来、それぞれの風土がどのようになっているか、自分が生まれ育ってきたところがどのようなものであったかを自覚することで、自分が出来上がってきたルーツを確認して自分の全体の中での役割を自明し、循環する世界において自分を尽くして仕合せに生きていくのが人生の妙味です。

個ばかりを優先させ、歪んだ個人主義を教え込まれ、和の心が失われていては自暴自棄になっても仕方がありません。震災や災害の時の日本人には、自然に和が取り戻されていきます。それは失われているようで失われていないのが文化の本質だからです。大事なのは、自覚することでありそのような環境をふたたび用意していけば自ずから先祖とつながり、絆を深め自分たちを取り戻すのです。

引き続き子どもたちのためにも、和を尊び、和の実践を深めていきたいと思います。

一家一和

昨日、ある保育園で理念研修を行いました。ここは家族的であることを大切にし、安心して笑い声が絶えないことを優先していこうという理念の保育園です。今の日本では家族的ということが次第に失われ、子どもたちをはじめ家庭もバラバラになってきています。私たち日本人は和を重んじて和を尊んできた民族です。その主柱には「家」という思想がありました。この家というものは、一家のことであり一家は一和のことです。

仲睦まじく一家の一員として大切に思いやりながら暮らしてきた民族だからこそ、みんなで一緒に生きていこうと仲間と仲良くしていくためにも私たちは家を形成して家族をつくってきたとも言えます。

私たちの会社でも一家ということを重んじ、バラバラになってしまわないように数々の工夫と実践をつくっています。その一つに「だんらんち」というものがあります。これは一家「団欒」と「ランチ」とを合わせたカグヤ用語の一つです。

食文化というものは、言い換えれば「食即文化」「食は文化なり」「食=文化」ということです。おいしいものとは何か、それは「家族が一緒に食べること」です。一緒にというのは、安心してたのしい、そこにはつながりや絆を感じながら心休まる幸せで豊かな時間です。

月に一度、私たちは一緒にみんなで集まってちゃぶ台を出しては電気を消して自然の光の中で同じ釜の飯を食べます。そして食べて落ち着いたらみんなで近況の報告をしあいます。これは仕事であつまり仕事でやっているのではなく、家族一緒の時間を味わっているのです。

古来より先祖たちは囲炉裏を囲み、家族が集まっているのはこの食事の時間でした。この時間の幸せのためにみんな一生懸命にそれぞれが働きました。この幸福な食卓の時間こそ家族を顕します。そして絆を確認します、それはどんなに離れていてもいつも心は一つ、一緒だよというつながりを結ぶのです。

家族的の反対は何か、それはバラバラになることです。歪んだ個人主義が蔓延している昨今では、個の自由とかいいながら好き勝手に我を通している人が増えていく中でより一層つながりが消え、絆が分断されバラバラになって家が失われています。

どんなに豊かに物が増えてみてもつながりや絆の豊かさには絶対にかなうことがないのです。それが人間の本性であり、それが自然の摂理です。つながっているからこそ私たちは安楽に穏やかな人生が送れます。

もう一度、バラバラになったものをつなぎなおす必要性を私たちは心の底で感じているはずです。そのためにも理念が必要であり、そして一緒に生きて実践する仲間がいるのです。

仲間と一緒に過ごす時間は、かけがえのないものです。家族が一緒に過ごす時間は、最幸の思い出です。

子どもたちがもっとも望んでいるもの、子どもたちが将来幸せな人生を歩めるようにまずは自分たちが一家一和を実現し「一緒」になることを実践していきたいと思います。

一緒に手伝う

お互いに活かしあうというのは、協力して手伝い参画するということです。その際、「手伝う」ということは何よりも大切なことになります。大辞林には「 他人の仕事を助けて一緒に働く。手助けをする。助力する。 ある原因の上にさらにそれも原因の一つとなる。」とあります。

しかし刷り込みが深いとこの手伝うという本質が歪んでしまうことがあります。それは手伝うか手伝わないかで手伝うという言葉を認識しているかどうかです。手伝わないよりもましだからと思って手伝っているのは、主体は相手にあり自分はそれをサポートすればいいという感覚です。よく上下関係で手伝ってこれと言われ、その指示命令通りに事をしそれに応えるのが手伝うという認識です。またほかにも、相手が責任もってやるのだからと自分は手伝うところだけだと分けて手伝っている認識も同じです。

本来の手伝うとは何かということです。

本来の手伝うとは「一緒にやる」ということです。それは相手か自分ではなく「自分も一緒にやるから手伝ってくれ」という姿勢でお互いが助け合うことによってはじめて手伝っては成立するのです。つまりは主体的にそれぞれが自立して、自分ごとになっていて相手に手伝ってほしいとお互いに積極的に関わりあう中で本当の手伝いになるのです。

言い換えるのならどちらかがやっているのではなく一緒にやっているということです。

よく働きアリの話が出てきます。アリの中で何割かはハタラキ、何割かは楽をするという話です。一緒に働くアリは、常にお互いを手伝って組織の中で必要不可欠な存在になります。しかし働かないアリは、あえて全体のために働きすぎないようにバランスをとるという話です。これは自然が生み出した一つの仕組みですが、人間の場合は管理され使われること前提でもしも刷り込みによって知らず知らずに楽を植え込まれ、都合の良い便利な人に洗脳され本来の主体的や主人公などといった生きていくうえで共生する仕組みも失ってしまったら誰かと一緒にやる面白さや仕合せまで手放すことにもなってしまいます。

本来、手伝うという意識は自分がやることが前提になっているものです。それぞれが自分がやることになっているからこそ「手伝う」は成立するのです。誰かがやるのを手伝えばいいという考えはそれは決して手伝っているのではなく、自分を分けていますから一緒にはならないのです。

自他を分けるというのは、一緒にならないということです。もしも同じ理念で同じ目的、志も似て協力したいと心から思うのならまずはじめに捨てなければならない刷り込みはこの手伝っていると思っている勘違いでしょう。手伝うか手伝わないかではなくどれだけ「一緒」にやっているか、どれだけ他人事にしていないか、それを先に自らに問う必要があります。やらせるやらされるの関係の中では本当の意味で協力していることにはならないのです。

最後に、社會というものも同じで一人一人が参画するからはじめて協力し豊かで幸せな暮らしをみんなで享受できます。しかしそれは誰かがやるだろうと単に待っていればいいのではなく、自分も一緒にやるんだと決意して甘えを捨てて手伝わなければ世の中の手助けをしているどころか足を引っ張り合っていることになりかねません。

大事なことは、常に「一緒にやっているか」、「前提は自分がやりきることになっているか」と自主自立の姿勢を顧みつつ、自ら周りに協力をあおぎ助けてもらっているという感謝の心が育って御蔭様が観えているかという実感かもしれません。

傲慢な手伝い方は、かつて管理され指示命令によって無理に従わさせられたことの感情が刷り込みとして残っているのかもしれません。主人として幸せに生き、仲間と一緒に歩む喜びを味わうためにも「一緒」に「手伝う」ということだと学び直すことだと思います。気持ちを合わせて一緒にやったときの充実感とお互い様を感じた時の幸せは人生の格別な時間になります。

引き続き、刷り込みをみつめて仕法を学び直していきたいと思います。