柿渋の価値

先日、聴福庵の古材の床に柿渋を塗りました。これは近くで解体されていた古民家の松の天井板を譲っていただき、それを磨き直し床板にし廊下に敷きました。磨いた時点でも美しく見事な木目を感じましたが、柿渋を塗るとそれがより一層引き立ちうっとりするほとです。古民家再生の豊かさの本質を感じるようで、磨き手入れをすればするほどに古いものを大事にするということの価値の美しさを感じます。

この柿渋というものは、日本でも古来から大切に使ってきたものです。古墳には弥生時代から柿の種は出てきていますし、文献でも平安時代頃よりすでに干し柿や漢方薬としてなど様々な用途で親しまれてきたそうです。

松尾芭蕉に「里古りて柿の持たぬ家もなし」と読まれた俳句がありましたが今ではめっきり減りましたが、まだ田舎にいけばあちこちの家の庭に大きな柿の木を見かけます。葉っぱがなくなった柿の木に、濃い橙色の柿がいっぱいなっているものを見ると圧巻です。

柿の木から抽出できるこの柿渋塗料は渋柿の未熟果を擦り潰して搾汁して、発酵させ濾過したものです。柿渋液の中に含まれる柿タンニンには防水、防腐、防虫効果があり、塗布することで効果を発揮します。例えば、昔の山伏などの衣装には柿渋が塗られており山での移動に防水効果があった柿渋を沁みこませていました。防水では他には漁師が漁網に使ったりしました。他には、江戸時代頃には家屋の内外で防虫や防腐を兼ねて家具や建具、あらゆるところに用いられました。塗料としても、紙を染めたり装飾として美しい柿色の色合いが自然美を高めてくれます。お酒の清澄としても用いられ、漢方薬としても殺菌効果や消臭効果が高いといわれます。

この柿渋も戦後の石油製品、また工業化が進む中でほぼ絶滅したともいえます。各家庭で当たり前に用いられていたこれらの先人の智慧も今では伝承されていく機会もなくなりました。

この柿渋づくりの重要なところは発酵すること。この発酵の智慧はどれも時間と手間暇がかかります。そしてゆっくりとじっくりと自然に任せながら徐々に培われ醸成させます。

これらの醸成という智慧は、人間が大量生産大量消費の工業化の中では選択されることがありません。お酒造り一つとっても、本来は醸造するものが今ではアルコールを添加して古来からの醸造をやめ人間の加工のみで作りだすようになっています。

自然との時間軸を捨て、人間都合の時間軸で生きていけばかつての先人たちの智慧はほとんど失われます。その理由は、生き方そのものが変わってしまうからです。先人たちが大切に守ってきた生き方を換えてしまうというのは、それまでの歴史を捨てるということです。本来、捨ててはならないもの変えてはならないものを平気で忘れ去り、変えていいものや捨てていくものには執着しています。

改めて昔の伝統や伝承の智慧を学び直していくことで、古来から大切にされて守り継がれてきた生き方を再発掘していきたいと思います。

子どもたちにこれからの時代、どう生きるかを判断するときに先人や先祖たちが自分たちの人生で教えてくださったことを伝えていけるようにさらに実践を深めていきたいと思います。将来はこの柿渋づくりにも挑戦していこうと思います。

 

 

 

自然調和

昨日は自然農の畑で春野菜の種まきと、高菜の手助けをしてきました。毎年気候の差はありますが、特に今年は虫たちの様子が異なり昨年にはいなかった虫たちが大量に発生していました。

自然は、常に変化を繰り返し調和しています。気候というのは、常に中心を保とうとしますから暑くなれば寒くなり、乾燥すれば雨が降るというように片時も変化は已みません。その中で、自然と共に生きている生き物たちは同時に自分たちが変化していくことで自然の調和をいっしょに満たすハタラキをするものです。

例えば、ある虫たちが発生するというのは気候の変化に対してすべての生命は循環していますが何かが増えすぎるのを抑制しているとも言えます。同時に今度はその生き物たちが増えたものを調整するためにまたあらゆる植物や動物、生き物たちが増減しその生き物を中和します。つまりは自然一体にすべての生命は中心を維持するために助け合って共に悠久を生き続けていくのです。

変化というものの本質は偏れば戻り、戻れば偏るというように循環し続ける球体円環の中で調和することを言います。何度も行き来することは、調和しようとする作用であり、その行き来する中で最適を見出していくのが変化しているということです。

