今年は様々な古い道具を修繕し甦らせ活かしていくご縁が多かったように思います。どれも年季が入ったもので、ほとんど壊れていたものをちょっとずつ直してもう一度大切に一緒に生きていく仲間にしていきます。
物には思い出が宿っています。私のところに来たときは、その思い出と一緒にやってきます。その思い出を拭き清め洗い清めてもう一度、一緒に再出発します。どこまで一緒に居れるかわかりませんが、新しい思い出を一緒に創り上げていくのです。
蔵や倉庫に眠っていたものは、再びご縁があったものと一緒に結ばれます。お互いに呼吸仕合、互いに活かしあって日々を積み重ねていきます。これが共に生きるということです。
物は壊れることもありますし、また壊されることもあります。今年は壊される現場も見ましたし、骨董で捨てられていく現場も見ました。物には心がないと思っている人もいますが、実際には物には心があります。それは古いものを修繕し活かしてみるとすぐにわかってくるものです。
もう一度、役に立てる仕合せ、そして活かされる喜びは心が通じ合ったときに響いてくるものです。だからこそ勿体ないという心が結ばれるのです。今、時代は大量生産大量消費の社会ですから直せる人や修繕ができる人が次第にいなくなってきています。
まだまだ活かせるものを、寿命が来る前に廃棄してしまうというのはいのちの世界から観ればとても寂しくつらいことです。古いものに価値を見出し、その古いものを新しくするというのは修繕の心です。
思い出が宿っているものをどのように大切に扱っていくか、その思い出を美しいままにどのように包みこんでいくか、そしてその思い出が籠ったものをどのようにいつまでも大切にしていくか、その一つ一つの繋がり方には「いのちの記憶」が無限に結び合って広がっていくのを実感します。
まだまだ私の古民家甦活は始まったばかりですが、有り難いご縁で本当に大切なことを学び直しました。修繕の心を引き続き磨き、古からの伝統や伝承を身に着けて後世に生き方を伝道していきたいと思います。