昨日、GTリーダー研修が竹橋で開催されました。全国各地から見守る保育の理念で取り組む園のリーダーやベテランの保育者が一堂に集まりそれぞれで課題や問題を共有していきます。
今までの過去の保育を今の時代に適合させていくために、変えてはならずに守るものと変えていくものを真摯に向き合って話し合っていきます。子どもを守るといっても、何を守り何を守らないか、それは今を生きている大人たちが判断していかなければなりません。先日の神事と同じく、変えていいものと変えてはならないことを正しく理解しそれを実践していくことで未来への方向性を確かなものにしていくのがこの仕事の使命をいただいたものたちの責任であろうと思います。
藤森代表は、子どもを守るのは子どもの主体性を見守ることだといいます。つまりは私が言えば一人ひとりの発達を保障することですが、そのためには一人ひとりのことを一人の人格者として認め尊重した保育が実現しなければなりません。そのための手段として見守り方もあり、具体的な見守る仕組みも存在するのです。
講演の中でいつも気づきがあるのはこの見守る保育は、「見守られる子どもにしていく」という言葉です。見守られていると感じられる子どもは責任感を身に着けていきます。人は信じ認められることで自分が尊重されていることを自覚します。そうすると自信が持てて自分の役割を活かそうと考え始めるものです。原理原則として人間の幸福というものを保障するのが大前提にあり、そのうえで時代に合わせた変化を取り入れていくのです。
そして一人ひとりの子どもたちを見守るためには、まずは大人たちや先生同士が支え合い協力している必要があるといいます。その大人たちの姿を見て、子どもたちは子ども同士で同様に支え合い助け合い、協力していくことを学ぶといいます。
今の時代は子どもたちに色々と教え込みますが、かつての日本は身近な大人たちの姿を見て子どもたちは子ども同士で学んでいたのです。寺小屋なども同じく、地域の神事や祭りをはじめ様々な大人同士の関係性の中で子どもたちは協力していく大切さを学び、信じあうこと助け合うこと、つまりは道徳心を身に着けていったのです。
見守る保育が取り組んでいることは、道の徳育であり、その徳をどのように一人ひとりが身に着けていくか、それは大人も子どもも関係がなく一人ひとりの人間的な成熟、つまりは自立に結ばれているように私は感じます。
助け合い支え合い協力する、そういうものをもっとも醸成できる人物こそがリーダーではないかとお話をお聴きしていく中で実感しました。引き続き本日も研修は続きますが、それぞれの園での課題はまさに社會の課題そのものですからよく聴いて今後に活かしていきたいと思います。