もしもこれを誰かの我儘や人間の一方的な都合で止めてしまえば、その歪は必ずどこかで出てきます。一つを止めれば、また別のものを止める必要が出てきて、それを全部止めようとすれば大変なエネルギーが必要になります。つまり多大な迷惑をかけてしまうのです。迷惑とは変化を止めるということです。

しかし実際には、私たち人間は自然の流れを人間の都合で加工していきます。ダムや道路、その他、薬や遺伝子組み換えまでして自分たちの都合で変えていきます。全体調和をする自然から離れれば循環からも外れますから余計にまた別のものを抑制するために多大なエネルギーを費やすことになります。

今はそれを産業と呼び、お金が流れる仕組みになっていますがもしもお金のために働かないような世の中であれば決して自然の道理に反するとばかりを繰り返す人はいないとおもいます。調和するのに自然に任せておけば解決するものをわざわざ人間の加工を使ってさらなる問題を増やしていくような暇はないからです。

人間は都合のいい技術を増やし一体何のためにいつまでこれをやるのだろうかと疑問にも思いますが、きっと短絡的にその目の前の非循環非調和するものをすぐに解決することに躍起になるのだろう思います。

自然に任せるというのは、例えば土が分解する力を借りたり、風化する力に任せたり、水の浄化力、太陽の燃焼力に委ねるようなものです。時間がかかるからと余計なことばかりしていたら、結局は意味のない資源の偏った無駄遣いです。

自然と共に生きていくというのは、自然の力を活かすということです。あるがままの自然に寄り添って変化していくというのは、「今はこういう調和が起きている」と信じて逆らわないことです。そのうえで、どのように対処していくか、それは自分から素直に順応して進んで流れに任せて調和していくことが必要になります。長い目で観て必要な変化はすべてこの調和によって行われていると信じることです。

収穫が多い年もあれば、少ない年もある。その工夫を調和をみながら様々な作物を育てて対応していたのが昔の農家の方々の智慧です。引き続き自然農をしながら、智慧を働かせて子どもたちに地球や宇宙と調和する価値を伝承していきたいと思います。

弱くてゆっくり

聴福庵に90年くらい前の石油ストーブが届きました。早速、手入れをして火を入れてみると緩やかに弱くゆっくりと温かくなってきます。強い火にすることもできますが、昔の道具たちはあまり強いものを好まないので弱火で使うことにしています。

そもそも弱くてゆっくりというのは自然の仕組みです。

老子は弱いもの、ゆっくりなものこそ自然の中では至上であるといいました。人間でいえば赤ちゃんこそが至大至強の存在であるとも言いました。老子の中にこういう言葉もあります。

「人之生也柔弱、其死也堅強。萬物草木之生也柔脆、其死也枯槁。故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。是以兵強則滅、木強則折。強大處下、柔弱處上。」(人は生まれたときは柔らくて弱いが、死ぬときは堅くて強ばっている。全ての物、草や木も生まれたときは柔らくて脆いが、死ぬときは枯れて干からびる。つまり、堅固で強いものは死んでいくもので、柔軟で弱いものは生き続けるものだ。このように、強大な兵力でも滅び、強力な武器でも折れる。強大なものが下になり、弱小なものが上になるのだ。 )

私たち人間が思い込んでいる生態系ピラミッドは弱肉強食の構図です。食物連鎖の中でもっとも強い存在が百獣の王であったり、人間であったりと考えています。しかし自然を観察してみるとすぐにわかるのですが、植物でいえば小さく柔らかい雑草、虫でいえば同じく弱弱しい虫たち、動物においても争わないで食べられているようなほうが「長い年月」で照らしてもどちらが長生きしているかはよくわかります。

私たちが勘違いする最強とは、非常に短期的で刹那的な強さとも言えます。盛者必衰とか言いますが何をもって盛なのか、自然の摂理と人間の理屈はまったく同じではありません。

つまりは短期的な強さは、悠久の中ではたいした強さではなく本来の強さは永遠的なものを持っているのです。そしてそれはさきほどの「弱くゆっくり」という仕組みを持っています。屋久杉のように長寿の大木は、ゆっくりと長い時間かけて少しずつ成長します。私が大事にしている榧の木は、300年かけてはじめて成木になります。それだけ年輪を刻み、敢えて少しずつ成長することで揺るがない至強の存在になっていきます。

