四書五経の一つ「大学」の中で「苟日新、日日新、又日新」という言葉が出てきます。これは古代中国に殷という国の初代湯王が (まことに日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり)と毎日使う手水の盥(たらい)に銘辞を刻んで日日の自戒としたとされているものです。
これは自分の日々の垢を洗い清めるように、過去に発生したすべてのことを取り払い新しい自分でいようと磨き続ける、言い換えれば「今を生き切る」と弛まずに精進し続けたという証です。自分が過去に捉われないよう、自分が今に生き続けるようにと自戒したという生き方にとても共感します。
これを座右にした昭和の大経営者の土光敏夫さんがこのようなことを語っています。
「神は万人に公平に一日24時間を与え給もうた。われわれは、明日の時間を今使うことはできないし、昨日の時間を今とりもどすすべもない。ただ今日の時間を有効に使うことができるだけである。毎日の24時間をどう使っていくか。私は一日の決算は一日にやることを心がけている。うまくゆくこともあるが、しくじることもある。しくじれば、その日のうちに始末する。反省するということだ。今日が眼目だから、昨日の尾を引いたり、明日へ持ち越したりしない。昨日を悔やむこともしないし、明日を思いわずらうこともしない。このことを積極的に言い表したのが「日新」だ。
昨日も明日もない、新たに今日という清浄無垢の日を迎える。今日という一日に全力を傾ける。今日一日を有意義に過ごす。」
今この瞬間に生き切るということは、自分のいのちを一期一会に使い切っているということです。私の座右も一期一会ですから、この生き方に共感するのです。時は過ぎ去っていくだけで過去の成功に縛られても仕方がないし、未来のことばかり憂いていても仕方がない。大切なのは、今どうにかできる今だけですから今に真摯に真心を盡していくことこそが人生を豊かに感謝で生き続けることになると思います。新しい自分とは、今の自分のことで古い自分も今の中に生きています。だからこそ古今は未来そのものです。
この殷の湯王の自戒には、もう一つ私が心から尊敬するものがあります。反省とはこういうもので、内省とはこういうものだという至高のお手本を示したものです。論語を学び、大学を学ぶものとしてこの殷の湯王は何よりもそのモデルになります。
最後にこの殷の湯王の自戒で締めくくります。
「希望あれば若く
燃ゆる情熱
美しいものへの喜悦
逞しい意志と情熱と
安易な惰性を振り捨てて
人は信念とともに若く
情熱を失うときに老ゆ
希望ある限り若く
理想を失い失望と共に老ゆ
心して暮らせ」
一期一会というのは、この信念と情熱と理想、意志と希望と喜悦によって真心を盡して暮らすことです。子どもたちのためにも、自分がその実践を体現して生き切っていきたいと思います。