昨日は、ある高校1年生のクラスの一円対話を見学する機会がありました。4月から関わり始め見守っていますが、あれから9か月ほど経ちそれぞれに背が高くなり、顔つきや様子も大人っぽくなり、著しく成長していく速さに驚くばかりです。
いまではとても仲が善くなり、とても素晴らしい場がクラスの中に発生しています。その一円対話に参加していると、如何にそれぞれがお互いに協力して助け合っているかの日常が伝わってくるのです。
世間ではよく仲が良いという言葉を使います。先日、別の学校でもうちのクラスは仲がいいととか、うちの職場が仲がいいとか聴きましたが実際に入り込んで個人面談をするとまったく正反対だったりします。そこでは、表面上問題が起きないように仲が悪くならないようにしているだけで決して協力したり助け合ったりを自然に行っているわけではないのです。
私が思う仲が良いとは「協力する風土ができている」ということです。それぞれが自分らしい自分であることを保障され、チーム全体やクラス全体のためにいつも心を開き、主体的に支え合い助け合いをしたいと思ってそれが自然体で行われている状態のことです。
しかし実際には、ほとんどの組織においてみんな自分のことばかりを考え、周りへの配慮が欠け、個々がバラバラに好き勝手になっているところがほとんどです。そして協力しなければ責任問題になるというような状況をつくり、手伝わないといけない状況になっているだけでそれを仲が良いと思い込ませたりしようとしています。
責任を押し付けたり立場を分けたり、罰則を与えたりする中での協力などは協力という言葉を使ってはならず、本来の協力の意味とは大きく異なっています。誰かによって操作された協力などは協力という言葉ではなく、それは協力風に見せかけても真の協力ではないからです。
真の協力とは、それぞれの人生を尊重しつつお互いに目的や理念に対して真摯に正対し、同時に一緒に生きていく仲間なのだから助け合い支え合い歩んでいこう、また思いやりの社會のために自ら参画するときにこそ発生すると私は思います。つまりは、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」が実現しているということです。
だからこそ、常に主体的に自ら選択して理念を共有していくことを一人一人が実現していく必要があります。また全体が一人ひとりの人生を見守るためにも、目的を定めその目的が実現できるような環境をみんなで一緒に創造していく必要があるのです。自分の使命を自らが自覚して自分の人生に責任を持つのです。
子どものころから、子ども同士の中で子どもたちはお互いを認め合い支え合い生きていくことを学びます。言い換えれば人間社會を学びます。どんな人間社會にしていくかは、今の子どもたちの様子がそのまま将来の社會になります。今はいじめや不登校、その他、悲惨なことが学校でも起きていますが将来安心した豊かな人間社會を実現できるように私たち大人がまずそのお手本を示し、協力する風土を醸成していきたいと思います。
一人一人が幸福な人生を味わえるように、引き続き理念の実践を通じて人間の持っている徳を伸ばし、善心を引き出せるように聴福人の実践を高めていきたいと思います。