自分の代だけのことを考えて取り組むことの如何に脆弱なことか、それは歴史を鑑みれば自明します。ずっと先の未来のことを慮り、今何をするのかは決して大それた目立ったことをやる必要もありません。

身近な暮らしや生き方から、弱弱しくてもゆっくりと変化させていくことで悠久の流れに従うことができ、そのゆっくりと弱い成長こそが何よりも偉大な存在とつながり世代を超えて自然の摂理を活かすことができるように私は思います。

昔の道具たちは、先人のこういった智慧が籠っています。改めて自分たちの今の刷り込みを見直し、じっくりとちょっとずつ時間を重ねていくような日々を過ごしていきたいと思います。

自然の流れに逆らわないものこそ、柔弱謙下の徳を持つことができます。

引き続き、弱さの中にある真の強さ、弱さをさらけ出して生きていくものたちが持つ真実の美、自然体の善境地、あるがままの一体感を様々な実践から学び直していきたいと思います。

 

考えるとは何か

人間は当たり前すぎるものを考えなくなる性質を持っています。例えば生きていく上で大切な呼吸をはじめ、食事、睡眠などの意味を深めようとはせずに何か問題があるとすぐにほかの理由を探したりするものです。

しかし人間のカラダというものはとても正直で、頭で考えて理解するのとは程遠く実際の今の状況を語らずして伝えてくるものです。

例えば睡眠というものもそうですが、生きているものは睡眠を持ちます。一緒に暮らしている動植物から虫に至るまですべての生き物は睡眠をとります。これはなぜかということですが、単に疲れを回復するためとか、細胞を甦生するためとか、そういう目に見えるところだけの効果があるのではなく本当はまだまだ未知の領域がたくさんあります。

人間の知識では追いつかないほどの叡智は、頭で考えられないところで働き続けているのです。そう考えてみると、よく学校で「考えてやりなさい」というのは果たしてどれだけの意味があるのかと疑問に思います。

人は考えずにあらゆることを行動で行います。睡眠も呼吸も排泄もすべては考えていないところでやっています。それはまるで全自動で頭で考えれば不可能とさえ思えることも簡単にやってのけています。これは考えてやっているのではなく、「考えずにやっている」のです。

そもそも考えるというのは、単に知識で自分の頭で理解することを言うのではなく私に言わせれば深めるということです。この深めるというのは、叡智に近づくということです。自分の知らなかったことを深めるというのは、分かった気にならずに実践し続けて叡智と一体になるということです。そしてある「境地」を持てる人になるということです。それが考えずにできるようになること、会得や体得の境地です。これはすべてにおいて経験によって実現することです。

経験なしに考えなさいというのは、土台無理な話で人間は経験するからこそはじめて考えることができるのです。ここでいう考えるのは先ほどの深めるに置き換えれば、経験するから深めることができるということです。

つまりは深めるということは経験が伴わなければ深まらないということ。そして深めている最中だからこそはじめて人は考えることができるということ。考えて動きなさいではなく、動くから考えているということです。

シンプルな言い方だと、「なんでもやってみなければわからない」ということです。そして今度は、やってみたから何の発見があったのかを内省することでその事物そのものがその人の先生になって自分を導いていくのです。

自分はあまり考えないタイプですから、来たものを選ばずに何でも有難く受け止めてやってみることにしています。そしてやってみたことが一体何だったのか、その意味を紡ぐ間に点が線になり面になり立体になり空間になり全体になり無限になり転になり点になります。

人生は知識が先にあったのではなく、経験した人たちによって知識が発生してきたのですから過去の産物をいくら勉強してもそれは経験をなぞっただけであって自分自身の経験とは関係がないものです。自分の人生を味わうというのは、経験を味わい尽くすということです。

子どもたちの主体性を奪う前に、本来の経験をさせてあげたいという親祖の真心、そしてそれを見守る親心を大切にしてあげることが私は「育」ということの大前提に据えられるものだと自分の実体験から感じます。

それでもやりたいということがあるから、人間は面白いということ、人生は愉快痛快になるということ。引き続き、子どもたちが憧れるような生き方を目指して挑戦していきたいと思います。

愉快痛快

「苦労」という言葉があります。苦労というと今では忌み嫌うもの、避けて通りたいものという考え方が多いように思います。しかしこの苦労というのは昔から「若い時の苦労は買ってでもせよ」とあるように得難い価値があるものとして大切に扱われてきました。

