シンガポールに来て学校をはじめ様々な生活を観察していると直観するものがあります。それは理念があるということです。理念がある中で働く人たちや、理念が明確になっている中で動く人たちには活気があり、さらにどのように自分たちが行動し考えればいいのかがわかります。この淡路島ほどの小さな島が、この50年でここまで発展を遂げたのは初代首相リー・クアンユーの理念がはっきりと現れたということです。
シンガポールは歴史を振り返れば太平洋戦争のあとから食住もままならないほど貧困を体験し、その後、先進国の仲間入りを果たすまで様々なことを学び取り入れてきました。今では一人当たりのGDPも日本を抜きました。その改革の手法から周りからは独裁者だとののしられながらも、「志を持てば人気取りなど必要ない」と喝破し自ら理想の国家を実現するために今まで迫害を受けた国家からも学び、様々なことを融和していきました。
昨日から混ざり合うことを書いていますが、この混ざるには矛盾を受け容れた両義性のようなもの必要になります。その両義性は両義性をみても理解できるものではなく、矛盾を受け容れるには理念が必要なのです。
私も理念の仕事をしていてすぐにわかるのですが、多様な価値観を受け容れ、多様な文化多人種を融和していくには人々が納得するような確固とした理念が必要です。理念があるからこそこの国家がどのようにこれから発展していくかもわかりますし、リーダーが理念を実践するから国民もまたそれについていくのです。
私が視察する中でいつも大事にするのは、目に見えない部分をいかに観るかということです。それは人々の発言の中にどれだけ理念が浸透しているかを観ているのです。どんな組織であれ、普通といわれる常識を壊し、新しい常識をつくっていくのは理念を実現しようと実践していく人たちの揺るがない信念と忍耐です。
そういうものがある国家には、その理念を尊重して一緒に理念と共に生きる仲間が生まれます。国家運営においても、組織運営においても、その根本は常に普遍的な理念によるものだと私は思います。
シンガポールはこのまま、どんな時代の中にあっても国民を守ろうという意思を持ち理念が実践されていくように感じました。様々な問題はそれを実現するための一つの課題でしかなく、問題はすべて変革ための善いことになりますからこの先もまた新しいシンガポールを築いていくように私は思います。
日本を祈ると、日本はどのような理念でこの先の未来を築くのでしょうか。
先史先祖から連綿と紬ぎ繋いできたものを私たちはきちんと受け取りそれを日本の人々と一緒に実現していく必要を感じています。そのためには日本人の一人一人が魂の目覚めのような気付きを自覚する必要を感じます。天皇がいて、理念を守ってくださっていますから私たちは気づくかどうかを問われています。
最後に、シンガポール初代首相リー・クアンユーの言葉です。
「後悔はない。私の人生のほぼ全てをこの国をつくりあげることに使った。それ以外に私がする必要のあることなどなかった。私が最後に得たものは何か。成功したシンガポールだ。私が捨てなければならなかったものは何か。私の人生だ。」
理念に生きる人があって今の現実がある、どう生きるか、その生き方が未来ですから未来のために生き方を見つめて生き方を見直して生き方を変えていきたいと思います。