神代の真心

昨日、秩父夜祭の神事に参加するご縁をいただきました。この秩父夜祭は、御田植祭秩父市中町の秩父今宮神社境内にある武甲山から湧き出た水を、その年の収穫を祝うと同時に武甲山に還すお祭とも伝えられています。

先日、ユネスコの無形文化遺産に登録され今年は一層の盛り上がりがありました。その推薦理由のひとつには『秩父の人々は年間を通じて秩父夜祭の準備や練習に取り組んでおり、祭りが「地域において世代を超えた多くの人々の間の対話と交流を促進し、コミュニティを結びつける重要な役割を果たしている」』ということがあったそうです。

実際に神事に参加していると、氏子の皆様をはじめ神社を奉る皆様が真摯に真心で神様や地域への感謝報恩に取り組む姿に心打たれます。みんな武甲山をはじめ、伏流水、その豊かな風土を与えてくださっている神恩に対して敬虔な気持ちで取り組んでいるのです。つまり自分を度外視、損得を度外視して、経済活動を優先せずに常に神様や伝統の方に自分たちを常に合わせていくという謙虚な実践を行っているということです。

その逸話の中にはこういうものがあります。

かつて秩父夜祭の人出は開催曜日によって大きな差があり、週末に当たると20万人を超す人出になっていたといいます。そこで経済効果を念頭に置いて、週末開催を求める声が出ていたそうです。お祭りに参加する市民も仕事を休んで祭りに参加すること も難しくなってきていたのもあり2004年に秩父夜祭の日程を週末に変更する委員会の設置が検討されたといいます。しかし秩父神社側が、「神事と切り離せないものであり、別の日に譲ることはできない」と反対したといいます。

そのことを権宮司さまにお伺いすると、「人間の都合で神事を動かさない、すべての神事の日には確かな意味があり二千数百年神代の昔から変わらず神職たちによって守られてきたからです」と仰っていました。

今の時代、すぐに自分たちの都合、人間の都合、そういうものを優先しては大切なものや変えてはならないものまで平気で動かそうとするものです。個人主義が蔓延し、子孫の代のことや先祖の代を慮るよりも、自分自身の代のことだけしか考えずに自己中心的な生き方ばかりをしてコミュニティも消失してきています。しかし本来、誰のための神事か、何のための神事かの本質を考えてみればそれが如何におかしなことをしているのかはすぐに自明します。

自分にとっての善し悪しではなく、かつてから連綿と続いている理念や初心を守り続けること、そして実践を已まずに継承し続けていることにこそ神事の真価があるのです。

御旅所で、神職の方々が舞う神代神楽を観ていたら本来の日本の神事とは何か、そういうものを復古創新し磨きなおすようにという天啓をいただいたような気がしました。

子どもたちに何を譲り遺していくのか、まだ試行錯誤ははじまったばかりです。引き続き今回の御縁を活かしていけるように、真摯に深めて機縁からすべてを学び直し、日本のために祈り続けて自分自身を変化させていこうと思います。

ありがとうございました。