苦労というものを避ける理由は何か、それは自分の生き方が定まらないからです。苦労か楽かという考え方で苦労をみると、できるだけ苦労はしないように知識を得るのも楽な方法を模索するからです。苦労か楽かに流されているうちは、本当の苦労の味も楽の味もわからないように思います。大切なのはこの今をどれだけ深く味わうかにかかっているかということでもあろうと私は思います。つまり「苦味」がわかる人になっているかということです。苦労人というのは昔から人生でいろいろな苦労や辛酸をなめて忍耐を持つ中で人の心や人情に精通している人のことを言います。

人生の体験を深く味わい、それと正対し受け止めて丸ごと活かし、そのことで社會の役に立ち同時にその人の人間性は磨かれて一人の人間としての人生を全うするのが人の一生です。

以前、ある戦前生まれの方とのお話の中で「自分が苦労したから孫たちにはその苦労を与えたくないとやってきた結果が今の社会になった」と仰っていたことがあります。もちろんそこから「逞しさ」を理念に保育を磨きなおしていましたが、この自分が体験した苦労を味合わせたくないという心理が働くのは苦労の苦しい面の側面ばかりをみてしまうからかもしれません。

しかしその苦労の中では逆境という珠玉の宝もあります。逆境の中で人は鍛えられ、心が強くなり信念は育ちます。なんでもうまくいくことが良いことになってしまえば、逆境はありません。うまくいかないこと、自分にとっては都合がよくないことの中にこそ相応しい成長の糧があります。

理想を高くもち大きな夢を描けばそれに伴い現実とのギャップに苦しむものです。しかしそれでもその思い通りにならないことに対して、悔しさを噛みしめ、諦めず絶望と向き合い、一歩一歩、身体を動かして前に進む中で人ははじめて成長します。

成長するというのは、苦労することです。そして苦労することで得られるものに、仲間があり新しい自分との出会いがあります。そして苦労すればするほどに感謝が持てる人になり、謙虚に物事から学べる人になっていきます。

自分が感謝できるかどうか、謙虚かどうかを悩むよりも、苦労の真価を知って苦労に向かって飛び込んでいくことが人生の学び方、そして自分が決める生き方だと思います。

苦労がいいと思う生き方をしたい人はなかなかいないものです。だからこそ覚悟が決まりません。しかしそのように人生の妙味を感じて仕合せに生き方をしている人たちが学ぶ感謝や真心、謙虚さ、そして活かされている喜びを感じているようにそこに辿り着くには、自分からそれまでの自分の生き方と決別して、敢えて挑戦して同じように苦労してみないとわかりませんし、苦労だけを避けようと斜めに構えていてもその境地に近づくこともできません。逆境こそが境地の体得には必須徳目なのです。

有難いと念じ味わい尽くす中に苦労の至喜あり。

この生き方が善いと思ってくれるように、人生を味わい楽しんで笑いながら愉快痛快に歩んでいきたいと思います。

一円組織

組織というものはいろいろな形があります。以前はピラミッド型組織が流行し、官僚のように上下の階級がはっきりしたものを使われていました。そこからフラット型組織というものが流行し、トップ一人にあとは全部横並びというものに変わっていきました。その両方は、どちらにしても上か下かという概念に縛られます。

私は一円対話というものを実践しつつ、一円組織というものを考えています。これは新しい経営の在り方のモデルに挑戦することであり、持ち味を活かし全体が一つの生命体のように機能する組織のことです。

しかしそれを実現するには、今の社会の常識に縛られないこととそこで一緒に働く人たちが過去の刷り込みに負けない変化が必要になります。

一円組織というものは、上下がありません。そこにあるのは、それぞれの持ち味を活かしあい豊かに一緒に働く仲間があるということです。実際の組織では上下がありますから、指示命令の上下運動で物事は進みます。しかし一円組織においては上下がありませんから、いつもオープンに積極的で自発的なコミュニケーションを自ら取り合って「助け合う」必要があります。

かつて日本では、大事な決定を考えるのに火を囲み車座になって語り合いながら合議していました。そこでは階級などが存在せず、一座としてみんなで自分たちの今について心を開き語り合いました。それは囲炉裏の文化として引き継がれ、皆で丸くなって助け合い働くということでお互いの意思疎通だけではなく相互理解、また談笑のうちに本心をさらけ出し周囲との信頼関係を築いて物事に取り組みました。

