人工知能と原点回帰

ロボット工学が発展してくると、いよいよ人間の価値が何かということがはっきりしてきます。大量生産大量消費を通して、物の価値観が大きく変わってからそれが発展した先にこのロボットがあります。そして現在ではAI(人工知能)の開発技術の進歩が著しく、人間により一層近づいて人間の理想を凌駕するのではないかともいわれています。

先日、韓国から帰国する新聞に中国の龍泉寺でロボット僧というものが開発されそれがとても優れているという話題が紹介されていました。このロボット僧は、禅の高層の一問一答をすべて人工知能が吸収しそれを自分なりに咀嚼し、質問する人に対して答えるというものです。

その質問への答えは禅問答であり、その一つ一つには奥深い禅の哲理が入っているそうです。例えば、賢二に「渋滞に巻き込まれたんだけど、どうしたらいい?」と聞くと、「お経を唱えるのにちょうどいい」と答え、「お母さんがうるさいんだけど?」と聞くと、「年寄りなんだからほっとけば」と答えてくれる。そしてその答えを聞いた人は「心が癒される」「心が楽になった」「幸せを感じた」などという感想がたくさん出ているそうです。

これは単に正解を知っていて答えているロボットではありません、人工知能がディープレーニングを通してその智慧を答えていくのです。その際、では今の禅の僧侶たちはどうなっていくのか。今までと同じことをしていたら、それはロボットが代行するのだから自分たちの役割は何かということになってきます。

AIが発達すればするほどに仕事がなくなり、人間がいらなくなるというのはこの例からも推察できます。これからますますロボットが人間の理想に近づけば近づくほどに、私たち人間は本来の人間としての価値の原点回帰に迫られるように思います。

私は自然農や古民家再生、見守る保育の仕事をしながら決してAIが代行できないものを自覚しています。それは人工では決して近づけないものです。そういうことを磨く時代になっていたとしたら、これから先の未来はある意味では楽観的に考えられます。

結局は人間の理想というものは、対立した中では実現できません。如何に自然と一体になっているかと鑑みると私たちは逝きついた先に原点に回帰することになります。自然は常に往復しバランスを取りますから、今の時代は過渡期だということでしょう。

こういう時代にあって逆行している私のやっていることは、回帰するときには最先端になっているだろうと思います。それまでの間は、粛々と磨き上げいのちの再生を自然と一体になって風土を醸成し続けていきたいと思います。

どんなことも転じていきますから福にして、さらなる一歩、温故知新を迷わずに歩んでいきたいと思います。