先日、聴福庵の古材の床に柿渋を塗りました。これは近くで解体されていた古民家の松の天井板を譲っていただき、それを磨き直し床板にし廊下に敷きました。磨いた時点でも美しく見事な木目を感じましたが、柿渋を塗るとそれがより一層引き立ちうっとりするほとです。古民家再生の豊かさの本質を感じるようで、磨き手入れをすればするほどに古いものを大事にするということの価値の美しさを感じます。
この柿渋というものは、日本でも古来から大切に使ってきたものです。古墳には弥生時代から柿の種は出てきていますし、文献でも平安時代頃よりすでに干し柿や漢方薬としてなど様々な用途で親しまれてきたそうです。
松尾芭蕉に「里古りて柿の持たぬ家もなし」と読まれた俳句がありましたが今ではめっきり減りましたが、まだ田舎にいけばあちこちの家の庭に大きな柿の木を見かけます。葉っぱがなくなった柿の木に、濃い橙色の柿がいっぱいなっているものを見ると圧巻です。
柿の木から抽出できるこの柿渋塗料は渋柿の未熟果を擦り潰して搾汁して、発酵させ濾過したものです。柿渋液の中に含まれる柿タンニンには防水、防腐、防虫効果があり、塗布することで効果を発揮します。例えば、昔の山伏などの衣装には柿渋が塗られており山での移動に防水効果があった柿渋を沁みこませていました。防水では他には漁師が漁網に使ったりしました。他には、江戸時代頃には家屋の内外で防虫や防腐を兼ねて家具や建具、あらゆるところに用いられました。塗料としても、紙を染めたり装飾として美しい柿色の色合いが自然美を高めてくれます。お酒の清澄としても用いられ、漢方薬としても殺菌効果や消臭効果が高いといわれます。
この柿渋も戦後の石油製品、また工業化が進む中でほぼ絶滅したともいえます。各家庭で当たり前に用いられていたこれらの先人の智慧も今では伝承されていく機会もなくなりました。
この柿渋づくりの重要なところは発酵すること。この発酵の智慧はどれも時間と手間暇がかかります。そしてゆっくりとじっくりと自然に任せながら徐々に培われ醸成させます。
これらの醸成という智慧は、人間が大量生産大量消費の工業化の中では選択されることがありません。お酒造り一つとっても、本来は醸造するものが今ではアルコールを添加して古来からの醸造をやめ人間の加工のみで作りだすようになっています。
自然との時間軸を捨て、人間都合の時間軸で生きていけばかつての先人たちの智慧はほとんど失われます。その理由は、生き方そのものが変わってしまうからです。先人たちが大切に守ってきた生き方を換えてしまうというのは、それまでの歴史を捨てるということです。本来、捨ててはならないもの変えてはならないものを平気で忘れ去り、変えていいものや捨てていくものには執着しています。
改めて昔の伝統や伝承の智慧を学び直していくことで、古来から大切にされて守り継がれてきた生き方を再発掘していきたいと思います。
子どもたちにこれからの時代、どう生きるかを判断するときに先人や先祖たちが自分たちの人生で教えてくださったことを伝えていけるようにさらに実践を深めていきたいと思います。将来はこの柿渋づくりにも挑戦していこうと思います。