そこには結果責任がどうだと、分担だどうなのではなく、豊かに一緒に働ける歓びや仕合せや感謝、もしくは愛を分かち合う場がありました。まるで家の中で一緒に手を取り合って生きていく温かい家族の絆が観えます。今では一部の人たちにだけに責任を負わしたり負わされたり、または誰かを責めたり貶めたり、背負ったり投げ出したりと、競争や比較、評価ばかりの中でみんなが一円になることがなくなってきています。

本来の人間はどういうときにもっとも力を発揮するか、そして社會はどういうときに思いやりの循環が生まれるか、それはお互いが尊重され一人ひとりが活かされるときです。そしてその一人ひとりが活かされるのは全員参画型の組織に変わる時です。その先に組織があり、その先に社会があり、その先に町があり、都市があり、国家があり人類の未来があるのです。

まだまだそこには私たちも辿り着けていませんが、このプロセス自体の中に実践からのヒントや、型を産み出していく中で世間の刷り込みを取り払うための方法などが発明できています。

引き続き、一人ひとりが全員主人公で豊かで仕合せな幸福型組織、一円組織を目指して挑戦し続けていきたいと思います。

志の道

人は志を持つことではじめて信念を持つことができます。信念というのは単なる想いや思い込みではなく、その人が一生涯かけて貫こうと決心した志のことです。

この志を勘違いする人も多いといいます。世間では一般的に志の定義は、人の為に何か高尚なことをしようすることを言います。しかしそれは単に世間でいう志の客観的な評価がそうなっているだけで本人の決心とは関係がありません。自分の心が決めたものでなければ志にはなりません。

もともと志とは、一生涯かけて死ぬまで已めないと決めている自分の人生の決心です。それは数週間や数か月や数年のことを言うのではなく、文字通り「一生」というものに照らして覚悟を決めるものです。ちょっとうまくいかないことがあれば辞めるや状況が少し変化したくらいで変更するようなものは信念でもなければ志でもありません。

自分がこの世において何を成し遂げるか、結果は度外視、生死は度外視してでも貫徹するぞと決めた心こそ志なのです。「志」という字を分解しても、「一生を一心に貫く」という字体になっているのが観てとれます。

高尚を目指していくことが志を持とうとすることではなく、志があるからブレなくなり信念があるからそれが他人から高尚に見られるだけです。何かこれを勘違いして知識をどこかから持ってくるようなやり方でいくら外側から志を纏おうとしてもそれは自分の志ではないのだからいつまでも持てるものではないと私は思います。

自分自身が何のためにこの世に生を受けたのか、そして自分の一生を条件に左右されずに何のために使うのか、それを使命とも言いますがその使命感があるからこそその人は自由自在に真心の人になることができるのです。

自分がないと悩む前に、志がどうなっているのかまずその心に確認することが何よりも先なのです。志を立てるには、一生涯という物差し、また生死を度外視してという物差し、また命を懸けるにふさわしい大義という物差しがあります。そののちに、百年から千年の物差し、子どもたちの行く末を祈る物差し、地球規模、宇宙観で考えていく物差しなどで精査していきます。そのうえでこの今のご縁を活かし、感謝のままにどのように日々の決心を実践するかが志の道になります。

自分の人生をどのように使うかは自分次第、惑うのは自分と向き合わないからです。迷いがあっても惑わない、それは志如何にあります。子どもたちが安心して志の道を継承していけるように数々の実践を容にしていきたいと思います。

 

こよみ(干支)

暦のことを深めていると現在、あまり馴染みがなくなった「干支」についても考え直す好い機会になりました。現在、この十干十二支は人々の生活との関わりが近世までと比べてずっと希薄になっているといいます。十二支が十干のように忘れ去られずにいるのは年賀状の図案にその年の十二支の動物が多く使われることや人々がその生まれ年の干支によって、「○○年(どし)の生まれ」のような言い方をする習慣が残っていることの二つの理由だともいわれます。

本来、明治に改暦されるまで使っていた暦はとても意味深く先祖たちの知恵が凝縮したものでした。中国から渡来したものを長い時間をかけて日本のものに順応させ日本独自の文化にまで昇華したものをあっという間に入れ替えてしまいましたがここにきて改めて暦の価値に気づいている人も増えてきているように思います。

そもそも地球や宇宙をはじめあらゆるものを円を描きます。それは球体であり〇であることを意味します。〇には偏るものがなく、常に円転循環していますから陰陽というものは放てば戻り、揺れれば止まるというように調和をしてそのサイクルは已むことはありません。

私たちが物事を見るときに、循環を感じにくくなるのは自分を中心に前後左右と見なしたり、平地のように平面で物事を見ることで円環を感じにくくなるのです。中国から来ている様々な暦も木星や太陽、月や地球の周期を観て編み出されているものです。根本の考え方に循環があった時代と、今のように一方方向だけをみる時代とで変化が起きているのを感じます。因果応報という言葉もありますが、やったことは必ず自分に戻ってくるという思想も生活の中から失われてきたのもこの暦(こよみ)が関係するように私は思います。

干支の話に戻りますが、干支の干は天干として天の気を顕し、支はそれを支える地支として地の気を顕します。これを組み合わせて六十干支といい、60歳で還暦と呼ぶのはこれが一巡するから暦が循環したのでそう呼びます。二十四節気などもそうですが、「気」というものが自然界には存在します。気候が変わるのは、その生き物のバイオリズムがあるからでその気の流れに沿って生きていくことで無理を生じにくくなり自然体に近づいてきます。自然体であることは気と一体になっていることであり、そこから外れてしまうことを病気と呼んだのかもしれません。

今は単なる数字としての時間だけになって季節も気候も無視した住宅や設備、仕事の仕方も朝昼晩関係なく働きますから「気」の流れを無視した生活をしているとも言えます。本来は、どの時刻にも「気」がありその「気」のチカラをお借りして働いていました。そういう気の御蔭というものを感じて天気地気空気の気質を味わいながら感謝で生きてきたのでしょう。干支十二支もそういう自然への畏敬や感謝が生活から離れてしまった理由かもしれません。

しかし自然から離れた暮らしをしながらも今でも午前、午後などと言葉としては使われ遺っていますし、子どものたちには絵本の昔話などでも十二支が動物の物語になり語り継がれてもいます。しかしそれを正しく伝承していくにも、今の私たちが昔の人たちがどのように生活の中に暦(こよみ)を取り入れていたかを学び直すことが子どもに智慧を継承してもらうことにもつながるように思います。

自然界の仕組みに精通した先祖たちが、如何に自然と共に暮らしてきたか。暦(こよみ)は歴史を語ります。

 

 

こよみ(暦)

現在、生きていくうえで人間は時間やスケジュールというものを中心に一年を過ごしています。特に日本では時間に正確に動くことは当然となり、電車であっても1分遅れでさえもクレームがでるほどになっています。日時というものに合わせて、曜日というものに合わせて計画を立てて生きていくのですがどこか時間的余裕が失われ季節感もなくなり日々の忙しさに追われているようにも思います。

私たちが生きていく基準にしているものの中に「暦」(こよみ)というものがあります。これを辞書で調べると「語源は日読み (かよみ) 。1日を単位として数えることにより,週,月,年と時間を分割した体系,また,この体系の基礎となる天体の知識,年間の予知すべき事項を記載したものをいう。分割の基礎になるものは,月の公転周期 (朔望月 29.531日) および地球の公転周期 (太陽年 365.242日) であり,前者を採用したものを太陰暦,後者を採用したものを太陽暦,両者を併用したものを太陰太陽暦という。 」(コトバンクより)とあります。

現代の私たちはかつての太陰太陽暦を捨てて明治以降から太陽暦(グレゴリオ暦)という西洋で作られた「西暦」というものを用いて生活しています。これは1582年にカトリックのグレゴリウス13世はユリウス暦を西暦が100で割り切れ、かつ400では割り切れない年(例:1700年、1800年、1900年)は閏年とはしないという新しいルールを加えたグレゴリオ暦を制定したところから来ています。

古代ローマで作られたのがはじまりですから、12月のカレンダーにあるJanuary、Marchなどの月の呼び名はすべてローマの神話に出てくる神様の名前です。それにsunday,mondayなどの曜日の呼び名は北欧の神様も入っています。おかしな話ですが、私たちは日本人の神話もあるのに暦は別の国の神話の神様のカレンダーを使っているとも言えます。私たちが誕生日にこだわるのも、キリスト教会がイエスの誕生祭にこだわるからでもあります。

日本でそれまで用いられてきた太陽太陰暦にあったような農業や年中行事の和暦を全く無視した西暦(グレゴリオ暦)に明治時代に強引に政府が入れ替えました。それまで農業では、季節の節目を洞察してつくられた二十四節気・七十二候が用いられ種まきや収穫の時機や季節による農作業の準備をきめ細かく行ってきました。そして正月や節句のような年中行事は月の満ち欠けの太陰暦の日付で行っていました。それだけ昔の人は、暮らしと暦が密接でありこの和暦があることで安心して自然と一体になって暮らせていたとも言えます。

季節感がなくなってしまったのは、この暦が季節とまったくかけ離れたものを用いだしたからともいえます。今では年中行事も土日の方が人が集まるや、それがやりやすいからと勝手に日時を人間都合のスケジュールで動かすようになってきました。本来の年中行事の意味や自然の季節のサイクルともズレた行事は本来の暦の本質からも離れていく一方です。

改めて明治時代の改暦から約140年経ち、社會の今の見つめれば何が歪んでいるかに気づきます。その歪に気づいたなら自分自身がまず本質に回帰した生活や暮らしを実践し温故知新して次世代に譲り渡していかなければなりません。

今では季節感もなくなり年中行事も意味が失われてきていますから、子どもたちのためにも自分たちが実践により今の時代に適応した仕組みを創ってみたいと思います。古民家再生の一つの主柱にこの「こよみ」(暦)というものを使います。

愛は人の為ならず

人間は情というものがあります。この情に感がつけば感情と書きます。つまりはどんな人にも感情があり、心が感応するとき同時に情も感応します。昨日、我のことを書きましたがこの情というのが我に密接していますからどう折り合いをつけていくかが大切になるように思います。

諺に「情けは人の為ならず」というものがあります。現在はこれの意味とは間違って理解しているものが多く、他人に情けをかけることはよくないように使われています。しかし実際の意味はそうではなく、他人にかけた情けは巡り巡って自分のところに戻ってくるご縁なのだからそれは他人のためにではなく自分のために行っているものだということです。

人間には自我が情がありますから、してあげたことややってあげたことを相手に見返りを認めたりするものです。本来は、真心からしようと思っていたことも我が強すぎたり自分の情ばかりを優先してしまうと相手に求めたり期待したりとその行為まで歪ませてしまいます。そのうちに、恩知らずとか恩を仇で返されたとか、恩を返せとか要求したりするものです。こうなってしまうと、最初から真心などなかったかのような出来事にすり替わってしまいかえってお互いの感情がぶつかり対立関係を深めてしまいます。

同じような諺に、「受けた恩は石に刻み、かけた情は水に流せ」というものもあります。これは先ほどの情けをかけて見返りを求めるなということと似ています。なぜではこうなってしまうのかということです。

人間は誰しも自分を満たしたいと思っています。生きていくうえで、人間は承認欲求というものがあります。認められたいという心や、自分の存在を認めてもらいたいという欲があるのです。これは決して悪いわけではなく、生きていくうえでそれが転じれば社会貢献をしたいという気持ちを育てる側面もあります。しかしこれが歪んだ自己愛になっていくとよくないプライドになったり、自己中心的な考え方になったりしていくものです。

この情というものも、相手を自分と分けてかけるのではなく相手は自分そのものと自他一体になっているのならそれは先ほどの情けが人の為ならずのように真心の愛を循環させていくことができるように思います。これを言い換えれば、「愛は人の為ならず」ということなのです。

本当の自分を愛することができる人は、同じように他人を愛することができるように思います。自分の中にあるものを一つ一つ受け容れて、みんな同じような苦しみを持っていると同時に生きていくのならそのうちに自他は一体になっていくものです。

これを邪魔するのが自他を分けるということであり、自分を愛しすぎたり、自分を粗末にし過ぎたりすることで歪んだ情愛が根付いてしまうように思います。

福沢諭吉に『世の中で一番尊いことは、人のために奉仕して恩に着せないことです』というものがあります。

感謝の心を育てていくのは、人事を盡していくこと、真摯に自分を活かしていくことをやりきっていく中で次第に醸成されていくようにも思います。見返りを求めないことが愛でもあり真心です。自分がそうしたかっただけという言葉の中には、相手がもしも自分だったらと他人事にせずに全身全霊を懸けて取り組む実践によって磨かれた生き方や生きざまがあります。

愛を循環させていく心の深淵には、人を深く愛しているという人道があります。人道支援というものは決して弱い人を助けることを言うのではなく、自他一体に「情けは人の為ならず」を日々に実践していくことです。

引き続き、人類を愛するからこそ日々の小さな真心の実践を積み重ねていきたいと思います。